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人は徒花になって良い

私は、「人は徒花(あだばな)になって良い」とはずっと思ってこなかった気がする。

今朝NHKのラジオ深夜便で、今陽子が出ていた。
半世紀前に「恋の季節」と言う歌で大ヒットを飛ばしたピンキーとキラーズのメインボーカルだ。

彼女は歌やミュージカルという場に身を置くことに
人生の意味を見つけたようだ。

その話を聞きながら、自分を反省してみた。

私は才能のある人が子孫を残さないのが勿体無いと思う習慣があった。

今後もそんな事象を見るとそう感じることは変わらないだろう。
私がそう思ったからといって他人の人生に介入できるわけではない。
ましてやそれが過去のことなら尚更だ。

その優秀かも知れない遺伝子資源が勿体無いのだ。
農業の発想なのだろうか?

勿論、人がなんらかの適時を得た行動や歴史に名を残すことや様々な偉業などをなすことが
遺伝子だけのせいでないことはわかっている。

その偉業などの内容によっては、特に遺伝子に依存する部分は少なかったことも多いのだろう。

考えてみれば、農作物、特に果樹は徒花が多い。

しかし、その多くは実際に実をつける花より見窄らしい場合が多い。
気がする。

人間の場合は、ある意味それが真逆になる。

子孫を残さないだけで徒花のように私が感じている

その人は大輪の鮮やかな花を咲かせる。

ほとんどの実をつける花(そこら辺の人)が見窄らしいと思えるほどに。

「流れる星は生きている」を書いた藤原ていの息子が昨日のラジオに出ていた。

彼の両親の子を残そうとする信念は、

私の思う遺伝子をよく保存した例に思える。

彼らは満州に住んでいた。
父親は気象台の管理職だった。
そのためソ連の進行を事前に知った。

そこで、妻と幼児二人と生後2ヶ月の赤ん坊を
ハルピンの駅に連れて行き、
朝まで校内で過ごした。

そして妻と子供を日本に向けて出発させた。

責任感の強い父親は気象台に戻り部下を守ろうとした。

ソ連軍の侵攻は次の日に控えていたのだ。

母親は1年半ほとかかって、物乞いなどもしながら、
実家に子供たちを無事連れ返した。

どちらも、個別にあり得ないくらい低い確率だ。

そして、その逃避行を書いたのが

「流れる星は生きている」藤原ていの作品で

彼女は当時のベストセラー作歌になっった。

そしてその家族の在り方が、

この息子(数学者でプレイボーイで作歌?)の才能を育て社会的地位を築いて

子や孫も増え、子孫も繁栄している。

こちらは徒花ではない。

その両日の人の生き方の彼我の差が

私の中に何か変化を起こしたような気がする。



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