《見学会》豊臣秀長(秀吉実弟、所領百万石)の居城『大和郡山城』・『高取城』と世界文化遺産推薦決定の明日香地方に遺る『古代アジアの国家形成過程の遺跡群』をめぐる

大和郡山城・高取城・片桐石州『慈光茶室』(呈茶)・西ノ京・薬師寺(東塔・西塔)・高松塚古墳・同壁画館・石舞台古墳・飛鳥大仏

大和郡山城

1.大和郡山から西ノ京薬師寺の塔をめざして
 豊臣秀吉の全国統一事業の過程で、これを陰で支えた功労者としては、まず第一に挙げられるのは秀吉の異父弟の豊臣秀長(1540一1591)で、秀吉政権を統率しながら各地に転戦し、その功により大納言に叙任、大和・紀伊・和泉を併せて百万石を領有するに至りました。その秀長の居城が大和郡山城、ついで高取城です。
 秀長は秀吉の小田原征伐の頃から病に罹り翌年天正19年に郡山城で死去、たとえば秀長在世なら、朝鮮戦役は阻止できたかなど取り沙汰されました。ついでながらNHK大河ドラマの再来年度は、彼を主人公として展開することになっています。

豊臣秀長居城『大和郡山城』~筒井順慶の築城豊臣秀長の拡張~
 織田信長を本能寺で討った明智光秀は、以前から順慶の居城大和郡山城の普請に協力してきた縁故などあって、当然のことながら順慶に対秀吉戦に加勢を求めました。しかし順慶はこの時「洞ケ峠」を決め込んで動かなかったことはご承知の通りです。その結果秀吉から大和一国を安堵され、順慶は本格的な郡山築城に着手しました。
 順慶の養子定次の時代に伊賀に転封に命ぜられ、代って秀吉の異父弟で百万石の大名の秀長が入ると、根来寺の大門を移して城門としたり、奈良中の家毎にごろた石20荷ずつの供出をもとめ、現在でも石垣の所々に礎石や石仏など転用が見られます。また奈良中の有力商家を城下に集めて十二町をつくるなど、商業の振興にも配慮しています。

片桐石州「慈光院茶室」とその庭園
 ~将軍家茶道指南「片桐石州」の庭園と茶室『慈光院』でお抹茶~
 大和河内に1万6千石を領した片桐石見守貞昌が父貞降慈光院菩提の為建立した寺。二畳台目席の茶室と書縁からの大和平野の挑望で知られています。

薬師寺と東塔・西塔
~凍れる音楽といわれる『薬師寺の塔』~

 寺は天武天皇が皇后の病気平癒を祈って創建された所やがて問もなく皇后は平癒されましたが、次に天武天皇が崩御され、皇后は持統天皇となり工事を継承され、着工後18年で完成しました。しかし薬師寺の全容が整ったのは次の文武天皇の代に続きすべて30年近い歳月が流れています。
 本尊は金堂の薬師三尊。塔は東と西塔のうち、西塔は享禄元年(1528)焼失して戦後ようやく再建されました。大和古寺には古塔は多くても、薬師寺のように各層に裳階を伴う構造はなく、そのため三重塔でありながら五重塔を越えて六重にも見え、朝夕光線により陰影が変化し、そのため凍れる音楽などとも形容されてきました。

高取城

2.山上の近世城郭『高取城』へ
~家臣屋敷まで山上に集中させた総石垣の城『高取城』~

 秀長は郡山城の「誌め城」の位置にあった高取城を本多正俊に命じて拡幅整備させ、本多氏が絶えた後寛永17年(1640)植村家政が入り植村家は幕末まで在城しました。山麓の壷坂寺からの比高は390mの山上に、秀長時代から江戸初期にかけての総石垣の城が展開しているのは壮観です。この城も山麓各地から石造建造物が徴用されています。築城当時、藩主居館が城内にある限り藩士も城の中やその周辺に居宅を集中するさせたので、高取城はこの旧例を現在に迄伝えている遺構としても貴重です。今回は壷坂寺よりタクシ-に分乗の予定です。

3.ユネスコ世界文化遺産へ推薦決定!
~明日香の古代国家建設関連遺蹟を見なおす~

 高取町に隣接して明日香村があります。その地は東アジアにおける古代国家の成立過程を示すただーつの資産とし、飛烏・藤原宮跡を中心に整備が続けられてきました。そして国の文化財審議会は去る9月9日、この一帯をユネスコ世界遺産の推薦候補に決定しました。二ヶ所の宮延跡をはじめ大和三山、壁画の高松塚古墳などの範囲が含まれます。今回は第2日の高取城見学につづいて、これら明日香の文化財を訪ねることにして次の各遺蹟の見学を予定しています。

・高松塚古墳と高松塚古墳壁画館
 昭和48年に内部から壁画や多数の副葬品が発見され、壁画はこれまでの装飾古墳の絵画ではなく中国思想によるもので他に類例がない。隣接の壁画館でその模写はじめ内部の構成を見学する。

・石舞台古墳
 日本最大の上円下方墳とされるが、封土は失われ巨石を積んだ石室が露出する。朝廷をしのぐ権勢を誇った蘇我馬子の墓とする伝承もある。

・飛鳥寺跡(安居院)
 蘇我馬子の発願で建てられ敷地は法降寺の三倍に及んだ。鋼造飛鳥大仏は釈迦如来座像で止利仏師作と伝え、日本最古の鋳造仏だが後補が著しく、顔面右手人差し指などに造立当時の姿が遺っている。

・伝飛鳥板蓋宮跡
 大化の改新(645)で蘇我入鹿暗殺事件の舞台となった史跡だが、戦後の数次の発掘調査では別に天武天皇即位(673)から持統大皇の藤原宮遷都(694)までの「飛鳥浄御原宮跡」とする説もある。

と き:令和6年11月20日(水)~21日(木)1泊2日
集 合:小田原駅西口早雲公像前午前6時40分受付開始7時00分出発
バ ス:2日間専用改正バス事業法にしたがって運行足柄観光バス
会 費:50,000円(一般51,000円)
バス借上代・道路通行料・駐車場使用料・拝観見学料・ホテル宿泊料・同朝食代・傷害保険料・高取城タクシ~分乗代・傷害保険料等を含む(往路の昼食とタ食、帰路の夕食は各自ご支弁ください)
宿泊:『東横INN天理駅前』電話0743ー68ー1045(主として個室)

行 程:第1日→(東名)→名古量→(東名阪)→伊賀上野→天理→大和郡山城→慈光院片櫓石州茶室→西ノ京薬師寺→奈良(泊)
第2日→高取町→高取城→明日香村→高松塚古墳→同壁画館→石舞台古墳→伝板着宮跡→飛鳥大仏(安居院・本元興寺)→大理→伊賀上野→帰路へ

案 内:田代道彌・山本篤志・石井正義・守屋昭夫ほか会員有志
持ち物:雨具ストック筆記用具など
申 込:お申し込み順に受け付け、定員に達すると締切となりますのでお早めに。
ハガキ・Fax、その他で氏名、年令(保険用)、住所、電話番号をお一人ずつ明記して下記にお申し込み下さい。
 満席の場合のみ、状況を連絡申し上げます。それがない時は当会がお受けしたものとされて、当日定刻にご集合下さい。

小田原の城と緑を考える会事務局 守屋幸子
〒250ー0042 小田原市荻窪531ー8
Fax:0465ー35-2266
SMS:090一8100ー2266(通話不可)
メール:odawarano46to3dori@gmai.com

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