日タイハーフのベッカム、ラジャダムヌン認定ミドル級王座の獲得ならず ~2023年9月23日のRWS
9月23日にラジャダムヌンスタジアムで行われた同スタジアム認定・ミドル級王座決定戦に、ベッカム・ビッグウィンチャンピオンジムが出場し、ブラジルのベント・レヴォリューションプーケット(ベント・エメルソン)と王座を争った。
ベッカムは、父親が日本人で母親がタイ人の日本タイのハーフとして紹介されている選手で、ブアカーオ率いる”チーム・バンチャメック”の一員とRWSが売り出している。
”ベッカム・バンチャメック”というリングネームでもあるベッカムは、これまで56勝18敗2分の戦績で、WBCムエタイのミドル級チャンピオンを獲得したこともある。RWSでは、5月28日にウクライナのオレクサンドル・イェフメンコと激戦を演じてドロー、6月30日にはルンピニースタジアムに登場して、One Championshipで、ブルガリアのアントン・ぺトロフに判定勝ちを収めている。普段は、プーケットのビッグウィンチャンピオンジムで練習の日々を送っている。
対するブラジルのベント・レボリューションは、これまで36勝5敗の戦績を誇り、現在はプーケットのレヴォルーション・プーケットムエタイジムに所属しており、ベッカムとは、プーケット対決でもある。ベントは身長は191センチで、178センチのベッカムを13センチ上回る。これまで、ブラジル人でラジャダムヌンの王座を獲得したものはいない。
絶対王者のダニエル・ロドリゲスが君臨し、RWSでトーナメントが行われるなど、ひとつ下のスーパーウェルター級は活性化している印象だが、最重量級のミドル級は、コロナ渦の影響もあり、ここ数年間王座は空位となっていた。
そんなミドル級王座戦であるが、前日計量でベッカムが160ポンドのミドル級の体重を0.8ポンドオーバーした。これにより、ベントが勝利した時のみ、王座獲得が認められる変則王座決定戦となった。
このミドル級王座戦の前日にルンピニースタジアムで行われた、ロッタン対スーパーレックの試合もスーパーレックが計量で2.3キロオーバーとして、各方面へ波紋を起こしたばかり。9月9日のRWSではブアカーオの3キロオーバー(前日に契約体重変更)もあったりで、ここ最近はムエタイ界で体重オーバーが目立っている。
0.8ポンド、約300グラムオーバーでならば、スーパーレックやブアカーオと比べて悪質ではないという声もあるが、体重オーバーには代わりはない。5回戦で行われたこのミドル級王座決定戦、ベッカムはベントの距離を潰せず、また、近づいてはベントの首相撲とヒザ攻撃にやられて、ベッカムはずるずるとポイントを失い、気付けば全てのラウンドを失う、50-45の完封負けとなってしまった。
ベントとの対格差にも悩まされたベッカム、練習を重ねて、再びRWSの、またはOne Championshipのリングに戻ってくることを期待したい。
ブアカーオはベント戦に先立ち、ベッカムについてこう語っている。「ベッカムは、いいものを持っており、必ずラジャダムヌンのチャンピオンになるだろう。彼は勤勉で熱心に練習を積んでいる。何よりも闘う心(闘魂)を持っている」
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タイの格闘メディアや、One Championshipの選手紹介ページなどで語られてきた、これまでのベッカムのストーリーも興味を引いたので、ここにまとめたい。
べッカムが幼いころ、すでに父と母は別に住んでいた。ベッカムは母と祖父母とタイの東北部のブリラム県で育った。12歳でブリラムでムエタイを始めて、試合にも出場し始めた。15歳の時に出稼ぎに出ていた母を追って、プーケットに移住した。
母のブリラムの実家は農家で、ベッカムと言う名前は、近所の人が付けてくれたニックネーム。見た目が日本人というより、西洋人のような顔立ちの為に、サッカー選手の「ベッカム」から名付けられたとのこと。
ベッカムはプーケット移住後に、一旦はムエタイから離れたものの、大学の学費を稼ぐためにプーケットのローカルファイトで戦い始めた。ローカルファイトでいい成績を収めたが、バンコクへ遠征するとなかなか勝てないという状況が続いたそう。
テレビファイト、チャンネル8で行われているムエタイスーパーチャンプに出場し、力強い攻撃を見せて、16連勝を記録し、ムエタイファンに名前を知られるようになったという。
ブアカーオとの関係は、ブアカーオがアマチュアムエタイ選手のタイ代表監督を務めた際に、ベッカムがタイの71キロ級代表として、シーゲーム(アセアンの大会)に出場し指導を受けたことがスタート。(タイはプロ活動をしている選手も、アマチュアの試合に出場するケースがある)
ブアカーオの主催するチェンマイのバンチャメックジムでトレーニングを積み、2022年のカンボジアで行われたシーゲームでは、銀メダルも獲得している。
ラジャダムヌンのリングにも立つベッカムだが、前戦は、6月30日のルンピニースタジアムでのOne championshipだった。One出場に際しての、ベッカムのインタビュー動画があったので、主な内容を紹介したい。
会ったことのない日本人の父が私のリングネームを見たら驚くでしょう。サッカー選手とも思うかもしれない。
戦い続ける一つの理由は、父と会う機会が得られるかもしれないからというのもあります。しかし、このまま会う機会がなくても問題ありません。
何故なら私にはおじいさん、おばあさんもいるから。もちろん母も。母はずっと私のことを、家族を助けて来てくれました。
私がおじいさん、おばあさんと住むようになってから、母は人生を戦うために出稼ぎにも出ました。中学3年の時に、私は母が出稼ぎしているプーケットに移ることを決めました。
そしてプーケットでは、一度はムエタイは引退したつもりでした。学校で放課後にサッカーの練習をしたり、そちらに行こうと思う時もありました。
プーケット・ラチャパット大学の1年を修了した時に、母は私に仕事を探してほしいと言いました。学業を続けるでも、お金が掛かります。
仕事はお金が稼げるのならば、何でもやろうと思いました。ただプーケットでムエタイが毎週土曜日に行われていましたので、これで稼いだらいいんじゃないかと、私でも戦えるか、聞きに行きました。
そしたら、会長は、すぐ10日後に試合を組んでくれました。(15歳の時から、5年間ブランクがあった)
One Championship への出場は、6年ぶりのルンピニーでの試合になります。これまでルンピニーでは2敗しているので、3回目となる今回は勝ちたいです。
One Championship のような舞台は、田舎の一人の子供が、人生をガラッと変える大きなチャンスとなります。父母や、祖父母に家を買って、養ってあげることができます。
私の家族の環境も、今よりも良くしていきます。今の家だって、雨が降ると屋根から大きな音がする。普段、練習がきつい時もありますが、おじいさんに連絡すると、おじいさんはムエタイが好きで、毎日ムエタイのテレビ放送を見ていると言います。私も試合をこなして、もっとテレビで戦う姿をおじいさんに魅せたいです。
練習で疲れたとしても、私たちは戦い続けねばなりません。おじいさん、おばあさん、金曜(次の試合)は勝つよ。良い試合をしてファイトボーナスをもらって、渡します。
このインタビュー後、無事にブルガリアのアントン・ぺトロフに判定勝ちを収めた。今後もベッカム選手には注目していきたい。
※ベント戦はYoutubeでの観戦、写真はRWSとOne ChampionshipのページやSNSより。photo from RWS and One Championship.
↓ ↓ One Championshipのベッカムのインタビュー
↓ ↓ One Championshipのベッカム紹介(タイ語)
↓ ↓ RWSのベント戦(1時間27分あたりから~)
↓ ↓ 6月30日のアントン戦
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