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セール完走!
タイトル通り、無事四日間を終えました。
二日目が一番落ち着いていたような気がします。と言っても若干ですが。
レジにお金がどんどんたまっていくのが見えて、夏のセールの繁盛ぶりを実感しました。
四日間ずっと買いに来た常連さんもいて、暇だなぁと心の中で軽く笑い飛ばしていました(失礼)。
今日までの5日間に読んだ本は、こちら。
古屋星斗『なぜ「若手を育てる」のは今、こんなに難しいのか』(2023.11、日本経済新聞出版)
小泉武夫『小泉武夫のミラクル食文化論』(2013.5、亜紀書房)
パトリック・ハーラン監修『今が見えてくるアメリカ合衆国50州図鑑』(2024.2、ナツメ社)
小島信夫『私の作家評伝』(2024.3、中央公論新社)中公文庫
今しがた読み終えた本に、興味深い箇所がありました。
自分が「小説」から離れてゆくのか、「小説」の方から自分を見放したのであろうか、どうも書けなくなってきた、と浩二〔宇野浩二、引用者〕は『思い川』の中で大正十二、三年頃のことを回顧している。(中略)『蔵の中』が大正八年で『苦の世界』が翌年の九年だから、それから四、五年たっている。室生犀星にそのことをいうと、文壇に出て五年持ちこたえれば大丈夫だ、という。しかし浩二は、七年たとうが何年たとうが、そんなことは何の保証にもならない、そういう年数のこととは違うのだ、という。
犀星のことを、「なにごとも、一途にかんがえ、剝き出しにものをいう質の人」だ、とも書いている。一躍流行作家となって、角力の番付でいうと幕内に入り、当時の金で七、八万の財産をもっているのと同じくらいになっていると自他ともに許している。
室生犀星研究者である恩師が、宇野浩二の『蔵の中』は読め、と言っていたのを思い出しました(学生時代に読みました)。