2018/3/31の日記~月9俳優、パジャマ男、下膨れ~
たとえば、朝、まだ重たい目をこすりながら姿見の前に立ったとしよう。そこに下膨れ顔のヨレヨレパジャマ男が映っているとしよう。それが月9俳優みたいな理想的な朝の寝ぼけ顔とはおおよそ違ったものだとして(いや、もちろん違うんだけど)、どのような言い訳をかけてあげるべきなのだろう?昨日寝付けにハイボール飲みすぎたからだ、とかYoutubeでトイストーリー3のラストシーンを見て泣き過ぎたんじゃない?と気の利かない言葉も聞こえてきそうである。
この頃は、アパートのフロア改装に伴う強制的な引越しにより、その準備に追われている。それは突然の通達で、少々理不尽というか、不運な時期というか、とにかく僕のこのまま地続きにあるはずだった日常を著しく脅かしかねない出来事だった。「俺は就職活動真っ只中だぜ!?勘弁してくれや」簡単に言えばそういうこと。
朝昼晩、ダンボールに荷物を詰め込んで、いくつかの就活関連タスクを片付けると相当疲れたみたいだ。気を失うようにベッドに吸い込まれ、覚えておくことすら許してもらえない夢を見終えた後のワンシーン。それが、冒頭。
気の利いた奴らが口を揃えて「よくやってるぜ。その下膨れも努力の蓄積だぜ」とわけの分からないことをつぶやく。気の利いた奴らというのは論理性の欠片もない言葉で他人を励ますことがあるが、それは疲れているときにこそ、より効力を発揮する。そして、言わずもがな、そのわけの分からん一言のおかげで姿見の自分に向けて複雑に眉を上げてみせられる。
「まぁ、よくやってるぜ。それにその下膨れは昔っからだぜ。心配することじゃあない」
本棚にあった時よりも、寧ろダンボールの中でこそ理路整然と横たわるたくさんの本を一瞥して、洗面所で顔を洗う。結局のところ、この1年間のささやかな出来事というのは、新しい何かに強制的に直面する年度末にして、ようやく取捨選択され、ダンボールに詰め込まれるみたいに理路整然と横たわる。
この一年間で得たのは、自分を見つめ直し自己をある程度肯定する能力だ。姿見に映る下膨れも、汚い洗面所の蛇口から流れる冷たい水でいくらかは萎んだ気もする。新調したスーツに袖を通せば、ほんの少しくらいは迎合すべき社会に適応できているようにも思える(それが良いと悪いとに関わらず)。立派に進んでいる気がする。立ち止まってはいない気がする。数ブロック先の信号機を気にするくらいには前を向けている気がする。
「まぁ、よくやってるほうだぜ」
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