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生きる伝説、ムエタイジムをオープン~カオサイ・ギャラクシー

サワディーカップ

(2021年12月5日に某サイトに掲載)

タイの過去、現在を通じて、最も有名で、実績のあるボクサー(国際式ボクシング選手)は誰でしょうか。

タイ人や、日本のボクシングファンに尋ねたら、その大部分は「カオサイ・ギャラクシー」の名前を挙げると思います。カオサイさんは、80年代中盤から90年代初頭に掛けて、WBA世界スーパーフライ級(ジュニアバンタム級)王座に君臨し、19回連続防衛を果たしました。

その功績は世界で評価され、国際ボクシング名誉の殿堂博物館で、アジア人ボクサーではファイティング原田さんに次いで2人目に殿堂入りしました。そして、1991年にプロボクシングを引退すると、その後は芸能界などで活躍されました。

そのカオサイさん、引退から30年を経て、この度、バンコク・ラチャダーピセークのラチャダーデンタルセンター、歯医者の建物の三階で、カオサイ・ギャラクシームエタイジムを始めることになりました。

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今回はカオサイ・ギャラクシームエタイジムに訪問させて頂き、現役時代のエピソードやにオープンしたジムについてお話をお伺いしました。

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ジムオープン日のまさにオープン時間・午前10時に訪問したところ、ジムには早速、入会希望の練習生が現れていました。やはり「カオサイ」の名前は偉大だと感じました。

さっそく契約トレーナーの勧めで、練習を始めた入会希望者に、カオサイさんは優しい視線を向けていました。

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カオサイさんの現役時代について、多くのボクシングファンが知っているエピソードになるかもしれませんが、故郷のペッチャブーン県で5歳からムエタイを始めたカオサイさん、ムエタイのデビュー戦は50バーツ(150円)だったそうです。

バンコクに進出し、プロボクシングに転向後は30戦を戦って、負けは1つ、そこから世界王座決定戦に出場しました。

WBAジュニアバンタム級世界王座(現スーパーフライ級)獲得後、19度の防衛戦を行いましたが、各試合の印象などお伺いしたところ、何度目の防衛戦で誰と対戦し、どういう内容だったかを、それぞれを鮮明に覚えておられました。

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一番強かったのは11度目の防衛戦の相手、アルバート・カストロだったといいます。2度目の防衛戦のラファエル・オロノも難敵だったとのこと、18度目の防衛戦で対戦した後の世界王者、デビッド・グリマンも非常に強く、テクニックがあったそうです。

デビット・グリマン戦は観客が最も押しかけた試合であり、屋外の試合でしたが、近くの木や鉄塔に登って観戦する人もいたほどでした。この試合はWOWOWエキサイトマッチで日本で中継され、私も当時観た記憶があります。(現在はYOUTUBEでも観ることができます)

カオサイさんの現役時は、世界タイトルマッチのテレビ中継時は、道路の渋滞がなくなるという話が有名ですが、この頃(1990年頃)がカオサイ人気のピークだったようです。

カオサイさんは日本でも二回、松村謙二さんとの防衛戦を行っていますが、年配のタイの方は、ケンジという日本人の名前を聞くと、必ずケンジ・マツムラか?と聞くほどで、対戦相手の名前もタイ人皆に覚えられるほどでした。松村さんについては「神戸での防衛戦後、10年ぐらいして日本に行った時に再会する機会があった。プロゴルファーを目指すと練習していて、驚いた。懐かしい。」と訪日時の思い出を語られました。

日本人選手については、世界戦では14度目の防衛戦でチェンマイで対戦した中島俊一さん、世界戦ではないですが、引退後に三ラウンドのスパーをした元世界王者の渡辺二郎さんについてももよく覚えているそうです。

渡辺二郎戦は「日本のファンがどうしても観たいからとMr.ジョー(ジョー小泉氏)に呼ばれていった。観光半分で楽しい旅だった」と語ります。

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お互い、引退してからのスパーリングですが、三ラウンドを通じてテクニックを出し合い、最終第三ラウンドにはヘッドギアを外して公式試合さながらの攻防を見せました。

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現役時代に話を戻すと、IBF同級世界王者のエリー・ピカルとジャカルタで防衛戦を行った時は、ピカル選手をKOした後に地元の観客が暴れて暴動のような状態だったというエピソードを教えて頂きました。

試合終了後に会場から退散するのに一苦労で、アリーナから控室に必死に戻って、そこからもなかなか出られなくて恐怖を感じたと言います。

そんなエリー・ピカル戦のインドネシアの他、幾つかの国で防衛戦を行っています。韓国での世界戦で勝ったタイ人ボクサーはカオサイさんが初めてだという記録もあります。

WBA世界王座獲得後の初の防衛戦は、カリブ海のキュラソー島で戦ったイスラエル・コントレラスが相手でした。「タイで最も遠いところで戦った世界王者」でもあるとのことです。

キュラソー島まで、タイから飛行機を乗り継ぎ、トランジットも合わせて4-5日掛かったそうです。コントレラスをKOで退けますが、コントレラスはその後、バンタム級で世界王者になりました。

防衛戦の相手で、韓国の金容江もその後、フライ級で世界王者になりました。ハードな防衛戦を19回成功した後、王座を返上してカオサイさんは引退しますが、「もう身体がいっぱいいっぱいだった。5歳くらいからムエタイを始めて、32歳まで毎日走って、トレーニングしていた。ずっと続けていたから、疲労が溜まっていた。もう十分だろうと思った」と話します。

引退については、当時のタイ国王陛下、ラマ9世に敬意を示して、「9」が付く、19回までと決めていた、とのことです。最終戦績は49勝(43KO)1敗でした。

現在は30代でもボクサーとして活動する選手は多いですが、30年前は30代で現役を続ける選手は、少なかったように思います。

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引退後に行っていた芸能活動については、コロナ感染拡大の影響もあり、現在は2年くらいテレビ番組へのレギュラー出演は自粛しているそうです。

以前、サーマート・パヤクアルンさん(元世界王者)とソムラック・カムシンさん(元オリンピック金メダリスト)で3人グループで歌手活動もしていましたが、コロナも落ち着いたら、また3人での活動も再開したいとのことで、非常に楽しみです。

「今、ラインか何かSNSでこの三人で番組を発信していこうと準備をしている。そしてこの三人では私がいちばん歌がうまい(笑)」と、今後の展開についても話されていました。

現在、YOUTUBEでカオサイ・ギャラクシーチャンネルも開始されており、そちらも充実させていきたい模様です。

カオサイさんは現在62歳で、「もう歳だから、YOUTUBEとか、パソコンとか全然わからん。でも、嫁さんがうまく色々やってくれる」と話します。

かつては日本人女性と結婚されていたカオサイさんですが、現在の奥様はカオサイさんの20歳年下のタイの方(ヌンさん)で、YOUTUBEにはカオサイさんと一緒に出演されています。

オリーブちゃん、カイムックちゃんの2人の娘さんもチャンネルでしばしば、姿を見せています。

今回、ジムのオープンに際しての場所探し、広報などはカオサイさんの奥様(ヌンさん)が担当したそうです。

カオサイさんはまだまだ体力は衰えておらず、ジムでは練習生のミットも持ちます。「ムエタイジムだけど、ボクシング練習したいならボクシングも教えるよ」とのことでした。


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12月4日に、カオサイ・ギャラクシームエタイジムのグランドオープニングパーティが実施されました。

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カオサイさんの門出を祝い、ボクシング元世界王者のチャチャイ・サーサクンさん、ポンサワン・ポープラムックさん、双子の兄のカオコー・ギャラクシーさん、元オリンピック金メダリストのソムジット・ジョンジョンホーさんや有名芸能人がお祝いに駆けつけました。

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オープニングパーティでは、カオサイさんはテレビ局の取材に冗談を交えて、楽しくジムの紹介を行い、マイクを持って率先して歌を披露していました。

カオサイ・ギャラクシームエタイジムについては、フィットネス感覚で通う一般会員がまず対象で「12月中はプロモーションで月3000バーツ、通常時に月に5000バーツ、会員が増えるようだったら場所を移してもいい」と、今後を考えられているようです。現在、二人のトレーナーがジムを手伝うことも決まりました。

「以前は他のジムでアドバイザーでまぬかれたりしていたけど、やはり自分のジムのほうがいい。日本人の練習生も歓迎するよ」とのことでした。

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カオサイ・ギャラクシーチャンネル(タイ語、渡辺二郎戦(スパーリング)について語る)

カオサイ・ギャラクシームエタイジム、Facebookのページ


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