野中婉の住居跡に偶然来た/土佐の偉人
新年会の宿泊先は高知市朝倉の知り合いを頼った。
そこの近所の何かの遺跡後に車を停め、
路面電車で、高知市中心部に向かった。
この日(2024年h1月25日)は北風が寒かった。
翌朝、帰ろうと車の近くに行くと、
その車を停てあるところが
野中婉の住居跡の遺跡だと分かった。
立て看板に何か書いてある。
なんと、土佐の偉人、野中兼山の娘だという。
そして日本で初めての女医。
重臣として善政を主導した野中兼山だったが、
権力闘争で負けて、
一族は40年間幽閉され、
一族の男子が死に絶えいなくなったので
娘の婉は幽閉を解かれ、
女医として自立し、世のために尽くしたという。
知らなかった。
野中兼山は確か小学校の社会で学んだきりだった。
漫画家「はらたいら」の生まれ育った土佐山田町神母木(いげのき)に山田堰と言うのが20、30年前まであった。
物部川に山田堰を作って香長平野に水を引き、
土佐の高知で米の二期作を盛んにした偉人だと覚えていた。
娘もすごかったんだ。
「婉という女」は確か大原富枝の代表作である。
碑があったので、写真を撮った。
石段を上がると
車が10台ほど、とまりそうな空き地があり、
時間ができたら何が書いてあるか読もうと、左回りに、碑文の写真を撮った。