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普通の日に食べるものが普通に美味い幸せ

「美味しい○○」「オススメの○○」について尋ねると、遠方から買いに来る人で行列のできるお店やら、希少なため整理券が必要な商品やら、プレミアが付いた銘柄やらが挙げられる。「普通の日に食べるものが普通に美味い」という幸せも大事にしたい話。

人気を答えておけば間違い無い?

多くの人が知っていて、コスト(お金・時間・労力)をかけてまで手に入れたい人が一定数いるのだから、そりゃぁ人気を答えれば間違いはないだろう。わざわざ並んだ体験や、人気のものを食べているエピソードにより、前知識なく食べた時よりも美味しく感じる効果もあるだろう。

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もちろん、そんなものが味わえるんだったら凄く有難いことではある。でも、毎日行列に並んで買い求めることはできない。自分の価値観で言えば「普通の日に食べるものが普通に美味い」方が幸せだなぁと感じる。

はるばる遠方まで買いに行く高級食パンじゃなくて、朝起きて「パン切らしてたわ」と買いに行く近所の焼きたてパンが美味しかったら、とても幸せな事ではないか。

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特別な「ハレ」だけではなく、日常「ケ」に美味しいもの食べて幸せになりたい。下町の商店街に身を置くのは、日ごろ食べるものを底上げする選択だという捉え方もできる。

※馴染みの○○で適当に読み替えてね

ということを香川の友人に話すと、「パンのことはよう分からんけど、うどんに読み替えたら共感できる」と言うてた。

なるほど、私の住んでいる神戸は、パンの消費量が全国でも上位だから代表的な主食として話が成立する。そんなにパンを食べない人にとったら、パンを食べる時点で特別感があるから、わざわざ買い求めるのも理にかなっている。

逆も然りで、私が香川までうどんを食べに行った時点で特別な出来事になってしまう。それでも友人が普段から食べているといううどん屋さんは素朴で美味しかったのを覚えている。

パン、うどん、ごはん...何でもよいので日頃から口にしているに置き換えて読んでいただければ幸い。

人気の食べ物と日常の食べ物

「人気の食べ物」と「日常の食べ物」では、求められる特徴は違うんだろうなぁと思う。

「人気の食べ物」は、人に言いたくなるようなインパクトが備わっている。それが味であることもあれば、体験のタッチポイントとして現れる店構えとオシャレ感のギャップだったりもする。既に獲得した人気が人気を増幅する要素もある。たまの贅沢ならば、手に入れるためのコストはそれほど重要でなくなる。

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「日常の食べ物」は、慣れてインパクトによる効果が無くなってもなお飽きのこない魅力によって測られる。わざわざ人に言わない意味で、他人より自分の評価に比重が高い。コストをかけてまで選ぶかという天秤にかけられやすい。

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両者は必ずしもキッパリ分かれるものではないけれど、もし行きつけのお店が行列店になって行列を待つコストと釣り合わなくなれば、「日常の食べ物」ではなくなってしまうことはある。うどんを愛する友人は腹を立てると想像する。

嗜好品のSNS投稿は人気を増幅する

主食より嗜好品の方が「ハレ」を重んじる要素は強いし、ことさらSNSとなれば「人気の銘柄」を増幅する力が働く。

日常的に飲む日本酒に関しても、プレミアが付くような銘柄には憧れるけれど、いつもと言う訳にもいかないので自分だけの鉄板を見つけたいと思う。

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とは言え、手の届くところにあると人気銘柄を選んでしまう。

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私にとっては、セクシーおねえさんに目を奪われるくらい不可避なこと。

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もちろん、その日本酒そのものが美味しいというのは言うまでもない。

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それだけでは説明の付かない要素として、人気の銘柄であるという記号としての役割を利用している。

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平たく言えば「自慢になる」から、この瞬間も人気銘柄の写真を貼ってる。

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SNSのタイムラインには人気銘柄ばかり流れてくるし、周りの人のリア充ぶりばかりが流れてくる。私だって人気銘柄を投稿することもあれば、リア充ぶることもあるけれど、常にイケイケな訳がない。世の中の人もそうだろうと割り引いて捉えるくらいがちょうどいい。

日常の美味しさを発掘したい

プレミアが付いていなくても美味しい日本酒は沢山ある。嗜好は人それぞれ違うので、私にとって美味しい日本酒でさえあれば事足りる。ただ、私の味覚も成長中なので、味の分かる人が「美味しい」と言う味に触れて学ぶうちに嗜好も変化するかもしれない。だからいろいろ飲んでいる。

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いずれ、凄く美味しいのに簡単に入手できる「日常の日本酒」が見つかれば幸福度が高まる。暫定で地元の「大黒正宗」や山形の「山法師」なんかはお気に入りだけど、まだ出会えていない銘柄が鉄板になる可能性もある。だからいろいろ飲んでいる。

余談:日常の美しさも発掘したい

話は飛んで、ふと写真表現についても「ハレ」と「ケ」があるんじゃないかということを思う。わざわざ撮るに値する「ハレ」の写真がSNS上では人気投稿になる反面、みんながこぞって真似するため一瞬にして表現として消費される。

むしろ表現として生き残るのは、誰も撮らないくらいニッチだけど、私だけがその魅力に気付いている「ケ」の写真じゃないかと思っている。まだ具体的に「コレだ!」と言えるものはない。こちらも探索してゆきたい。

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