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ひそひそ昔話-その14 2004年のライトフライ-

恐れるべくは、ライトに届くフライボールだった。絶望するべくはグローブからこぼれ落ちるであろうソフトボールだった。冬至の近い日曜日の夕方、紅白試合は佳境を迎えていた。
傾いていく太陽が僕の影をどんどん引き伸ばしていくのが分かる。僕は自分が日時計の一部になったように感じる。僕はその針なる自分の影に向かって早く4時を刺せと念じる。その鋭利な針の先でそいつを刺し殺せと強く願う。それが即ち練習の終わりの合図だからだ。
右打ちバッターよ、ここまで打たないでくれ。
ピッチャーよ、どうにか抑え込んでくれ。
ファーストに、セカンドよ、絶対にエラーしないでくれ。なんとしてでも死守してくれ。ライトを守る僕のグローブの中の左手は酷く汗を掻いていた。

もしもここにフライが飛んできて、それをエラーするようなことがあれば、またチームメイトに陰で悪口を言われるだろう。年下の学年に口の悪いヤツがいて、きっと彼は「アイツは使えねぇ」と監督に進言するだろう。たぶん監督の方も同意見なはずだ。
「太っていてガタイは良いけれど、足も遅ければ、守備もできない。頭が悪くてルールも理解できていない。ハッキリ言って代打ですらお前はもう使えない」、そうチームメイトの前で言うのだろう。発破をかけて、僕に更なる練習を促したいのかもしれない。エラー&トライ。でもそれは理解されなければ、僕の心の深いところにまで刺さってしまう。
仕方がないだろう。できないものはどうやったってできないのだ。やりたくないことは、もうどうしたってやれないんだよ。


僕は、抱き合わせのような形でムリヤリ同じ少年団に入団させられた弟のことを想った。お前の兄貴はダメだと罵られ、自分のことではないことで不用意に傷つけられてしまう。何のために自分がそんな団体に所属しているのかも彼はきっと分かっていないのにだ。
それから、父母会の中で、母親はその立場を少なからず悪くするかもしれない。息子の不出来の罪滅ぼしとして、少年団運営のためのもっとくだらないことに身を粉にして働いてしまうかもしれない。米俵くらいの大きさのウォータージャグにスポーツドリンクや麦茶を満たして、それを週末の試合に持っていくような仕事だ。
はっきり言って最悪の状況だった。

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その夏、下り坂で自転車のバランスを崩し、盛大に転げ落ちた。僕は練習でも見せたことのないようなスライディングをした。見事な顔面スライディングだった。
それは皮膚科医の先生も同意見だったようで、ペロリと皮がめくれた顔の左側や、皮膚が綺麗に抉れた左の膝小僧や右の手のひらに消毒を塗りながら、「綺麗にズル剥けしたね」と感心したように呟いた。
この思いもよらないケガのおかげで、夏はずっと暇な毎日が過ぎることとなった。週末のソフトボールの練習に参加しなくていい代わりに、大好きなプールの授業は見学することになったのはとても残念だったけれど。それでも長く練習を休むことができた。もちろん、バーターである弟も休んだ。


休んでいる間に、自分は野球やソフトボールやそれに纏わる何もかもがいかに嫌いであったかというのを実感するようになった。汗水たらして、口の悪い粗野な連中と球打ちや球転がしをしているくらいなら、バックネット裏で落ちこぼれ友達と冬のゴジラの最新作について談義していたほうがずっと有意義だったなと大きくため息をつく毎日だった。彼とは幼稚園からの幼馴染であり僕はわりに仲良くしていた方だと思うのだが、彼は大きな問題を抱えていた。彼は学校中で嫌われていて、よくいじめられていたのだ(どうして誰もが彼をいじめていたのか、わからなかった)。学校じゃ周囲の目もあるから話さないが、週末、このバックネット裏でなら気兼ねなく話せる。彼との会話が週末の退屈でうんざりする練習において、数少ない楽しいことの一つだった。所属していた少年団の構成メンツはほとんどが僕たちとは違う小学校の生徒だった。だから、彼がいかに嫌われていようと、そして嫌われている彼と僕が仲良く話そうが、そんなことに関心のない人々だったというのもある。彼らはそういう行為が露見して小学校で自分まで仲間外れにされる心配をする必要さえないのだ。
間違いなく、根性なしで、臆病者で、怠け者の僕にとってはそれはありがたかった。小学校では、まだ僕の守るべき地位というのがやっぱりあって、そこの守るべき枠組みとやらに彼を入れることは難しいことだったから。
しかし、(やっぱりって感じなんだけど)なぜか嫌われる人間は、どこに所属していても誰かに嫌われてしまう。彼は僕が練習を休んでいる夏の間に退団してしまった。そういうわけでもうバックネット裏で彼とコソコソ特撮の話をすることはできなくなった。根性なしで、臆病者で、怠け者の僕が学校で彼に会っても、親しみを込めてゴジラの話をするようなことはないわけだ。僕は永遠のチャンスを失った。


ケガもある程度良くなり、練習に復帰すると僕はよりいっそう孤独を感じることとなる。高橋由伸のマネをしてワケも分からず青く長い竹をスイングしているときも、読むはずもない分厚いソフトボール教則本のコピーをファイリングしているときも、6年生に進級すれば軟式野球ボールで練習するのが楽しみだと騒ぐチームメイトを見ているときも。そんなもの、まったく、ちっとも、全然価値もないし、キョーミもないことだったのだ。

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願いが叶って、というべきだろう。ライトにフライは飛んでこなかった。あのぽんかんぐらいの大きさの球は、冬の太陽と重なることもなく平凡なショートゴロに落ち着いた。
そして僕はその日以来練習に顔を出すのを辞めにした。ここにいても結局、なにもかもがエラーだ。トライもない。


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この失敗から学んだ教訓なんて呼べるものがあるのかわからない。あるとしてもこの類いの失敗を、僕は以後16年間何度も繰り返すことになる。もはや教訓というよりは、約束された予言みたいに僕を縛り付けることとなる。
時が全てを解決するなんてのはまやかしだ。この絶望や恐怖のような感覚は、新たな姿形や声を手に入れて僕を貶めようとする。何度も何度も。まだライトフライをキャッチできていないから。

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