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夏日記

 おばあちゃんに会うために、歩き疲れた地元から逃げ出すために、夏に溶け込むために、高速バスに身を任せて岩手県に向かう。

 盛岡駅に着いてすぐ、幼稚園の時の友達と合流した。彼女とは東京で会うことが多かったからか、この街で顔を見るとすこしだけ照れてしまう。飲食店を探しながら、あそこも良いね〜なんてだらだら話していると、あっという間に長い長い商店街を歩き切っていた。2人して東北随一の素晴らしい優柔不断さを持っている。履き古したサンダルに足が擦れて痛い。それでも、前に前に進もうとしてしまう。 
 結局、大通りを引き返して駅近くの喫茶店に入る。「東京で遊ぶ時と同じだねー」と楽しそうに話す彼女の顔は、東京で会う時よりも明らかに穏やかで優しい。その表情のおかげで、改めてこの街のやわらかさを感じる。

 派手なラッピングが施された小さな電車に乗って、おばあちゃんちの最寄駅に向う。遠出をするたびに、自分にとっての非日常は他人にとっての日常であるということを強く感じて、なんだか不思議な気持ちになる。すごく当たり前のことなんだけど。
 電車を降りて15分ほど歩く。この街に来るのは5年ぶりなのに、地図を一切見ることなく家に着けた。道路も、畑も、スイカの路上販売も、目に入るもの全てが昔から変わっていない。それが良いことなのかは分からないけど、思い出を全身に浴びながら歩いていたあの瞬間は、どんな学者の論説も意味を持たなくなるほどに心地良い時間だった。

 家に入って、駅で買ってきた巨峰を渡す。スマホの使い方を教える。ズレている時計を直す。何をしても、どんな些細なことでも手を叩いて喜んでくれた。懐かしさと優しさに塗れて、日常を投げ出したくなってしまう。
 夜、叔父さんと庭でビールを飲む。できるだけ同じスピードでタバコを吸って、少しでもこの時間が続くようにと心の中で祈る。叔父さんは、無愛想に見えるけど人一倍心に寄り添おうとしてくれる。そのせいで親にも話せないような未来予想図をスラスラと打ち明けてしまって、今すごく恥ずかしい。

 おばあちゃんちで感じる夏は、都会に比べてすごく自然だ。意識せずとも夏の方から近寄ってきて、暑さ以外のコンテンツを教えてくれる。勝手に頭の中を走り回る現実を知らんふりして、明日叶えられる小さな願望だけを考えさせてくれる。おばあちゃんの焼きおにぎりと、スイカが入った冷麺が食べたい。喫茶店にも行きたい。良い夏。

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