2024年に映画館で観た映画
去年は映画館で映画を何本観たんだろうと思って振り返ると、なんと10本ぐらいしか観ていなかった。月1ぐらいしか映画館に行けなかったことの悲しさと寂しさを噛み締めながら、その10本の映画館体験をこれからもずっと大切に抱きしめていきたいですよね、と思い、記録することにした。
その10本は当然面白いものもあったし、つまらないものもあったけど、その映画1本1本の晴れ舞台(映画館での上映)をちゃんとリアルタイムで目撃できて本当に良かった。我々はこの体験を可能な限りオリジナルな状態で次の世代に伝えていかなければならないと思う。偉そうな文章ですね。
『グレイテスト・ショーマン』《爆音上映版》
1月1日に観に行って、縁起の良い正月だった。この映画を初めて観たのは数年前の爆音上映(音響にライブコンサート用のものを使った特殊上映)で、上着がべしゃべしゃになるほど泣いた。その後にブルーレイで観返したけど爆音上映の感動が忘れられなくて最後まで観れなかった。
この映画は本当に爆音上映との相性が良いと思う。爆音上映というのは悪く言うと興行側がイベント的に勝手にスピーカーを増築しているものなので、IMAXやドルビーシネマのようなクリエイターとの連携がない。なのできっと厳密には監督の意図通りの上映にはなっていないと推測される。
でもその「盛り上がればいいじゃん!」の力技が実にP・T・バーナムっぽいなと思う。音の馬力を上げまくっているので静かなシーンになると絶対に聴こえてはいけないはずのノイズがジジーッと聴こえてくるんだけど、肝心のミュージカルシーンとなると映画館の床が音楽と連動して地鳴る。耳から神経を伝って脳で感知する"音"じゃなくて、心臓で感じる「音楽」。つるべ打ちの圧巻のパフォーマンス!
最後の安堵と後悔50/50のヒュー・ジャックマンの表情。この表情をスクリーンで目撃するための前振りのミュージカルシーンの数々だと思えるほど、このヒュー・ジャックマンの表情が好き。これからも家ではたぶんあんまり観ないけど、何らかの特殊上映があれば定期的に観に行きたい。ここはひとつ、3Dコンバートするというのはどうでしょうか。それで4DXで。
『哀れなるものたち』
正直あんまり覚えてない。マーク・ラファロは本当に素晴らしい俳優だなと思ったのと、何よりR18指定の映画をショッピングモール内のシネコンで観る悦びに尽きる。
ショッピングモールとは基本的にファミリー層をターゲットにした施設のはずで、それがたまに何かの掛け違いで『哀れなるものたち』みたいな映画が上映される。家族連れが楽しくハンバーグを食べているレストランの壁にはエマ・ストーンのあの不気味なポスターが貼られていて「上映中!」と宣伝されている。そういう状況がなんだかワクワクするというか、資本主義社会ってコメディだよな、みたいなことを思う。
こんな状況を作れるランティモスは凄い。資本主義って凄い。ランティモスの映画、これしか観たことないけど。そういう意味で『グリーン・インフェルノ』のイーライ・ロスもすごいし『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のスコセッシ&プリオもすごい(両方当時シネコンでやってた)。映画文化はまだやれる。
『ナイト・オン・ザ・プラネット』
観たことなかったけど、どうせ観るなら映画館で観たいなと思っていたらリバイバル上映があったので観に行った。客層が少し印象的でした。
当方、とにかくエンターテインメント映画が大好きで、しっかり主人公が葛藤して壁を乗り越えてガッツリドラマチックに成長するようなストーリーのものが好きなのでジャームッシュ映画は得意ではないんだけど、映画館で観れて本当に良かったなと観終わって夜の渋谷でしみじみした。渋谷という街、本当に好きじゃない。
カメラの向こう側で流れる時間と、こちら側の時間が同じ速度でゆっくり流れるのが心地良いんだ、という話をジャームッシュ好きによくされていたんだけど、その意味がようやく少しわかった気がした。これは2Dで観る3D映画だ。
何かドラマチックなことが起こらなくても、社会の何に社会意識を持たなくても、腹は減るし眠くなるという人間の生理現象をジャームッシュは肯定してくれる。確かにピクサーアニメーションは素晴らしいけど、ピクサーばかり観ているとたまに「人生、そんなにいろいろポンポン起こらねえよ」と息苦しくなる時がある。
そういう時はプロットポイントがどうとか、主人公の目標がどうとか考えずに、ただフィルムメイカーの提示する時間間隔にゆっくり身を委ねてみるというのもまた映画を観る楽しみだなと思った。人生、当たり前だけど映画や物語だけが全てじゃない。
『ARGYLLE/アーガイル』《IMAXレーザー版》
当方、重度のマシュー・ヴォーン信者なので手汗握りながらIMAXで観に行った。ところがこの映画、HFR(ハイフレームレート)上映がドルビーシネマであったらしい。しかもキャメロンが推し進めているTrue Motion Cut(シーンによってフレームレートを変化させる)作品だという。こういう情報を配給会社がオフィシャルにちゃんと開示する世の中になってほしい。毎回IMDbのTechnical specifications欄を確認するのは疲れる。
ところでマシュ―・ヴォーンという作家はずっと観客の期待の逆張りをやってきたけど、これはもう逆張りの逆張りの逆張りの逆張り、みたいな感じで、ただドヤってるのか問題提起してるのか、自分の好きを突き詰めてるのかサービス業に徹しているのか全然わからない。で、その居心地の悪さにどうしようもなく安心する。
クライマックス手前のミュージカル・ダンス・アクションは悔しい気持ちになった。2年ぐらい前にこういうミュージカル・ダンス・アクション映画の企画書を書いていたので。もしかしてその企画書が流出してマシュヴォンに乗っ取られたのかもしれない。やめてください。
その後の大虐殺シーンも『キングスマン』をもっとくだらなくしたようなバカバカしさで、ニコニコ笑顔で「バカだなあ」と思いながらスープまで飲み干したタイミングで「追い飯も三合ぐらいありますよ!」と言われているようなクドさ。この正気の沙汰ではない山盛りのサービス精神こそがマシュヴォン映画。暗礁に乗り上げてるぽいけど何とかキングスマン3だけは必ず撮ってください。
『FLY!/フライ!』《3D版》
3D版を観るために駅から徒歩20分の田舎の映画館に行った。なんの責任感なのかいまだにひっそり3D上映をし続けてくださるイオンシネマ様には感謝し切れません。
イルミネーション映画でしか得られない、あの「小気味の良いいい加減さ」をたっぷり満喫した。前提から成立してない雰囲気プロットにはちょっとだけ引いたけど、信じられないぐらい3Dの使い方が巧みだった。この点では同じく2024年に観た『怪盗グルーのミニオン超変身』に勝っている。
基本的に3D映画といえばハイスケールなファンタジーものと相性が良い的な社会通念があるが、実際のところ3Dは閉所だったり物体が密集している空間での撮影のほうが効果的である。だから「鳥が空を大冒険する」この映画は実は3D映画にするのは案外難しい。
でも、この映画は嘘みたいにカメラに近い距離にたくさんの小さな雲を配置して(たぶん実際に空を飛んでもああ見えるはずはない)、本来は無望遠であるはずの空という空間をわざとらしく閉所的に見せている。しかもシチュエーションが単独飛行じゃなくて基本的に集団飛行だから、鳥と鳥の距離感を立体視で親密に感じることができる。
イルミネーションお得意のライドアトラクションみたいな派手な主観映像もモリモリにあるし、鳥のくちばしの飛び出し効果で会話の緊張感を高めたり等、いちいち芸が細かくて素晴らしかった。『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』があまりに凡な3Dだっただけに、やっと「これぞイルミネーション!」と思うことができた。
『オッペンハイマー』《IMAXレーザーGT版》
必ず寝てしまうだろうなと思って、前日にたっぷり寝てから観に行ったのにやっぱり寝た。よくわからない人がよくわからない話をたくさんしていて、あまり面白くなかった。池袋のIMAXレーザーGTに観に行ったけど、オッペンハイマーのコスプレをしている男性客がいたのが非常に印象的だった。非常に印象的でしたね。
ホイテ・ヴァン・ホイテマの70ミリ芸には毎回感動させられるので、今回もそういう意味での期待が大半を占めていたんだけど、それも期待外れだった。
70ミリ撮影映画は、70ミリのフレームサイズでどんな画を作るのかと同じぐらい、(基本的に映画全編を70ミリで撮影することは難しいので)どのシーン、どのショットを70ミリのフレームサイズで撮影をするかという取捨選択がクリエイティブで、作り手の個性が出ると思う。
その観点で、この映画は本当によくわからなかった。とりあえずシーン始まりのマスターショットをザッと70ミリで撮っといて、抑えで35ミリ、みたいな作業感が本当にマジで嫌。あの『インターステラー』や『TENET テネット』の華麗なフレームサイズ変更捌きのキレはどこに行ってしまったんだろう。
今回は古巣のワーナーじゃないから制作の勝手が変わったのか、もしかしたら予算的な都合もあったからかもしれないけど、今最もIMAX撮影映画の未来を背負っている監督の最新作であることには変わりないはずで、こんな中途半端なものを見せないでほしいと思ってしまった。
『ミッシング』
吉田恵輔監督の映画は高校時代に『ばしゃ馬さんとビッグマウス』に出逢ってから大好きで、他の監督とのオムニバスみたいなの以外は全て観ている。それで全作が最高に面白い。こんな監督っていない。本当に頭があがらない。
これも信じがたいぐらい面白かった。それでパンフが異常に充実していて、脚本も丸ごと掲載されている。それで脚本を読んでみたんだけど、語弊を恐れずに言うと、そんな「信じがたいぐらい面白い」脚本とは思えなかった。
つまるところ、この映画の魅力のほとんどは演技と演出にある。魅力的な演技と演出を引き出すための電子回路がみっちり計画されているという点で、信じがたいぐらい面白くはないけど素晴らしい脚本なんだなと思う。
自分でも脚本を書いていると陥りがちなんだけど、脚本は読み物ではない。設計図だ。どんなに素晴らしい脚本でも基本的には文学的価値はなく(あるべきではなく)単体で世に出すものではない。でも、こういう素晴らしい脚本なしに良い映画は生み出されない。しみじみ、脚本執筆って奇妙な作業だなと思う。
『怪盗グルーのミニオン超変身』《3D版》
最高に楽しかった。楽しすぎて観終わってから三日間ぐらい「楽しかった~」と独り言を言っていた。高校時代から追っかけていた怪盗グルーシリーズが遂に一区切りついた。ウェルメイドなディズニーアニメとも立派な風格のドリームワークスとも距離を置き、延々とファミリーカートゥーンをやり続けてきたスタジオのドル箱シリーズ。最後の最後まで「とりあえず楽しく」「細かいことは置いといて」そして「小気味良いいい加減さ」だった。
ミニオン達がスーパーパワーを手に入れてアッセンブル!みたいなMCU映画のパロディを後半あたりから延々とやってるんだけど、それがメインプロットと一切絡まず、ストーリー進行に何ら貢献せず、ただ楽しいだけ。もちろん過去シリーズを観てなくても楽しめる。どれだけ悪意を込めてそれをやってるのかはわからないけど、何にせよ正しく「ファミリー映画」だなと思った。
これもわざわざ3Dで観に行ったんだけど、小学生ぐらいの男の子がRealD社の3Dメガネをかけて映画館のロビーを走り回っているのを観て、ちょっと泣きそうになった。3Dはまだ生きている。別にいらないっちゃいらないのにマイ眼鏡に付けれるクリップ式3Dメガネも買って帰った。
最近は3D映画はもうほぼIMAXかドルビーシネマでしか観れなくなったけど、あの2つは3D上映設備が高級すぎてVR体験的なものに接近しているような側面があると思う。スクリーンの奥に本当に空間が広がっているように見えるから。
それに対してイオンシネマで観るRealD方式の旧来の3D上映はスクリーンも通常サイズだし、ちょっとクロストーク(映像が二重に見える3D映像特有の現象)も見える。でも、それが「今、自分は立体映像を観ている」という確固たる感覚を与えてくれる。巨大な窓でバーチャル空間を観ているのではなく、左右の目で違う映像を観ているんだなという。これがリュミエール兄弟が観た景色か!みたいな。
『エイリアン:ロムルス』《IMAXレーザー版》
先日『ターミネーター2』を観返してたんだけど、やっぱりあの時期の"必要に駆られた"特撮とこの映画の"やりたいからやってる"それは完全に別物だなと再認識した。
今の時代にあえてVFXを使わずにミニチュア撮影で、というのは正直めちゃくちゃワクワクするし観てて興奮した。でも特撮で再現不可能なシーンはVFXでできる、という保険がそこにはやっぱりあると思う。実際、クライマックスのデカいスペクタクル画(エイリアンの体液浮遊)がゴリゴリCGだったし。やっぱり初代『エイリアン』の色気みたいなものは、どう頑張ってももう二度と創り出せないものなんだと思う。
ただノーランやタランティーノのアナログ志向とはまた別のロマンを感じたのも事実で、きっと重役の「CGでやれ」の重圧も相当あっただろう中で、ちゃんと本物の汚いよだれを垂らしたエイリアンを撮影したフェデは本当に偉大。ここでリメイク版『死霊のはらわた』の再評価の流れが来る。
『ビートルジュース ビートルジュース』《IMAXレーザー版》
まだ映画が好きだとか撮りたいだとか思ってもいなかった小学生の頃に観た『チャーリーとチョコレート工場』が忘れられなかったり、童貞を拗らせすぎて半分気が狂っていた頃にバートン展の画集をずっと模写していたりと、とにかくティム・バートンには思い入れが強い。
バートンはデビューからしばらくは孤独おじさんを慰めるような臭みの強い映画をたくさん撮ってきたが『ビッグ・フィッシュ』の頃から明確に「(本人なりの)観客が観たいであろう映画」を撮る努力をしてきたように思う。
その集大成が『ダンボ』で、批評家受けをちょっと狙いに行っているんじゃないかと思うほどに的確で丁寧な演出とストーリーテリングに居心地悪さと感動が半々、みたいな気持ちになっていた。
その流れの新作として観に行ったら、なんと初代『ビートルジュース』ぐらいいい加減な演出をしていてびっくりした。ネトフリの『ウェンズデー』がかなりセラピーになったというのはインタビューで知ってたけど、ここまで子供還りするのはちょっと衝撃。引退作かと思うほど良い意味で投げやり。
キャラクターの興味でどんどん画を積み上げていって、いわゆる「シネマ」とは程遠いほど安っぽい画で楽しげに好きなものを好きなだけ撮るバートンに胸がギュッと締め付けられた。バートンが映画と出逢って、映画監督になってくれて本当に良かった。
ヘレナ・ボナム=カーターとは何かいろいろあったみたいだけど、こんな変な撮影に付き合ってくれる新しいパートナーとも無事出逢えたみたいで。バートンが幸せそうで何より。
ただ、子供還りとは言っても実際は巨匠なわけで、要所要所の鋭いショットにため息が出る。ただ、それも『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』ほどじゃないのが良い。このまま引退しても納得がいくし、しなくてもそれはそれで楽しみ。このままもっと変な映画を撮ってください。
あとIMAXリバイバルの『インターステラー』も観て、その感想は前に書いた。この記事、少しだけバズって少しだけ気分が良くなりました。ありがとうございます。
あとは旧作もたくさん観た。というか人生で一番映画を観た一年だったかもしれない。『氷の微笑』『アレックス』『カジノ』『ピーウィーの大冒険』『チップとデールの大作戦 レスキュー・レンジャーズ』『ピノキオ(2022)』『6アンダーグラウンド』が最高でした。いろんな作家、いろんな映画があるなと思いながらも、自分はやっぱり何がなんでもゼメキスとキャメロンが好きなんだなと思う2024年でした。
2025年は映画を撮る。先日オーディションをして、久しぶりにいろんな俳優の人と会話をして「この人を主演にこういう映画を作りたい」みたいに前向きにアイデアがぼんぼん出る感じを久々に感じて(去年は新しい人とほぼ出逢わなかったから尚更)、やっぱり人と出逢うのっていいもんだなとか月並みなことを思ったりしました。2024年よりかは良い一年になりますように。