大洪水の最中のタイで世界戦~2011年11月4日・WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ、スリヤン対名城信男
これまでタイで世界タイトルマッチを何試合も観戦してきたが、初めての観戦は、2011年11月4日にバンコクの国立競技場で行われた、WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ、王者スリヤン・ソールンビサイ対挑戦者5位名城信男戦だった。今回は、この試合のことを当時の写真と共に振り返ってみたい。
王者スリヤンに挑戦する名城信男の試合は、それまでに一度、大阪で見たことがあった。2004年8月7日に大阪府立体育館で行われたプロボクシングアジア大会という興行だったと思う。関西の有名ボクサーが一同に出場し、メインイベントはレブ・サンティリャン対丸元大成のOPBF東洋太平洋ウェルター級タイトルマッチだった。
この日、名城はアレクサンドル・ムニョスやポンサクレック・ウォンジョンカムの世界王座に挑戦した経験を持つ、格上の世界ランカー、本田秀伸と対戦したが、大方の予想を裏切り、本田を押し切って判定勝ち。5戦目で金星を上げた。
試合の後半になっても落ちないスタミナとその手数に驚かされた。二階級王者のファイティング原田、それより以前のピストン堀口などはこのような戦いぶりだったのではないか。名城の坊主頭の見た目もジャッカル丸山や旧日本兵を感じさせて、昭和の雰囲気がある。
その後、名城は8戦目でWBA世界スーパーフライ級王座を獲得し、二度防衛後にアレクサンドル・ムニョスに判定負けで王座を陥落、そして日本人対決となった王座決定戦出場のチャンスを掴み、河野公平との日本人同士の王座決定戦を制して王座を奪還し、冨山浩之介にKO勝ちして初防衛に成功するも、2度目の防衛戦でメキシコのウーゴ・カサレスに大苦戦のドロー、ダイレクトリマッチとなった、3度目の防衛戦でカサレスに判定負けして、王座を陥落した。
※2024年8月12日名城の王座遍歴を修正、冨山戦は王座決定戦でなく、初防衛戦、カサレスは2度目3度目の防衛戦で対戦。
その後、名城はWBCに鞍替えし、2011年2月にメキシコのトーマス・ロハスを大阪に招いて挑戦するも判定負けで三度目の王座獲得ならず。名城陣営は諦め切れず、ロハスに勝ったスリヤンに挑戦を交渉し、敵地のタイに乗り込んでの世界挑戦を実現した。大阪の六島ジム所属の31歳、この試合まで15勝(9KO)3敗1分である。
日本人の「元世界王者」がタイで世界戦のリングに上がるのは、この時がほぼ初めて。元世界王者の大物の日本人ボクサーが来るということで、タイのボクシングファンもこの試合に注目した。(それまで、世界王者の防衛戦は勇利アルバチャコフ、ファイティング原田、海老原博幸の例があり。また2013年には佐藤洋太も防衛戦を行った)
スリヤンは、この試合まで19勝(6KO)4敗1分。5戦目でフィリピンで、12戦目で韓国と共に敵地でWBOアジアパシフィックフライ級王座決定戦に出場(判定負け)するなど厳しいマッチメイクで鍛えられ、2010年8月にはタイでWBC世界フライ級王者のポンサクレック・ウォンジョンカムに挑戦する機会を得た。
ポンサクレック戦は判定で敗れたものの、競った内容で、陣営は再び世界へのチャンスを作り、スリヤンは見事それをものにした。
スリヤン対名城戦の試合会場はバンコク中心にある国立競技場内の体育館で、タイでよくある平日の日中の開催となった。(当時はボクシング世界戦は金曜の午後3時からのテレビ中継が多かった印象)ギリギリまで仕事をしていた著者は、急いで事務所を出て、バイクタクシーを捕まえて、国立競技場に向かった。
当時のことを思い出すと、7月から雨が多く、タイ全土で洪水の被害が深刻化していた。11月に入ると、バンコクに近いアユタヤやパトゥムタニにまで洪水が迫り、「バンコクが水浸しになるのでは」と、日々ピリピリした雰囲気だった。また日系企業が数多く入居するアユタヤ、パトゥムタニの工業団地は揃って浸水して大損害を被った。そんな中での世界戦は、延期や中止になるとも言われたが、決行された。
会場ではムエタイの試合も同じ興行で行われ、国際式ボクシングで内山高志のWBA世界スーパーフェザー級王座に挑戦した、ジョムトーン・チュワタナの試合(対増田博正選手)もあったが、こちらは観戦できなかった。当日はムエタイも含め、全10試合あり、メインの名城戦は、10試合目ではなく、3試合目。
入場料は無料で、集客の為か豚足ご飯(カオカームー)など食事も提供される大盤振る舞い。食事や飲み物が会場の入口で観客に提供されていた。ただし、外国人は入場料2000バーツを徴収するルール。タイ語で入場料無料、英語で入場料2000バーツと二重で表示されていた。
著者の見た目は日焼け具合が現地化されているせいか、入場時に「2000バーツを払え」と、係員に呼び止められることもなく、無料で入場することができた。ただし、同様のケースでタイのIDカードをチェックされる場合があり、その場合は否応なく外国人料金を徴収される。タイでは、このような二重料金はしばし見られる。
メインイベントの世界タイトルマッチに先立ち、二階の一番前の席に腰かけた私のすぐ下で、名城陣営が準備をしていた。ガウンを着てグローブをはめて臨戦態勢に入っている名城に、二階席から思わず声を掛けた。「名城!頑張れ!」と。名城は著者の言葉に気付き、「はい!」と、声を出して拳を振り上げ応えてくれた。日本人の観客も少ない中で声を掛けられ、驚いたのかもしれない。
リングに上がった両者は、スリヤンが大きく、体格差を感じた。22歳のスリヤンは若さに任せて、かなり体重を落とし、計量が終わると相当体重を戻しているのだろうか。
体格差があると、名城のパンチが入ってもあんまり利いているように見えない。そして、タイの観客は名城のパンチがスリヤンに当たっても無反応。逆にスリヤンの軽いパンチが当たると大歓声、、名城にとっては完全に敵地だ。
序盤、名城はスリヤンのジャブをよく喰らい、流れはタイ人ペースに。3-4回に名城が流れを引き寄せるも、すぐにスリヤンに戻ってしまう。名城がピンチとなる場面もあったが、ラウンド終盤は猛攻を仕掛け、スリヤンは必死にそれをかわすという図式で会場も盛り上がる。「日本人は、なかなかやるじゃないか」と、隣に座ったタイ人の観客は言っていた。でも、スリヨンが危機に至ることはない。
スリヤンはアウトボクシングを基本として、フットワークを使い、身体を良く動かす。強打はなく、崩せない、めちゃめちゃ強いという印象はない。名城は、愚直に前に出る。いやらしく、しつこくパンチを振るいラウンドが進む。
試合は最終回までもつれ込み、判定は119‐109、116‐112、115‐113の3-0でジャッジ3人は共にスリヤン勝利とした。名城は後半粘ったが、全体的に手数が少なかったか。本田戦では「これでもか」というほど手を出していただけに残念だった。
スリヤンは、3年ほど前、取材を通じて何度も会う機会があり、名城戦については「すごく根性があってやり辛かった」と語っていた。現在は自身のジム・SURIYAN BOXING GYMをバンコクのミンブリーに構えているが、今年(2024年)3月に、7年ぶりに現役復帰し、格下を相手に3連勝を飾っている。
スリヤンの持っていたWBC世界スーパーフライ級王座は、佐藤洋太、そしてシーサケット・ソールンビサイへと渡っていった。2013年5月に行われた佐藤洋太対シーサケットのタイトルマッチも現地観戦したので、また改めて紹介したい。
↓ ↓ ↓ スリヤン対名城の動画
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