11/17の日記~楠木正成像、奇妙なステップ、性選択~
竹橋駅をその身に孕んだパレスサイドビルのファミリーマートで、僕らはなるべく度数の高い缶チューハイを選ぶことにした。檸檬堂、鬼レモン。
奥行きのない幸せを見せつけられるカラオケボックスのMVを背に、モヒートやラムコークを持って歌い騒いだ後、夜の皇居東御苑を散歩したくなったのだ。そういう気持ちの良い夜には、まだもう少しアルコールが必要なのだ。
ゲーム・ショウで、太陽は、北風に敗北した。そして彼は地平線の向こう側に去った。今、街には夜のカーテンが平等に垂れている。土曜日だというのに、まだ光り輝いている超高層ビルの、たくさんの窓から零れる光が、霧のように辺りをぼんやり支配していた。きっと皇居ランナーたちの何人かは、その存在を必要以上に燦燦と主張する、書庫のようなビルの中で、勤勉に働き、液晶画面に身を曝しているのだろう。全ては平日の真昼間に皇居を走って汗を掻くためなのだ。どこかで代償を払わなくてはならない。フレキシブルな彼らはきっと汗を掻くのが好きな生き物なのだ。
お濠から糞便のような酷い臭いが放たれるポイントを抜け、東京駅を遠くに確認した後、やがてクロマツ林の広がる皇居外苑の真ん中に、広場が見えてくる。戦場に忘れ去られたゆりかごか、あるいは棺桶のように、ベンチが違和感ありげにあったので、そこに座って缶チューハイを飲むことにした。ちょうど、駆け出しそうなほど精巧な楠木正成像を見上げる形になる。
夜空から出っ張った光り輝く”こぶ”のように、月がまざまざとその存在を主張していた。結局のところ、ゲーム・ショウを裏で操っていたのは私でした、と ほくそ笑まんばかりに。去っていった太陽の嘆きの光を我が物顔で反射していた。
「見ろよ、ナニに似ているな」プルタブを開けながら、友人は楠木正成像を取り囲む石柱を顎で指した。たしかに、これほどまでになく完璧に勃起した男性器のような石柱が立ち並び、像を囲んでいた。実際には、そんな花崗岩級の硬度を誇る完璧な男性器など存在しない。でも、僕らはそういう下らない喩えに笑った。酒に弱い僕らは、酷く酔っているのだ。それでなくとも、僕らはひどく愚かなのだ。
僕らが話すのは、大体が好きな音楽か好きなマンガか、故郷に置いてきた友達か、最後には好きな女の子の話だ。薬物問題や、政治腐敗やスタンガンや、軽減税率やミサイルなんかの入り込む隙間なんてこれっぽっちとしてないのだ。それよりは夢や希望にありふれた話だ。これは持論だが、シラフで夢や希望について語る奴はまず信用しない方がいい。
「NYにこういう広場ありそうだよな」
「そりゃあるだろう。きっとセントラルパークに」
大道芸人がひしめく秋のセントラルパークだ。
そう思うとなんだかとても愉快な気分になり、僕らは歌を歌いながら踊った。それはまず間違いなく奇妙なステップであり、不協和音とまではいかないが、微妙なハーモニーでもあった。だが、それでいいのだ。月の裏側を知りたいと思うような人間は、それほど多くはいない。
何度も言うようだが、僕らは酷く酔っていた。それでなくとも、僕らはひどく愚かなのだ。
僕らはその奇妙なステップを恥ずかしげもなく刻みながら、日比谷ミッドタウンのスターライト・ツリーを通り抜け、コリドー街へ躍り出た。スペイン料理(僕はスペイン料理が好きだ)や中華料理(僕は中華料理を好きだが、控えている)、タイ料理(僕はタイ料理が好きではない)の店なんかが整列している。
ここでは、純粋な欲望が店先に展示されている。人間社会の中でも”性選択”は行われるものだ。
男は、誰もかれもが前髪を上げ額を見せている。自分には隠すことなど何もない、清廉潔白そのものです、とでも言いたげに。クラッチバッグに、高級スーツ。ロレックスの腕時計。ガードレールに腰かけた女の子に声をかけている。女の子は、アンニュイな表情で選択権を行使する。
ユニクロで揃えたスキニーやGジャンに身を包む僕なんかには、そういう資格はないのだ。そもそもそういう甲斐性や度胸もない。
アホウドリの求愛行動のように甘ったるい言葉をまくしたてている集団を通り抜けながら、生態学や生物学や文化人類学でも学んでおけばよかったと少し後悔した。
「そういえばな、渋谷にうまそうなシーシャ・バーを見つけたんだ。今度あの子を誘って三人で行こう」
生ぬるい新橋駅のホームで、僕らは次の遊びの約束を交わした。ホーム転落事故のほとんどの原因は飲酒だ。いくら僕らが愚かであっても、いくら秋の夜長が優しくても、奈落に身を落とすことなんてない。夢や希望の話をするためには、少しばかり酔い続けなければならないからだ。