AI随筆「復帰プログラム 9月30~10月4日(13~17)」
13日目
全校練習の朝、風が少し冷たく感じられたが、校庭には元気な児童たちの声が響いていた。今日はマイクの調子が悪かった。教師たちは電波や電池の状態を確認し、機器の配置を見直した。こんな小さなトラブルでも、全体の流れに影響を与える。それが学校という場所だった。その日のうちに、何とか改善策を見つけて対処しようと心に決めた。
児童たちは、お辞儀のタイミングに苦戦していた。練習を重ねるたびに、少しずつ整ってくるのが見て取れるが、まだ完璧ではない。「はい!」としっかりと返事ができるかどうかも、練習の大事な要素だ。教師たちは、しっかりと声を出させることが、何よりも伝達を確実にするための第一歩だと感じていた。
「がんばろう」という声かけが、児童たちにとってはプレッシャーになりうるということにも気づいた。そんな時、「よい姿勢だね」「やり切ろう」といった、少しだけ角度を変えた言葉が、彼らの表情を柔らかくすることに驚いた。無理なく、それでいて自然に前向きにさせる言葉の力を感じた。
立ち上がりや「回れ右」の動作は、まだぎこちない。学級内での練習を通じて、少しずつ正確に動けるようになるだろうと期待を込めた。
教室では、教師の範読をノートに写すことに四苦八苦する児童の姿があった。耳で聞いて、手で書き取ることが苦手な子もいた。今後、彼らへの個別サポートが必要だと感じた。
算数では、今日の授業で出された「何百何十円」という問題は、実際のスーパーの値段に近い形で例を挙げると、児童たちはよりリアルな感覚で概数を理解できるのではないか。そんな考えが頭をよぎる。四捨五入や切り上げの概念も、実生活の中での応用を通じて教えていくことで、さらに深い理解が得られるだろう。
進出漢字の授業では、丁寧に1文字ずつ書き方と読み方を確認していた。児童たちを前後半に分け、片方のグループが読書をしている間に、もう片方のグループが漢字の練習を行う。この方法を導入することで、集中力を保ちつつ、モチベーションを高めることができた。声をかけ、丁寧に一つ一つを認めることで、児童たちの笑顔が増えていく。
国語の授業では、児童たちは「来てください」という手紙を書く練習をしていたが、彼らは「何のために」「どのように」書くべきかが曖昧なようだった。教師たちは手紙の目的やゴールを明確にし、児童たちが自分の言葉でしっかりと伝えられるようサポートする必要性を感じていた。
理科の授業では、静かに実験結果をノートに移し、班で交流する児童たちの姿が見られた。発表の時間には、相手の話をしっかりと聞こうとする姿勢が育っていた。そのような場面を、教師たちは一つ一つ認めていくことで、児童たちの意識がさらに高まっていくと確信していた。このような活動を繰り返すことで、児童たちは自分の行動が評価されていることに気付き、次の行動に自信を持ってつながるだろう。
運動会の練習では、特別な支援が必要な児童に対する事前の説明と計画が不可欠だった。例えば、前日から「明日は○○の活動があります」と具体的に伝えることで、児童たちはイレギュラーな状況に対する準備を整えることができる。また、1時間の活動内容やゴールを明確にすることで、一つ一つの努力を認めることができ、これが彼らのモチベーションを高める重要なステップになると感じていた。
どんなにイレギュラーな活動であっても、日々の積み重ねが大切であることを、教師たちは日常の中で児童に教え続ける。それが、子どもたちにとっての「やり切る」経験につながるのだと信じていた。
14日目
朝の会は、毎日スムーズに進行していた。子どもたちの顔にも、自然と安定したリズムが刻まれている。リコーダーの練習も短時間で集中して行うと、少しずつではあるが技能が身についていく。これを見ていると、他の技術も同じように、わずかな時間で習得できる可能性があると感じられる。
授業が始まっても先生が不在のとき、教室はどうなるだろうか。何もせず待っているだけの時間はもったいない。そこで、あらかじめルールを決めておくことが重要だと考えた。たとえば、教科書を使って自主的に学習を進めるように指示しておけば、ただの空白の時間が、自主的な学びの時間に変わる。子どもたちはそれぞれのペースで教科書を読み、次の授業に備えることができるだろう。
さて、学級は誰のために運営されるべきか。この問いに対して、もし先生のためだけに学級があるなら、子どもたちは指示されたこと以外は何もできなくなり、自ら考える力を失ってしまうだろう。先生の指示が子どもたちの気持ちにそぐわない場合、規律は崩れ、問題が生じる。一方で、もし学級が子どもたち自身のために運営されるならば、彼らの中には自然と「もっと良い学級にしたい」という目標が芽生えるはずだ。お互いに協力し合い、自分たちでクラスを作り上げていくことができれば、まるで一つのチームのように動き始めるだろう。そのために必要なのは、子どもたちが「理想の学級」を具体的にイメージできるかどうかだ。目標を明確にし、それを共有することで、自律的な行動が生まれるのだ。
算数の授業では、「概算」と「見積もり」という言葉の違いを理解することが大切だ。子どもたちは、切り上げや四捨五入といった概念に混乱しがちだ。だから、具体的な例を使って説明することにした。たとえば、最低限必要な量を知りたいときには「切り捨て」、おおよその値を知りたいときには「四捨五入」、お金が足りるかどうかを確認したいときには「切り上げ」が適している。このような実生活に即した具体例を示すことで、彼らの理解を深めたいと考えている。
国語の授業では、物語文を読む際、すべての語句に注意を払う必要はない。むしろ、登場人物の行動や心情に焦点を当てることが大切だ。「ごんぎつね」を読むとき、ごんの深い償いの理由を考えさせる場面がある。なぜごんはこれほどまでに後悔したのか。それは、ひょうじゅうを一人ぼっちにしてしまったことへの後悔からくるものだ。こうした深い心情を子どもたちに考えさせることで、物語への理解を促進していく。
理科の授業では、影と太陽の位置を視覚的に理解させるため、シールを使って太陽の位置を表現し、影の長さと立体感覚を結びつけて考えさせる工夫を取り入れている。また、日向と日陰の違いを子どもたち自身に体感させることで、五感を使った学びを大切にしている。光が集まる様子や、明るさが変わる仕組みに気づく楽しさを通して、子どもたちはますます理科に興味を持ち始めた。
図工の時間になると、忘れ物が多い子どもたちへの対応が課題として浮かび上がった。担任の先生が声掛けを強化し、必要であれば保護者への連絡も考えている。教科書や筆箱を常に持たせるようにすることで、忘れ物を防ぎつつ、整理整頓の習慣をつけさせていく。また、絵の具の使い方については、三色を混ぜることでさまざまな色を作り出すことの面白さに気づかせたいと考えている。色を作り続けることでパレットを無駄に洗わず、絵に集中できる時間が増える。そうすることで、より深い集中力を持って作品作りに取り組むことができるだろう。
書写の時間では、筆の使い方が重要だ。紙の表裏を確認し、穂先を揃えることや、筆を立てて書くことを繰り返し指導している。力を入れすぎてしまう子どもには、「もう少し力を抜いてみよう」と声をかけながら、書写の基礎をしっかり身につけさせていく。
このようにして、子どもたちは日々、主体的に学び成長している。クラス全体が一つのチームとして、助け合いながら前進していく姿が、何よりも大切な光景だと感じている。彼らが目指す理想の学級に向かって、これからも共に歩んでいきたい。
15日目
朝の会が始まると、放送を担当した児童が教室に戻ってきた。教室内に広がる拍手が彼を迎え入れ、その音がクラス全体に優しさや思いやりを伝えるようだった。みんなが自然とその空気に包まれ、穏やかな時間が流れた。
係の引継ぎの時間には、次の係を担う児童が前任の子を見つめ、真剣なまなざしでその動きを学んでいる。伝える力を養うこの瞬間には、責任感と協力の大切さがぎゅっと詰まっている。子どもたちは、自然とその意義を感じ取りながら、少しずつ成長していくのだろう。
書写の授業では、何度も筆を持つ手が止まる児童がいた。うまく書けずに諦めかけたその姿に、教師がそっと寄り添う。「一緒にやってみよう」と、声をかけながら、共に筆を動かしていく。児童がどこでつまずいているのかを見極め、筆の立て方、最初の位置、止めやはらい、跳ねる力加減まで、一つひとつを丁寧に確認しながら指導する。少しずつ、その小さな手に自信が宿り、表情が柔らかくなっていく。
体育の授業では、グループに分かれて準備体操が始まった。児童同士が意見を交わし、協力して体を動かす姿が見える。運動会の競技の作戦会議では、何度も試行錯誤を繰り返し、子どもたちは自らの手で成功への道を切り開こうとしている。スタート方法にユニークな工夫を取り入れることで、彼らは笑顔で競技に取り組む。楽しさが身体中に広がる瞬間だ。
特別支援学級の国語の授業では、漢字プリントやドリル、タブレット、そして机横のカードを使いながら、子どもたちが黙々と練習をしている。「はね」や「はらい」の細かい部分にこだわるより、形が整っていれば合格とし、そのことで子どもたちのやる気を引き出している。彼らの真剣なまなざしが、その場を包んでいた。
3年生の体育の授業では、並び方を覚えるのが苦手な子もいたが、繰り返し教えることで、少しずつ行動が定着していく。応援も、座って行うことを身につけさせるのに、時間がかかっているが、児童同士がお互いの気持ちを考えながら、少しずつその姿勢が見えてきた。ゴール後に並んで座る練習も繰り返され、競技の後もスムーズに行動できるようになってきている。
昼休みの教室には、いつの間にか児童たちが集まり、教師が付き添って見守っていた。トラブルが起こらないように気を配りながら、児童たちが安心して過ごせるよう、静かにその場を見守る教師の姿が印象的だった。
国語の授業では、「座ってください」という教師の声が何度も響いた。だが、児童たちはすぐに動けず、何かが止まっているようだった。それでも、クラス全体が協力して仲間のために動けるクラス作りを目指している。また、家族への手紙を書く活動を通して、大切な気持ちを文章で表現する力を養っている。長い間抜けていた文章指導の代わりに、日記を書く習慣を取り入れることで、文章力の補強を図っている。
4年生の国語の授業では、読みの弱い児童が縦読みを苦手としていた。早期発見ができれば、低学年のうちに指導を進められるだろう。児童たちは「ごん」の気持ちに寄り添い、がっかりしたり、気落ちしたりする感情に共感しながら、その物語をより深く理解していた。
しかし、私自身、特別支援学級で漢字プリントの参観や○つけを行う際、教室に入ることに対する抵抗感が強く、外での対応となった。また、支援員の先生とのコミュニケーションにも、精神的な壁があった。医師からは、教室に入る前に予測される状況を事前に把握し、それを伝えるようにとの助言を受けている。病院の対応についても、公的機関1か所だけでの対応が本当に適切かを確認してほしいと言われた。
今、この教室の外で立ち尽くす私の心には、まだ整理されていない課題が重くのしかかっている。
16日目
特別支援学級に入ることについて考えるとき、自分がその場に入ることでどのような変化が生まれるのか、どんな影響があるのか、はっきりさせる必要があると感じていた。心の奥底に潜む不安や疑問を軽減するためには、支援を段階的に進めることが効果的だろうと思った。まだ完全に支援学級に入ることができるわけではないが、自分にできる範囲で手を差し伸べ、少しずつ前進していくことが重要だと確信している。
次に思い浮かぶのは、社会科の授業の課題だった。「初発の問題提起」を行ったとき、児童たちの関心を引きつけることが難しかった。特に「古墳」というキーワードが、ただの「有名なお墓」という単純な興味に変わってしまい、期待していた祭りや建物、伝統的な文化への興味を引き出せなかったことが心に残っている。さらに、ノートのまとめ方に関しても課題があった。板書の内容が少なすぎて、児童たちがどのように情報を整理すればよいのか戸惑う場面があったのだ。もっと具体的な内容や数値を提供していたら、理解が深まったかもしれない。また、HPでの情報調査の際、同じ検索語句を使っても異なるページが表示されることがあり、児童にとって調査が混乱を招くものになってしまった。今後は、調べ方の実技指導を行い、より効果的なリサーチ方法を教える必要があると考えている。
特別支援学級の算数の授業も思い返してみる。あの時は、がい数の計算に取り組んでいた。確かめ問題を解く時間では、自分が〇をつけることができたのかもしれない。今後は、この点を調整していくつもりだ。平均の計算においても、児童たちは式を覚え出して計算していたが、0が含まれる場合の計算はしっかりとできていたことが印象に残っている。
国語の授業では、「ちいちゃんのかげおくり」の範読が行われた。児童たちは集中して範読を聞いており、自分も彼らに文章を目で追うように声かけを続けた。先生の範読は非常に効果的で、CDに頼らず、生の音声を通して児童たちに良質な学習体験を提供できたと思う。ただ、児童たちの感想文の力はすでに備わっていたものの、今後はさらに文章力を強化し、より豊かな表現力を身につけさせることが必要だと感じた。
昼休みの安全指導の場面も、忘れられない。児童たちは走り回ったり、物を振り回したり、人を押したり叩いたりしていて、その危険性を繰り返し注意した。それでも、彼らは危険性を理解しているように見えたが、実際に何が起こり得るのか、その結果についての具体的なイメージが不足しているのだ。彼らにとって事故が起きないことが「奇跡」であることを理解させ、将来的にはこのような行為が犯罪として扱われる可能性があることも伝えなければならない。特に、1年生のうちから継続的な指導を徹底することが重要だ。
総合学習の時間では、児童たちがロイロノートを使って大豆のまとめ作業に取り組んでいた。ICTを活用することで、効率的な学びが促進されたが、ローマ字入力に苦戦する児童も多く見られた。入力が難しい児童には、授業の時間内でローマ字入力の指導を行う必要があるだろう。さらに、ひらがな入力やフリック入力、音声入力といった他の入力方法も教え、多様な学習スタイルを提供することで、児童たちのスキルを伸ばしていけると考えている。
このように、日々の教育現場での経験を振り返ると、まだまだ改善すべき点や挑戦すべき課題が山積している。しかし、それらに取り組みながら、少しずつ前進していくしかないのだと感じている。
17日目
朝の会が始まると、教室には静かな緊張感が漂っていた。先生は、今日一日の予定を黒板に書きながら、一つひとつ丁寧に確認していく。その説明を聞きながら、子どもたちはそれぞれの机で準備に取りかかっていた。先生は、できるだけ具体的に話し、何を準備し、何を持っていくべきかを繰り返し伝える。子どもたちが焦らず、落ち着いて一日をスタートできるようにとの配慮が込められていた。
社会科の授業では、子どもたちに「ホームページの内容を固定し、その中から必要な情報をノートにまとめてください」と指示を出した。しかし、子どもたちの表情には戸惑いが見える。ホームページの文章が長すぎて、何を重要と捉えるべきかが分からないのだ。短い調べる時間と広い範囲に及ぶ地域の情報も、彼らの頭を混乱させていた。私は机間を巡視しながら、まとめが上手くできたところに丸をつけたり、赤線を引いたりして、少しでも彼らが安心して発表できるように工夫を凝らしたいと考えた。
中には「もっと調べたい」と積極的な子どももいた。私は、その子どもに「自主学習で続けて調べてごらん」と優しく促した。授業の最後には前時のまとめをプレゼンテーションで提示したが、結果的に言葉だけの説明に偏ってしまい、ビジュアル的な要素が欠けていたことが反省点だった。今後、子どもたちが資料やホームページから必要な情報を素早く見つけ、ノートに端的にまとめる力を養っていく必要があると私は強く感じた。さらに、地方の伝統や文化に興味を引き出し、街づくりや後継者問題などに関心を向け、人々の思いを理解する力を育てていくことも重要だと思った。
次の算数の授業では、割り算の復習が行われた。私は、課題への導入がやや強引だったことを自覚しつつも、子どもたちが「え?」「できない」「難しい」と感じた瞬間を問題提起のチャンスとして捉え、課題に結びつけていく姿勢で授業を進めた。60÷5の問題では、ある子どもが分配法則を使って答えを導き、学習が定着していることが確認できた。その後、割り算の筆算の方法も復習し、基礎力がしっかりしていることを実感した。
授業が進む中で、ある子どもは言葉で、別の子どもは十玉を使って問題に取り組んだ。考える時間が来ると、できた子どもたちがペアやトリオで考えを共有し、活発な意見交換が行われた。しかし、考えをノートにまとめられなかった子どもがいたことに後から気づき、今後、支援員と連携しながら、全員がしっかりとノートに書き込めるよう工夫が必要だと感じた。
特別支援学級では、私は3年生の算数プリントの学習をサポートしていた。子どもたちは答え合わせをしながら、私が一つひとつ丁寧に丸つけや理由の確認を行っていたが、その間、私には緊張感が漂っていた。特に待機中や作業中、どのように動けば良いのか分からず、戸惑った。廊下でのサポートであるからこそ、私が一つひとつ確認しながら対応できたため、子どもたちは徐々に自信を持って取り組めるようになっていった。支援員の協力もあり、少しずつだが、確かな支援の成果が感じられた。
国語の授業では、「ちいちゃんのかげおくり」の物語の中から1場面と4場面の違いを確認する活動が行われたが、子どもたちはどこに注目すべきか戸惑っていた。「何をすればいいんだろう?」と不安げな表情を浮かべている子どもも少なくなかった。今後、授業の始めに学習計画を一緒に確認し、安心して取り組めるよう配慮することが課題だと私は感じた。また、登場人物の行動の違いなど、具体的な視点を与えることで、子どもたちが理解しやすい形にしていく必要があると考えた。
授業が終わり、ふと子どもたちの机の中を覗くと、教科書やノート、折り紙、保護者からの手紙などが雑然と詰め込まれていた。鉛筆も筆箱に戻されることなく、机の中で転がっている。その光景を見て、私は「これを整理するのは簡単なことではないな」と心の中でつぶやいた。しかし、すぐに解決はできなくとも、クリアファイルを使って手紙や折り紙を整理する習慣を身につけさせ、少しでも机の中が整頓されるようにしたいと考えた。また、プリントも配布後すぐにノートに貼るように指示し、全員が机を整理できるようにすることが今後の目標だ。