
決断するということ
“勝つと決める”
「勝ちたいと思う」とは明確に違うこの言葉にはどんな意味があるのか?
自己紹介
僕、杉本怜はプロクライマーとしてボルダーのコンペティションを中心に選手活動をしています。

2009年に初めてボルダー日本代表に選出され、2021年まで連続で日本代表でした。2022年2024年は日本代表選外、2023年は代表に選出されるも八王子で行われたワールドカップのみ出場と実質国際大会から4年離れてしまいました。そして今年2025年ボルダージャパンカップに最年長として出場し、自身として9年ぶりの表彰台に乗りました。
ボルダージャパンカップ2025 男子決勝 (JMSCA youtubeより)
主な戦績
2009年 ボルダリングジャパンカップ 3位
2013年 IFSCクライミングワールドカップボルダー ミュンヘン大会 優勝
2015年 ボルダリングジャパンカップ 優勝
2018年 IFSCクライミングワールドカップボルダー ベイル大会 優勝
2025年 ボルダージャパンカップ 3位
今は4年ぶりの海外ワールドカップ遠征に備えて目下準備中です。
今回は2017年よりお世話になっているメンタルコーチとのジャパンカップに向けて取り組んだトレーニングについてお話ししたいと思います。
宣言
2024年春、僕はある宣言をしました。2025年シーズンを最後に第一線から退くということ。ワールドカップ等国際大会を目指していくというのは今季限りで辞めます。
肩の手術、コーチとの出会い、過去最高成績
2016年。僕の競技人生において大きな決断に迫られました。肩の手術をするということ。ケガの程度は日常生活には支障がない程度ではありましたが、本気で競技するのには致命的。日本代表として出られる国際戦の大半を蹴って手術するための準備に取り掛かりました。手術は成功、担当医が底抜けに明るかったこともあり順調にリハビリを進めることができました。
しかしトレーニングにも気合が入っていた一方、もう一度日本代表に戻ることができるのかと不安になっていました。競技復帰、代表復帰に向けて肩のリハビリはもちろん、いままであまり注目していなかった下半身の強化にも取り組み充実した日々を過ごしていたはずですが、やはりコンペから長く離れると自分がちゃんと強くなっているのかわからなくなります。そして競技復帰となるジャパンカップの開催を1か月ほど前に控えたころ、現在のメンタルコーチと出会いました。すぐにメンタルトレーニングを始めるというよりは、軽い面談を数回行うのみで詳しい計画は日本代表復帰してから。試合当日、なんとか日本代表に食らいつきたいという一心でジャパンカップに臨み、準決勝を1位で通過。この瞬間に代表復帰が決まり安堵したことを覚えています。最終成績は4位となってしまいましたが、まずは直近の目標は達成し、無事コーチと次の話に進むことができました。
コーチと一緒に本格始動し最初に話したのは目標設定について。選手としての最終目標と毎年の目標を掲げ、引退の年についても話しました。この時は「2023年シーズンを最後に」 と設定していました。なんとなく30歳過ぎに引退を考え、世界選手権に最後出られたら良いなというようなプランです。
2017,2018年はボルダー選手として最盛期を迎え、2度目のワールドカップ優勝や年間ランキング3位という最高成績を収めました。2019年は、ボルダーはあまり良くなかったものの、リードの日本代表に選出されリードワールドカップにも出場するなど充実した1年を過ごしました。またこの頃は東京オリンピックを控え、スポーツクライミングも大いに盛り上がりをみせ、たくさんのサポートがあって不自由なく充実した選手生活を過ごしていたと思います。
コロナパンデミックからの競技生活
そして2020年、世界中の人々の人生を狂わせたコロナパンデミックが起きました。僕も例に漏れず選手活動をまともにできず、イタズラに時間が過ぎていきました。毎週コーチとも面談する中でトレーニングの話だけでなく人生そのものの話をする機会も多くなります。引退についてもずっと話題に上がっていましたがこの頃はまだ2023年を最後と決めていました。
娘の誕生と引退宣言について
2022年秋、僕ら夫婦に新たな家族が誕生しました。子供の誕生は本当に幸せなことであると思う一方、次の年を最後に控えている中でいっぱいトレーニングをしたいのに家事育児に追われ、満足いくトレーニングができないというジレンマに悩まされていました。そしてコーチとも面談を重ね、引退について軌道修正をしました。自分がもっと頑張りたいということ、やはり子供に父の頑張っている姿をもう少し見せたいというエゴが出てきたためです。
2024年のボルダージャパンカップは過去最低成績で日本代表選外となりました。そして残されたチャンスはあと一回。いままでは自分の考えとか目標とかはあまり外に出してなかったのですが、コーチとも相談して公言することにし、2024年春にミキペディアさんとのYouTubeライブにて「来年のジャパンカップが最後の挑戦」と宣言しました。
その後は宣言したことはいいものの、忙しさにかまけトレーニングに身が入ったわけでもなくあっという間に秋になっていました。ボルダージャパンカップへの出場権がかかるジャパンツアーにおいては良くもなく悪くもない成績。調子が悪いなと思った極め付けはShareというジムで行われた草コンペにノリで出たら予選でボコボコにされたということ。僕のトレーナーさんにも「このままじゃジャパンカップに間に合わないよ」と言われる始末。こんなに時間があったのに、ついに流石にやばいと焦り始めました。
コーチとのとあるお話と競技人生最大の難問
またこの頃にコーチとの話で、金メダルを取ったあるオリンピアンについてお聞きしました。その選手は、金メダルのかかった試合の重要な局面で追い込まれたものの、最終的には見事勝利しました。とはいえ、その瞬間の重圧や焦りは尋常ではなかったはずです。「その状況は押しつぶされてしまったり,諦めてしまったりしても仕方ないようなもの。どうして金メダルを獲ることができたのか」という問いに対して、その選手はこう答えました。
“金メダルを獲ると決めていたから”
いやいや、オリンピックに向けてどういうトレーニングをしたかとか普通そういうのが出てくると思ったけれど、‘’決めていたから‘’ってどういうこと?僕はこの話を聞いて「全く理解ができない、やっぱりオリンピックで金メダルを取る選手は思考が違うな」というふうにしか感じませんでした。
そもそも試合で「勝つと決める」と言ってもそれがどういう意味なのか。明日は何時からトレーニングをするだとか、明日のご飯は何食べるとかを決めておくのとは次元が違う。また、どんなに可能性が低くても将来億万長者になると決めたと言っても、ずっと目指し続ける限り特段変なこと言っているわけではない。しかし試合のその瞬間は一度過ぎればもう二度と訪れないものであり、不確定要素だらけのなかでそれをあたかも自分のコントロール下に置いているかともとれる発言を本当にできるのかと疑問に思いました。
ここから先は
¥ 500
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?