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長編 「復帰プログラム1(23日目~40日目)

23日目

後期が始まり、新しい学期が幕を開けた。だが、驚くことに、教室内の日常はこれまでと何ら変わらず、むしろ安定していた。児童たちは、自らの役割が変わったにもかかわらず、その変化をあっさりと受け入れ、新しい役割を自然にこなしていた。クラス全体の雰囲気は落ち着き、まるで何事もなかったかのように、彼らは日々の学習に集中している。この安定した日々の中で、教師としての準備も対応も問題なく進められており、教師にとってはこれ以上ないほど素晴らしい状況だった。児童たちが自らの役割を理解し、スムーズに学級運営ができている様子を目の当たりにし、心の底から感動せざるを得なかった。これから、彼らのリーダーシップや協調性がさらに高まっていくのだろうと、期待せずにはいられなかった。

社会の授業では、前回の学びを振り返りながら、無形文化財に触れる体験学習を実施した。児童たちは、実際に体験することでその特別さに気づき始めた。体験の後にはVTRを視聴し、体験と映像を組み合わせて学びを深める時間を作った。すると、彼らの中には『長い伝統を守ることの大切さ』や『これからも伝え続けたい』という思いが芽生えた。そして、彼らは美しいものを作り上げるには、無形文化財が不可欠であることに気づき、それを守るための努力がどれほど重要かを理解するようになった。授業の最後には、児童たち同士が感想を共有し合い、文化の価値や継承についての意識が一層高まっているのを感じ取ることができた。

算数の授業では、割り算の商をどのように見積もるかを再確認する時間を設けた。児童たちは、単に割る数ではなく、割られる数を四捨五入できるという新しい視点を学ぶ学習であったが、自分の意見を表現するのが難しいと感じる場面がいくつもあった。教師がその都度補足を入れながら授業を進める中、特に『85÷20』や『85÷30』の計算で、一の位の取り扱いに戸惑う児童が多く見られた。そのような時、四捨五入を活用して計算を簡単にする方法を提案した。重要なのは、児童たちが多様なアプローチを試し、自分に合った方法を見つけることだった。授業後にノートを確認すると、彼らの多くがゆっくりと正確に計算を進めており、大きなミスもなく、自分のペースで学んでいることに教師として安心感を覚えた。

特別支援の国語の授業では、画数の多い漢字に対する苦手意識を軽減するため、書きにくい文字を大きな手本を用いて確認し直した。児童たちは、大きな文字を書き、手本をなぞることで、漢字の構造を視覚的に理解し、正確に書けるようになっていった。こうして繰り返し練習することで、彼らは次第に自信を持ち始め、学習への意欲も高まっていく様子が見て取れた。

図工の授業では、持ち物の確認が徹底された結果、忘れ物が大幅に減少した。授業はスムーズに進行し、児童たちの作品制作も順調に進んだ。忘れ物が少ないことで、児童たちはより集中して取り組むことができ、その成果は目に見えて向上していた。しかし、家庭の事情で持ち物の準備が難しい児童がいる一方、学校でのサポートにも限界があるという課題が浮かび上がった。

書写の授業では、児童たちは『丁寧に書きたい』という強い思いを持ち、意欲的に取り組んでいた。教師が筆の持ち方や動かし方を手取り足取り指導すると、彼らは自信を持って書写に挑むことができた。中には、一度の指導で理解する児童もいれば、何度もサポートが必要な児童もおり、それぞれに合ったペースで指導を行っていた。また、授業後には道具の手入れや片付けが疎かになる児童も多く、個別に対応しながら片付け方を教える時間を設けた。片付け方が分からない児童には、一つ一つの手順を丁寧に教え、道具を大切に扱う意識を少しずつ育てていった。

教師として、これらの授業を通じて児童たちの成長を見守りながら、日々の学びに寄り添っていることが、何よりも大切だと感じる瞬間が続いている。

24日目

朝の会の時間、教室は穏やかな空気に包まれていた。子どもたちは、委員会活動の報告を行うため前に立ち、しっかりと相手の目を見ながら挨拶をしていた。その様子を見て、私はほっとした。この挨拶は、これまでの日々の指導の成果だと感じたからだ。しかし、子どもたち自身も気づいていた。自分から先に挨拶をすることは、まだできていないと。彼らの自己評価に驚かされたが、その反省する姿勢に心から感心した。自分を厳しく見つめ、足りない部分を認められることは、何よりも成長の証だ。だが、これからは、その一歩先へ進む――自ら積極的に挨拶する習慣を身につけることが、次の目標になるだろう。私は、子どもたちの挨拶に対する意識をさらに高め、今後も続けて指導していきたいと思った。

4年生の書写の授業では、子どもたちは手本を見つめ、慎重に筆を動かしていた。書くことに対して真剣に向き合うその姿勢には、集中力と意欲が溢れていた。だが、その中でも始筆の動作や筆を立てる動作がまだ難しい子どもが多く、私は繰り返し声をかけながら指導した。言葉によるサポートでは、限界を感じる瞬間がある。手を取って教えたほうがよいのか、それとも彼ら自身に任せるべきか、そのジレンマが頭をよぎる。だが、私は彼らが自力でその動作を習得できるよう、さらに効果的な指導方法を模索し続ける覚悟だった。

運動会の前日、4年生の体育の授業では徒競走の練習が行われた。子どもたちは全力ではなく、軽く流すように走りながらペースを掴もうとしていた。その姿は、彼らの成長と共に、私にも印象的に映った。全力で走るのではなく、あえて軽めの練習を取り入れることで安全面に配慮した結果、充実した時間が過ごせた。だが、今後を考えると、彼らの靴の履き方に対してもう少し注意を払うべきかもしれない。安全面を最優先に、走るスピードを上げるためにも、靴の指導を強化する必要があると感じた。また、団体競技の練習では、エンビの棒が滑りやすいことが気がかりだった。怪我のリスクを避けるために、滑り止めの使用を検討しなければならないだろう。

特別支援クラスの図工の時間には、子どもたちと共に絵の具を使って色塗りを楽しんだ。彼らは私の指示を守り、丁寧に色を塗り進めていたが、絵の具の扱い方や片付け方に戸惑っている様子だった。その場で具体的な指示を出し、片付けについては担任の先生に引き継ぐことにした。今後は、絵の具の使い方だけでなく、片付けの習慣も身につけさせるため、より実践的な指導が必要だと感じている。

4年生の算数の授業では、大きな割り算に苦戦する子どもたちの姿が目立った。特に、540÷60のような問題で、各位に商が立つかどうかを確認する過程で、困惑している表情が見られた。割り算の難しさを前に、子どもたちは自信を失いかけていたが、私は根気強く彼らをサポートし、ペアでの交流や全体での繰り返し練習を行った。結果として、練習問題の正答率は80%に達したものの、これからのさらに難しい課題に備えて、割り算が苦手な子どもたちへのサポートを続けていく必要がある。彼らが自信を持って問題に取り組めるよう、私も全力を尽くすつもりだ。

そして、運動会の準備の日が近づく中、私は管理職に相談し、人手不足の箇所を補助することになった。特に、準備や進行のサポートが求められ、多くの場面で協力をした。昨年からの変更点が多く、当日決定された事項も多々あり、柔軟な対応が求められる場面も多かった。だが、その全てが、子どもたちの安全と成功のためだ。私は今後も昨年度との違いを理解しながら、円滑な運営を支えるために、協力体制を整えていくつもりだ。

25日目

行事のため、文章はありません。

26日目

社会の授業では、子どもたちが世界遺産の建築物について調べていた。資料集を開き、それぞれが興味を持った建築物に関する文章を一生懸命探してノートにまとめている姿が、教室のあちこちで見られた。「最初に5つの発見をしよう」と指示したものの、予想以上に文章の理由や背景をしっかりと記述していたため、結局3つの観点で十分に深い内容に仕上がっていた。彼らの努力がそのノートにびっしりと刻まれているのを見て、思わず微笑んだ。

グループでの交流が始まると、子どもたちはすぐに机を寄せ合い、自分たちの発見を次々と共有し始めた。まだ不十分な部分に気づいた子がいれば、他の子の意見を参考にし、自分のノートに足りない部分を補っていく。この姿は、以前の授業ではあまり見られなかった光景だ。協力し合いながら問題を解決していく力が確実に育っているのだろう。仲間の意見に耳を傾けつつ、自分の考えもはっきりと伝える姿勢はとても頼もしかった。

全体の交流に移ると、教室全体が一体となって重要な観点を見つけ出し、互いに意見を補い合っていた。最後に、それぞれがまとめた内容を発表したが、どこか曖昧さが残っていた。この部分は次回の授業で観点をもっと明確にし、全体として論理的なまとめができるよう指導していきたいと思った。

その次は算数の時間。今回初めて、十の位に商が立つ問題に挑戦したが、子どもたちはその場面で一瞬、戸惑いの表情を見せた。十の位に商が立つという考え方に慣れていないため、途中で困難を感じている様子だった。「今日は計算の仕方を考えるのではなく、ただ計算をしてみよう」という方針に切り替え、次回の授業で再度練習に取り組むことにした。

すでにスムーズに計算を進めることができた子どもたちは、これまでの学習をしっかり活かして問題を解けていたが、十の位に商を立てるところで躓いた子には、黒板を使いながら一緒に計算を進め、少しずつ理解を促した。板書を使って視覚的に商の立て方を示すことで、彼らの自信も少しずつ回復していくのがわかった。授業の終わりには5問の練習問題を出題したが、時間内にすべて終わらせたのは半数の子どもたちだけだった。1問あたりに必要な計算回数が多かったため、次回は問題数を減らし、正確に答えを導き出すことに焦点を当てる予定だ。

特別支援の国語では、2年生の漢字をサポートする時間だった。通常のプリントではマス目が小さく、子どもたちは漢字を書こうとするたびに文字が枠から飛び出して形が崩れてしまうことが多かった。そこで、大きめの方眼ノートを使い、一緒に漢字を書きながら形を整える支援を行った。大きなマスで書くことで、子どもたちは文字の形をより意識しやすくなり、徐々にきれいに書けるようになっていった。

特に書き順を間違えてしまう子には、漢字を図や絵のように見てしまう傾向があることを確認し、書き順に特に注意を払った。漢字はただの形ではなく、正しい手順で書くことが大切だ。何度も書き順を確認しながら、繰り返し練習することで、子どもたちは少しずつ漢字の意味と形を理解していった。

3年生の国語では、修飾語の学習に取り組んだ。「いつ」「どこで」「どんなふうに」といった修飾語を使って文章を作り、その役割を確認しながら活動する中で、子どもたちは楽しく言葉の役割を学んでいた。文章がどんどん豊かになっていく様子を目の当たりにし、その成長に感心した。

しかし、学びへの集中が欠ける子どもたちも目立つ。特に、教室内の学習環境や雰囲気が影響しているように感じられた。「聞く」という姿勢がまだ十分に定着していないのだ。聞くことが難しい子どもたちは、他のことに気を取られ、授業の内容を十分に理解することができなくなってしまう。この問題を解決するため、今後は教室全体の学習環境作りに注力していくつもりだ。

理科の授業では曇り空だったため、太陽とかげの動きを説明するために動画を活用した。動画では、太陽の位置がどのように変化し、それに伴って影がどのように動くかを視覚的に説明していた。子どもたちは、画面に映し出されたシーンを興味津々に見つめ、「なるほど、こういうことか」と納得した表情を浮かべていた。

授業の終わりには、太陽の動きに合わせて影がどこにできるかを確認し、季節や時間によって影の傾きや長さが変わることもしっかりと理解できたようだ。見て、聞いて、感じて学ぶことで、子どもたちは確実に成長しているのだと実感した。

27日目

世界遺産を守る活動についての授業は、当初、町づくりとの関連性も扱う予定だった。しかし、1時間の授業を二つのテーマに分けると、思ったほど生徒たちからの反応が良くなかった。そこで、授業の重点を「世界遺産を守ること」に置き直し、村や集落の住民たちが協力してどのように世界遺産を守り、田畑を管理したり家内制工業を行ったりしているのか、また地域の祭りや伝統的な行事がどのように彼らの協力で成り立っているのかを改めて説明することにした。目の前の子どもたちには、これらの活動がどのように世界遺産の保護と結びついているのかをしっかりと理解してもらいたいと強く思いながら、授業を進めた。

「世界遺産の保護というのは、大勢の人たちが協力して初めて成り立つものなんです」――こう強調するたび、子どもたちの目が少しずつ興味を示してくるのがわかった。村人たちが共同で行う地域活動の姿が、ただの話題ではなく現実のものとして、彼らの心に染み渡る瞬間だった。

次の授業は算数だった。計算練習に取り組ませることを目的にしていたが、前回までの練習問題をすべて終わっているかどうか確認するのに、思った以上に時間がかかってしまった。授業の進行が遅れると、心の中に少し焦りが生まれる。どうしたら良いだろうか、と自分に問いかける。そこで、今後は単元の最初にチェックリストを導入し、進捗状況を確認しやすくすることを考えた。多くの生徒が問題を終えていたが、数人は練習が追いついていない。次の授業では、時間をかけてこれまでの問題にじっくりと取り組ませることに決めた。

「一緒にやってみようか」――練習が進まない児童には、優しく声をかけ、付箋を使って進行を助けることにした。商を立てる際に十の位でつまずく児童が何人かいた。商の立て方に自信がないと、後の一の位の計算で間違えてしまう。計算のステップをもう一度一緒に確認し、計算の手順を一つ一つ丁寧に教える。その瞬間、生徒たちの顔に「わかった!」という表情が浮かぶ。こうした瞬間が、教師として何よりも嬉しい。

特別支援の国語の時間では、3学年の児童がそれぞれ10分間、漢字の練習に集中した。皆がやるべきことを理解していて、教室は静かに熱気で満たされていた。特に、学年間の絆が強く、互いに助け合う姿が見られたことが何よりも印象的だった。年齢や学年を超えて手を差し伸べる彼らの姿に、思わず微笑みがこぼれる。

高学年の児童には、文字のバランスが崩れやすいという課題が見られた。そのため、色鉛筆を使って漢字をなぞらせ、はねやはらいといった細かい部分を再確認させる活動を取り入れた。細やかな指導のもと、彼らが自信を持って文字を形作っていく姿を見守るのは、心に温かい光を灯す瞬間だった。彼らには、ただ正しい漢字を書くだけではなく、文字の美しさとバランスを感じ取ってほしいという願いが込められている。

そして、体育の授業――今日のテーマは高跳びだった。まずは利き足を確認するため、小さなハードルを使って児童たちに試してもらった。彼らがどちらの足で跳びやすいか、自分自身で感じてもらう。その次は、40cmのバーを横からまたいで跳ぶ練習を始めた。跳び方のコツがわかると、児童たちは次々に成功していった。成功した子には、次のチャレンジとしてゴムの高さを少しずつ上げ、技術の向上を目指した。

授業中に、跳べた理由や跳べなかった原因をグループで分析し合う場面を設けた。自らの経験をもとに、仲間にアドバイスを送り合う。「足が上がっていない」「タイミングがずれている」――具体的な指摘が飛び交い、児童たちは真剣な顔でそれを聞き、次の跳躍に備える。しかし、授業の途中でマットが滑りやすいという問題が発生したため、次回からは滑り止めを使用することに決めた。安全が最優先だと心に刻みながら、次の体育の授業に向けて準備を進めたい。

28日目

授業が始まると、教室には緊張感が漂っていた。算数の時間、児童たちは静かに計算問題に向かい合い、まるで時間が止まったかのように筆を走らせていた。机の上には鉛筆の音だけが響き、次々と問題を解き終わる児童が目立つ。しかし、その中で数名の児童は、まだ数問を解ききれないでいた。彼らの表情には焦りの色が見えたが、今後、学習の合間や自主学習の時間を使って取り組むよう、私は静かに声をかけることに決めた。彼らにはまだ時間がある。そして、商を一の位に立てる力を少しずつ身につけ、計算もスムーズに進むようになっている児童たちに、私の心はほっとした。数字の大小を感じ取る感覚も備わり始めているのだ。しかし、一の位から掛け算を始める手順にはまだ戸惑いがあるようで、子どもたちの苦戦する姿が見て取れた。それは、これまでの掛け算の方法と少し異なるため、理解に時間がかかっているのだろう。私はその戸惑いが次第に解けていくよう、これからも繰り返し練習を続けさせるつもりだ。

次の時間は社会の授業だ。テーマは「観光によるまちづくり」。児童たちは熱心に調査を進めていた。パンフレットや観光誘致の動画に目を通し、街をどのように観光地として魅力的にするか、資料から読み取っていた。「街のライトアップや世界遺産の中に宿泊施設を設ける」と資料の中から読み取っていた。しかし、一方で観光客の増加がゴミや交通渋滞の問題を引き起こしていることも学び、街の美しさを守るためのルール作りの必要性も感じ取ったようだ。まちづくりは、期待と問題が交差する複雑なテーマだということを、児童たちは次第に理解し始めていた。

その後、特別支援の国語の授業が始まった。教室は、少しざわざわとしていた。今日の課題は『ごんぎつね』の音読。2人一組で順番に読み進める活動だ。読むことが得意な児童もいれば、少し苦手な児童もいた。私は、読むのに苦労している児童の横に立ち、そっと指で文章を指し示しながら、ゆっくりと読ませていった。彼らが物語の内容をしっかり理解できるよう、難しい言葉や状況についても丁寧に説明した。また、漢字学習では、複雑な漢字を書くことに苦戦している児童が目立った。私は彼らに、まず正しい形を確認させ、その後、なぞらせることで少しずつ形を覚えさせた。繰り返すうちに、児童たちの手元の文字が整い、次第に自信を持って書けるようになってきていることに、安堵を覚えた。

次は体育の時間だ。外は爽やかな風が吹いていたが、教室の中は熱気でいっぱいだった。今日は高跳びの練習だ。大きなマットを敷き、すべり止めをつけて、子どもたちが安心して跳べるように準備を整えた。助走は3歩か5歩に固定し、一人一人がリズムを掴みやすくするよう工夫した。高さもそれぞれの児童に合わせて調整し、膝、腿、腰の高さに挑戦させた。しかし、見守る役割の児童が、跳んだ仲間にアドバイスをする場面では、なかなか言葉が出ない様子だった。そこで、私は各班を回り、具体的にどのように伝えたら良いかを一緒に考え、アドバイスの仕方を教えていった。次第に、彼らは互いに助け合いながら、練習を進めていくようになった。

続いて行われた道徳の研究授業では、公正公平について考える時間が設けられた。児童たちは、ただ優しさや友情に流されるのではなく、論理的に物事を考えることの大切さに気づき始めた。ある児童は、歩くのが苦手なクラスメイトに対して不用意な発言をしてしまったことを後悔し、他の児童もそれを真剣に受け止めていた。「発言の意図がたとえクラスのためであったとしても、相手の気持ちを考えることが重要だ」と私は考えていた。最終的に、公正公平を実践するためには、相手を思いやる気持ちが不可欠であるという結論に至り、教室は少しずつ温かな空気に包まれていった。

最後の授業は理科だった。今日は水の蒸発についての実験だ。ビーカーに注がれた水が、時間とともに減っていくのを見つめる児童たちの目は、好奇心に満ちていた。ビーカーの蓋には小さな水滴がつき、蒸発した水がそこに集まっている証拠だ。「水は消えたわけじゃないんだ」と、ある児童が興奮気味に話していた。彼らは実験を通して、水が目に見えない形で空気中に出て行く現象を理解し、自分の言葉でまとめることができた。このような考察力を養うことは、理科の授業において欠かせないものだ。私はこれからも、彼らが自分で考え、答えを導き出す力を育てていくことに心を砕くつもりだ。

教室の中で、今日もまた一歩、児童たちは成長していく。それを見守る私の心もまた、静かに揺れていた。

29日目

書写の授業が始まると、教室内は静かに活気づき、児童たちは真剣な表情で硬筆活動に取り組んでいた。開始時、先生は児童が図書室で本を借りる短い時間を利用して、忘れ物をした子どもたちのためにプリントを準備していた。黒板には、文字の形に気をつけるようにとの指示が記されている。特に、線の間隔と長さのバランスが大切だ、と先生は繰り返し強調する。「同じ間隔で線を引くことは大切だけれど、もし長さが揃っていなければ、文字全体の見栄えが変わってしまうんだよ」と、子どもたちに注意を促す。4年生ともなると、鉛筆の持ち方や書き順を修正するのが難しくなってくる。だからこそ、早い段階でしっかりとした指導が必要だ、と私は内心思いながら、一人ひとりの状況に合わせて少しずつ矯正を進める決意を新たにしていた。

次の時間、体育の授業では高跳びが行われていた。体育館で児童たちは、各グループごとに設定された跳ぶ高さで得点を競い合っていた。各児童が2回跳び、最高得点がそのグループの合計点に加算される形式だ。しかし、うまく自分に合った高さを見つけられない子もいた。そんな子には、先生はアドバイスを送り、より跳びやすい高さを選ぶ手助けをする。「少し高さを調整してみよう。これでどうかな?」と言って、子どもたちが自信を持って挑戦できるように促した。グループ内では、徐々に児童同士でのアドバイスも活発になってきていた。跳ぶ際の足の動きに関して、「踏み切り脚」や「振り上げ足」といった名称を正しく理解させ、より効果的な動きを身につけられるよう、私は一人ひとりに丁寧に指導していきたいと感じた。

特別支援学級の時間がやってきた。教室では、全員が同じプリントに制限時間内で取り組んでいた。児童たちは真剣そのもので、集中力を発揮していた。その結果、ほぼ全員が正解にたどり着き、協力して課題をクリアする喜びを分かち合っていた。ある児童のひき算の筆算では、繰り下げに苦手意識を持つ。私は焦らないようにと声をかけながら、一緒にじっくりと学習を進めていった。計算方法については、それぞれの児童に合ったものを提供するため、2つのアプローチを提案した。1つ目の方法は、2ひく7ができない場合に1を繰り下げて12-7=5とするやり方。もう1つの方法は、まず10-7=3と計算し、その後に3+2を行うものだ。このどちらの方法でも、児童が自分に合った解法を見つけられるようにサポートしていく。筆算の書き方についても、個々に最も理解しやすい形式を取り入れ、それぞれのやり方を尊重しながら進めることを心がけていた。

算数の時間になると、4けた÷2けたの計算に挑戦する児童たちの姿が見られた。ほとんどの子が自力で計算を解き進めていく。しかし、答えが3桁になる場合、特に十の位に0を付け忘れる児童が目立っていた。先生はその都度、「0を付ける理由、なぜそれが必要なのか」を丁寧に説明し、理解を深めるための指導を続けた。割り算で十の位が割り切れない場合、必ず0を付けること、そして連続して数字を下ろす際にも商に0を付けるタイミングをしっかり捉えるように指導し、具体的な例題を用いて、確実な理解を促していた。

3年生の国語の授業では、1年生に「おすすめの本」を紹介するための学習が行われていた。授業の目的が明確であったため、児童たちは各自が選んだ本についてじっくりと考え、まとめていくことができた。それぞれが1冊の本を選び、その本の良さを整理しながら、発表の準備を進めていた。児童たちは自分の意見をはっきりと持ち、発表に向けて着実に準備を進める姿勢が見られた。

国語では、「秋と言えば」というテーマで、自然や行事に関するグループディスカッションが行われた。児童たちは最初に個人でテーマを掘り下げ、その後グループで意見を交換した。自然のテーマでは食べ物や紅葉が多く挙がり、行事のテーマでは「スーパームーン」や「前期と後期の入れ替え」など、ユニークな意見も出ていた。最終的にグループごとに1つの意見にまとめ、ロイロノートで提出した。さらに、教科書を使って秋に関連する語句や俳句、短歌を読み進め、季節感を深める学習が展開された。私は授業が単調にならないように、二十四節気や季節の行事についての追加説明も加え、児童たちの興味を引きつけるように工夫した。

それぞれの授業で、児童たちの成長を見守り、サポートしながら進められていく日々が続いていた。

30日目

授業の一日は、社会の授業から始まった。テーマは「昔から伝わる祭り」。まず、導入として教室のスクリーンに映し出されたのは、荘厳で鮮やかな祭りの映像。児童たちの目がキラキラと輝き始める。祭りの喧騒、練り歩く山車、伝統衣装に身を包んだ人々の動き。映像はまるでタイムスリップさせるかのように、歴史と文化を感じさせた。

映像を観た後、児童たちは資料集を開いて、祭りの詳細を調べ始める。「外国からの観光客がたくさん参加しているんだ」「子どもも祭りに参加しているんだね」――次々と新しい発見が飛び交う。机を囲んで班ごとに話し合いが進む中、私はふと口を開いた。「春と秋に行われるけど、実は氏神も違うんだよ」と伝えると、児童たちの表情が一変する。祭りの技術や文化が今も地域に息づいていること、そしてその重要性を、彼らは深く考え始めた。特に、現代にまで受け継がれる技術に対しての関心が高まり、それが話題の中心となっていった。

次は算数の時間。今日のテーマは「わり算のきまり」。黒板に大きく「6÷2」と書くと、児童たちの目が少し緊張したように見えた。簡単な問題からスタートしたものの、授業の目的は「商が3になる式を他に考えること」。児童たちは試行錯誤を繰り返しながら、わり算の規則を自分なりに発見しようと懸命だった。

しかし、探求すべき方向がぼんやりしていたため、なかなか進まない。「わられる数」や「わる数」といった基本的な言葉が混乱を引き起こし、授業は少し停滞してしまう。それでも、児童たちは徐々に理解を深め、わり算の規則にたどり着いた。「数を何倍にしても商は変わらないんだ!」という発見が、教室中に広がる。そして、その意味を理解した瞬間、彼らの顔には達成感が滲んでいた。

一方、特別支援の算数の時間では、昨日に引き続き、時間制限付きのプリントに挑戦した。児童の成長は目覚ましく、計算スピードが格段に上がっている。さらに、驚くべきことに、ある児童は独自の計算方法を用いて問題を解いていたのだ。教科書に載っている方法とは異なるものだったが、彼はその方法を完璧に理解しており、間違えることなく計算を進めていた。私はその様子を見て、彼のやり方を尊重するべきだと感じた。将来、より複雑な問題に挑戦する際に、彼と一緒に柔軟な対応を考えていくことにした。

3年生の理科の時間には、鏡を使った実験が予定されていた。晴れ間を見計らって、鏡で光を反射させ、的に当てる実験を進める計画だ。しかし、天候は予想外に曇り始め、最後まで実験を完遂できなかった。それでも、児童たちは班ごとに協力し、光の進む方向を話し合いながら楽しく学んでいた。

3年生の総合学習の時間。大豆について調べた内容を、ローマ字で入力する活動に取り組んだ。これまで何度か経験しているローマ字打ちではあったが、今回の目的は「ロイロノート」にデジタル情報を入力すること。児童たちは集中してキーボードを打ち、調べた内容を一つ一つ入力していく。中には時間がかかる児童もいたが、ほとんどの児童が時間内に入力を終えた。

こうして、今日もまた多くの学びと気付きがあった一日が幕を下ろした。

31日目

その日の社会の授業は、日本の伝統芸能に触れる特別な時間となった。教室が静まり返る中、スクリーンには色鮮やかな映像が映し出され、児童たちは目を輝かせて見入っていた。そのビデオには、伝統芸能の魅力が詰め込まれ、歴史の一端に触れるような内容が流れていた。先生は、視聴中に自由にメモを取ってよいと告げ、子どもたちは小さな手で一生懸命ノートを走らせた。その姿はまるで探検家が貴重な宝を記録しているかのようで、後の学びへ繋がる大切な「発見」の瞬間を刻んでいるようだった。

ビデオが終わると、教科書を片手に、それぞれが興味を持った内容を深く探究する時間が与えられた。児童たちは、まるで目の前に新たな世界が広がるかのように、夢中で資料を読み込んでいく。次第に、学びが自然と溢れ、教室の空気が知識の泉で満たされていくのが感じられた。やがて、個人追求の時間が終わると、子どもたちは班ごとに集まり、自分の発見を披露し合う時間が訪れた。お互いの意見に耳を傾けながら、伝統芸能についての理解が広がっていく。しかし、この共有時間は少し短く、もっと話したいという気持ちがちらほら見え隠れしていた。次回は、個人と班の活動バランスを工夫し、学びをさらに深めていこうと先生は静かに心に決めた。

算数の時間では、わり算の奥深い「工夫」に焦点が当てられた。先生は、「わられる数」や「わる数」に同じ数をかけると計算が楽になることを教えようとしていた。子どもたちは最初、難しそうに眉をひそめていたが、先生が根気よく説明するうちに、少しずつ「これならできるかも」という表情に変わっていく。実際には時間がかかり、いくつかの部分では説明がうまく伝わらない場面もあったが、先生は次回の授業で改善するための糸口を見つけようとしていた。また、大きな数のわり算では、0を省略して計算を簡単にする方法も教えたが、もっと子どもたちが主体的に計算を体験できるよう、次の授業では「自分で考える」場を増やしたいと思っていた。

特別支援の算数では、わり算の練習が行われていた。問題の数を12から7に減らし、子どもたちの負担を軽くしつつも、基礎を確実に身につけてもらうことが目標だった。演習に取り組む姿は集中しており、商や余りを正確に求めようとする真剣な表情が印象的だった。その姿を見て、適度な練習量が学ぶ意欲を高めることを実感し、先生は今後もその調整を大切にしたいと思った。

理科では、太陽の光を鏡で反射させ、温度の変化を観察する実験が行われていた。子どもたちは、鏡を持って太陽の光を追いかけるように実験に取り組んだが、光を安定して反射させるのは簡単ではなかった。太陽の位置が少しずつ変わるため、鏡の位置も調整しなければならず、子どもたちは「もっと上?それとも下?」と試行錯誤を繰り返していた。ある班では、地面に鏡を固定することで、安定した光を確保し、温度が上昇する様子を観察することができた。この成功体験を通して、子どもたちは光の反射の仕組みをより深く理解していった。次回は、さらに鏡の設置方法を工夫し、観察をスムーズに進められるよう準備を整える決意を新たにした。

その日の授業は、さまざまな挑戦や発見に満ちた豊かな時間だった。子どもたちが自らの力で学びを深める場面を見て、先生は彼らの成長を感じ、心の中で静かに喜びをかみしめていた。

32日目

社会の授業が始まると、教員は子どもたちに前時と同じく伝統産業の実物を見せ、興味の火を灯そうとした。子どもたちの目がキラリと輝き、知っているような親しみを覚える様子が見てとれたが、製作過程についてはほとんど知らないようだ。動画を使って工程を見せ、教員がシーンごとに説明を挟みながら授業を進める。短い「個人追究」の時間が設けられ、子どもたちは資料集を手に自分なりに調べを進めた。だが、予定していた班での交流を割愛したため、自分の意見に自信がもてず、発表が控えめになってしまう児童もいた。教員は、次こそは子どもたちの学びをより深めるため、視覚的な教材を工夫していこうと心に決めた。

次の時間は算数だった。二つの文章題が黒板に書かれ、教員は「かけ算なのか、わり算なのか?」と問いかける。しかし、問題にはわり算を思い起こさせる言葉が含まれており、児童たちは困惑の表情を浮かべた。テープ図を使っての説明でも「どの部分が、どの図に対応しているんだろう?」と、児童たちは一瞬、立ち止まった。そこで教員は、基礎を見直しつつ、数直線図とテープ図を用いて可視化を試みた。特に「元の数の何倍か」という部分で躓く児童が多く、何度も図に線を引き直しながら確認を続けた。時間がかかり、練習問題まで進むことは叶わなかったが、教員は焦らず、着実に理解を積み上げていくことの大切さを改めて実感する。

次の特別支援の国語の時間では、新出漢字の「議」を練習することに。画数も多く、書き順に加え、横線や「はね」や「はらい」といった筆づかいも複雑だった。子どもたちは特に書き順の正確さに苦戦し、途中で顔をしかめる場面も多く見られた。教員は児童の自信を損なわないよう、字形が正確に書けている場合には細かい指摘を控え、まずは意欲を引き出すことを心がけた。漢字をより確実に書けるような工夫が今後の課題として浮かび上がった。

そして、国語の授業では、3年生が1年生におすすめしたい本を話し合いながら選ぶという目標に取り組んでいた。進行の手順を黒板に示してわかりやすくし、児童たちは思い思いの本について話し合いを始めた。自然と持ち時間を超えてまで熱心に説明する姿に、教員も心の中で笑みを浮かべた。最終的に一冊に決定することはできなかったが、次回への意欲が芽生えたように見えた。教員は、今後もこのような場を通じて、児童たちが自分の考えを伝え合う力を育てていこうと決意を新たにした。

国語の時間では、児童たちが話し合いの進行役や担当者を決めるための議論を行っていた。ところが、提案に積極的な児童は少なく、どのように役割を決めるかについての話し合いが必要となった。ふたつの意見に分かれ、互いの考えを尊重しながら話し合いを進めていくうちに、少しずつ方向性が見えてきた。最終的に四名の担当者が決まり、教員は、この話し合いの過程を通じて、児童たちが自分の意見を伝えつつも他者の意見を尊重する姿勢を身につけることができたと実感した。

33日目

教室の窓から、秋の日差しが柔らかく差し込んでいた。今日もまた、授業の一コマ一コマで見えてきた児童たちの成長と課題が浮き彫りになってくる。算数の授業では、数直線図を用いた練習問題に挑戦する児童たちの姿が目に映った。振り返りの時間では、数直線図の意味や計算の仕組みが、まだ十分に理解できていない様子の児童も多かった。まとめの練習に取り組むうちに、計算に苦戦する表情や、ミスが重なる姿が見られたとき、私はその学びのばらつきを感じずにはいられなかった。

ふと思いついたのは、教室の複数箇所に答えを掲示するというアイデアだった。児童たちが自分のペースで確認できるよう、正解した子どもたちには自由に○をつけられる場を作り、サポートが必要な子には手厚く時間を確保していこうと考えた。この方法で、彼らが一歩ずつ理解を深め、授業がスムーズに進む道筋が見えてきた。

次の社会の授業では、古代から伝わる伝統工芸品の歴史に触れた。教科書と動画を使って進めようとしたものの、その内容に少し難しさを感じた児童たちのために、私は教科書から重要なポイントを板書で抜き出してみた。その結果、児童たちは目の前の黒板に視線を集中させ、伝統工芸品が現在の調度品として使われる背景に思いを馳せるように感じた。さらに、地域資源の豊富さが工芸品の発展に与えた影響についても話し合い、彼らの学びが一層深まる瞬間に立ち会えた気がした。

特別支援の国語の時間がやってきた。児童たちは漢字テストの練習に取り組み、そのほとんどが正確な字形を意識して書き進めていた。結果は、全体で8割の正解率。児童たちが漢字に対して真剣に向き合い、その書き方をしっかり意識できていることが伺えた。ただし、一部の漢字がすぐに思い出せない場面もあった。長期間文字に触れなかった影響が一部に残っているのか、「鉄」や「表す」といった漢字で詰まる姿も見られた。私は、こうした漢字練習を地道に続け、児童たちがより確実に漢字を身につけられるようサポートしていこうと心に決めた。

体育の授業。ロイター板とコーンが整えられ、児童たちは班ごとに順番に踏み込む練習をしていた。彼らは「脚を上げて!」と声を掛け合いながら、楽しげに跳躍の技を磨いていたが、もっと具体的なアドバイスが必要だと感じた。高さを変えると跳躍の仕方が変わり、新たな技術が必要になる。次回の授業では、その一人ひとりのステップをさらに支えるための言葉を工夫してみようと思う。こうして少しずつ、彼らが着実に成長していくための手助けをしていくのだ。

こんなふうに、日々の授業で見つけた課題と工夫が積み重なり、児童たちの輝く姿を映し出す舞台となっていく。

34日目

特別支援の図工の授業では、教室に活気があふれていた。紙コップとペットボトルキャップを手にした子どもたちは、小さなおもちゃ作りに夢中だった。先生の声が響き、手元を見つめる子どもたちは、真剣な眼差しで制作に取り組んでいた。回転部分の固定は難しいため、私がホチキス留めをした。児童たちは、色を塗り、組み立て、そして最後に仕上げのひと塗りを終えると、喜びに満ちた表情を浮かべた。「できた!」と声が上がり、その小さな達成感が教室いっぱいに広がった。切り取り部分にはガイドとして線が引かれ、児童たちはその線に沿ってスムーズに作業を進める。少しの工夫で、作業が一層楽になることに先生は感心しながら、子どもたちの集中した表情に目を細めた。

体育の授業では、初夏に行ったリレーの練習が再び行われた。バトンを受け取る瞬間、走りを止めずにしっかりと手にする—そんな技術を身につけるため、班に分かれて何度も練習を繰り返した。先生が一人ひとりの手を固定するよう指導しながら、児童たちはひたむきに走り、息を切らしながらも互いに励まし合う姿が見られた。当初は、各班が自分たちで役割を分担し、スタートやアドバイスをし合う予定だったが、どのように動くべきか戸惑う児童も多く、最後には全員で一斉にスタートし、ゴールを目指す形式に落ち着いた。バトンを受け取る瞬間に前を向いて走れる子どもはわずかで、先生はこれが今後の課題であると考えた。高学年の学習に向け、より具体的で効果的な指導方法を検討する必要があると感じながら、子どもたちの一生懸命な姿を見守った。

復職に関する話し合いも進んでいた。まだ明確なイメージは描き切れていないものの、低学年クラスでの指導経験やそこから得られた成功体験が、自分に少しの自信をもたらしているのを感じる。授業研究を重ねながら少人数指導や教科指導にも対応できるはずだという思いも胸にあった。しかし、特別支援にはまだ不安が残っており、これからの大きな課題と認識している。もしも来年度、自分に何か困難があったときには、遠慮なく学年や指導担当、そしてコーディネーターに相談し、必要に応じて管理職の協力も仰ぎながら、自分の負担を軽減し安心できる環境を整えていきたいと思っている。

算数の授業では、ボールペンの購入について子どもたちが考え始めた。普段のように数本購入するなら簡単に理解できるものの、多く買うとお得になる条件については、どの段階から得になるのかを計算する場面で、子どもたちの顔に戸惑いの色が浮かんだ。先生はその場で、計算のポイントを整理し、得になる本数を見極めるための手順を一つひとつ説明した。最終的には、「ここから先は多く買ったほうが得なんだ」と、理解が進み、子どもたちの顔に安心と納得の表情が広がっていった。

35日目

教室の窓からは、秋風に揺れる校庭の桜の木が見えた。今日のテーマは「地域のくらしと自然災害」。授業開始のベルが鳴ると、生徒たちが静かに目を輝かせ、次に何が起こるのかを待っていた。しかし、予定していたタブレットを使った映像資料が、予想外の機器トラブルで使えないことがわかり、私は内心少し焦った。それでも、慌てずに授業用の資料集を配り、生徒たちと一緒に地域のくらしを一つひとつ確認しながら進めることにした。目の前で真剣に資料を読み込む生徒たちの姿に、何か新しい発見が生まれる予感がした。

特に水害の話題に触れたときの生徒たちの反応は興味深かった。「どうしてこの地域の人たちは水害が多いのに住み続けるの?」と、私はその問いを全員に投げかけた。次第に、川と土地の高さがいかに異なっているか、そのために農業や水利用が工夫されていることに皆が気づき、理解を深めていった。彼らの目が川の写真に吸い寄せられた瞬間、「こんなに違うんだ…」と驚きの声が上がる。環境に根ざした人々の生活が、少しずつ生徒たちの心に根付いていくのを感じた。

続く算数の時間では、周りの長さが18センチになる長方形の組み合わせを見つける問題に取り組んだ。生徒たちはプリントに一生懸命に長方形を描き、その周りの長さを確認していた。その様子を見ていると、後から教科書のQRコードに便利なツールがあると知り、「次回はもっと楽に描けるはずだな」と心の中でつぶやいた。表にまとめた数値をじっと見つめる生徒たちは、自分で法則を見つけようとする熱意に満ちていた。「〇+△=9」という関係性が見つかった瞬間、教室全体がふっと静まり返り、やがて喜びの声が広がった。問題を解く喜びを共有できた、充実のひとときだった。

次の国語の授業では、少しユニークな同音異義語のクイズを取り入れた。「会う」と「合う」、「早い」と「速い」、言葉の響きは同じでも違う意味を持つ不思議さに、生徒たちは目を丸くし、楽しそうに答えていった。クイズ形式で進む中で、漢字の違いを自然と確認し、自分なりの理解を深めていく様子が見て取れた。しかし、時間が足りずに辞書を使って調べる時間は省略することに。次回はもっと時間を確保しようと心に決めながら、生徒たちの楽しげな顔を胸に刻んだ。

そして、最後の理科の授業。教室は少し肌寒くなり、外の桜の木も少しずつ秋の装いに変わり始めていた。教科書を開き、夏と秋の違いを観察し、紅葉や稲刈り、葉の少なさ、そして草が短くなる変化について考えさせた。校庭の南側にある桜の木を観察するように指示を出すと、生徒たちは小さな芽に目を留め、「これが次の春に咲くんだろうね」とささやく声が聞こえた。枝の先端に注目するように促すと、他の生徒たちもその細やかな変化に気づき始めた。自然の移り変わりが彼らの心に少しずつ根付いているのを感じた。

生徒たちの中で芽生えた新たな視点と学びの喜びに満ちた一日が、静かに終わっていく。

36日目

教室には少し緊張した空気が流れていた。今日は、社会の授業で昔の治水工事について学ぶ予定だったが、予期せぬPCのトラブルが起こり、用意していた動画を見せることができなくなった。やむを得ず、資料集を開き、子どもたちと一緒に工事に携わった人物や物資、費用について一つ一つ確認していくことにした。

「これは江戸時代の工事でね、藩が費用を負担していたんだよ。幕府の命令に逆らえない社会構造が背景にあったんだ」と、私は静かに語り始めた。複雑な背景を説明しながら、奉行がどれほどの責任感と葛藤を抱えていたかも伝えたかったが、授業の時間は限られていた。責任の重さについて語る時間が足りず、次回に持ち越しとなったことが心残りだった。

次の授業は算数だ。黒板には三角形とその周囲の長さの関係について、子どもたちが図を見ながら数値を確認していた。数値を表にまとめ、関係性を見つけ出し、式に表すプロセスを強調して進めていく。中には、すぐに式を見つけることができる子もいれば、関係性をつかむのが難しい子もいた。私は、関係性が見つかりにくい子には「三角形の周囲の長さの変化を他の形で表してみるとどうだろう?」と違うアプローチでのヒントを与え、少しずつ理解を促したかった。

授業の最後には、練習問題に取り組んでもらったが、少し指示が不足していたのか、子どもたちの表情には困惑が見えた。△や〇の設定や代入に混乱が生じてしまったのだ。「次回は、もっと丁寧に説明しなければ」と心の中で反省しつつも、彼らが一生懸命に取り組む姿に微笑みがこぼれた。

次に3年生の国語だ。大豆の姿が変わっていく話を通して、「はじめ」「中」「おわり」に分ける要約の練習に挑戦する。「要約が難しいなら、音読を増やしてみようか」と提案すると、子どもたちは本を手に取り、文章を繰り返し読んでいった。しかし、私が「何をしたら何ができる?」「どうやってこの食品は作られるのかな?」と問いかけても、反応が鈍い時があった。少し悩みつつも、次回はもっと具体的な質問の工夫が必要だと感じた。

最後に国語の授業では送り仮名についての学びを行った。送り仮名が違えば意味がどう変わるか、実例を挙げて説明するうち、五段活用における送り仮名のルールが少しずつ彼らに伝わっていくのを感じた。練習問題では辞書を手に、子どもたちが興味深そうに語句を調べる様子が微笑ましい。送り仮名の違いで意味が変わることに気づき始め、彼らの目には小さな好奇心の光が見えた。

一日を終えて、授業での彼らの学びの様子が頭を巡る。教室での発見と戸惑い、そして新たな挑戦のための決意が、私の胸に静かに積もっていくのだった。

37日目

行事のため、文章はありません。

38日目

4年生の教室は静寂に包まれ、空気には緊張感が漂っていた。今日は書写の授業で、「冬」と「夏」という漢字を通して左はらいの奥深い違いに迫っていたのだ。先生が説明するたびに、児童たちはその筆さばきに目を輝かせながら、鉛筆をぎゅっと握りしめた。上半分に位置する「冬」の左はらいは長く伸び、滑らかに空間を舞う。一方で、下半分に位置する「夏」の左はらいは近く、短めに終わる。この微妙な違いが美しさを決定する。先生は穏やかに「手本を見ながら、丁寧に書いてごらん」と声をかけたが、ふと視線を落とすと、何人かの児童が短くなった鉛筆で必死に文字を綴っているのが見えた。ふとした疑問が頭をよぎった。「正しい持ち方ができている子はどれくらいだろう?」観察すると、わずか12%の児童がしっかりとした持ち方で書いていた。私は内心で決意した。「これから、特別な場面では特に丁寧に書くことを意識させる一方、日常のノートでは素早くも読みやすい文字を書く練習も並行して進めていこう」と。

次の授業は、リレーのバトンパスの練習だ。先生は隣のレーンで併走しながらバトンを渡す方法を提案し、児童たちは「どうやって渡せば効率的なんだろう?」と一心に練習に取り組んだ。バトンの受け渡しのたびに少しずつ自信を増し、リレーゾーン内でのスムーズなパスができるようになっていく。ある瞬間、ある児童が立ち止まってバトンをもらおうとする姿を見た先生は、微笑みながら「実際のレースでも、この流れが自然に身につくといいね」と声をかけた。この経験を重ね、彼らが高学年でのリレーに自信を持って臨む日を夢見ながら、指導は続けられていく。

算数の授業の今日のテーマは階段の段数と棒の本数の法則だ。私は、児童が表を使って法則を見つけやすいよう工夫を凝らしたが、どうやら追加する数の考え方が難しいと感じる児童もいるようだった。そこで、私は「式にして整理してみようか」と投げかけ、具体的な数式に落とし込む方法を示すことにした。教科書には含まれていない式のプロセスを独自に導入し、児童たちが「なるほど!」と目を輝かせる瞬間をじっと見守った。

体育の時間には、3年生が跳び箱に挑んでいた。開脚跳びが目標だが、まずは児童たちに「跳ぶ」という感覚を体験させるところから始める。ある児童が跳ぶたびに、友だちが「手の位置がもっと前だよ!」と自然にアドバイスを送る姿を見た先生は、成長を感じて微笑んだ。準備と片付けもまた、大切な学びの場だった。グループ内でしっかりと役割を分担し、重い跳び箱をどう運ぶかをみんなで相談しながら取り組む姿は、どこか一人ひとりが主人公となっているようだった。

39日目

教室は少し肌寒い秋の風が窓から吹き込む中、社会科の授業が静かに始まった。教師は黒板の前に立ち、前回の江戸時代の治水についての話題を振り返りながら、かつての奉行たちが洪水を防ぐためにどれほどの熱意で取り組んでいたかを語り始めた。児童たちは真剣なまなざしで聞き入っていたが、「洪水がなくなってほしい」「もし失敗したらどうしよう」と、小さな声で感想を漏らすのみで、話題は深く広がることはなかった。教師は、もっと多くの意見を引き出せるように、もう少し詳しい背景の説明が必要だったかもしれないと感じた。

続いて、明治時代の治水工事の映像が流れた。しかし、映像の進行が予想以上に速く、児童たちの表情には戸惑いが浮かんでいた。教師はすぐに黒板に要点を箇条書きにし、わかりやすくまとめていった。ひとつひとつの言葉が、児童の目に新たな理解の灯をともしていく。そして、最後には現代に至るまで洪水対策が続いていることを話し、歴史の繋がりについて考えてもらえるよう、過去と現在を結びつけた。

次の算数の授業では、数が1ずつ増えない表を取り上げ、グラフの活用方法を提案したが、児童の中には「書き方が難しい」と不安げに訴える子もいた。そこで教師は、表を0まで伸ばす方法も教えながら、丁寧に補足説明を行った。グラフからどんな情報が読み取れるかを尋ねると、児童たちの小さな声が次々とあがり、増加量や縦軸・横軸の見方についての理解が深まっていく。

一方で、タブレットの画面を大型ディスプレイに映し出していたが、遠くの席からは見づらい様子だった。授業後に管理職からも、「板書の方が見やすいかもしれませんね」とアドバイスを受けた。教師は、次回からはさらに視覚的な工夫を加え、全員が見やすい授業にしようと決意を新たにした。課題設定が完了するまでは教科書を開かない方針をとり、児童が自由に考察し、書き込める空間を大切にしていた。

特別支援の算数の時間になると、教室の空気がまた少し変わった。教師は、「割合」という少し難しい概念をわかりやすく教える工夫を凝らしていた。2つのデータを比較し、同じ差でも割合にするとどれほど異なる増加具合に見えるか、具体的に説明した。その後、児童がゴムを使って実際に伸び具合を確かめることで、わり算によって増加を視覚化できるよう導いた。

さらに、試合数が異なるチームの勝ち数を公平に比較する方法も教えた。赤や青の丸で視覚的に整理することで、公式「割合は比べる量÷もとの量」をわかりやすく示し、児童の理解を深めた。練習問題に取り組む中、彼らの自信に満ちた表情が印象的だった。シンボルを頼りに答えにたどり着くたびに、児童たちは「できた!」と小さな歓声を上げ、教師の心にも小さな誇りが灯るようだった。

40日目

教室には、小さな手がPCを操作する音と、児童たちの楽しそうな笑い声が交じり合っていた。今日は社会の授業で、これまで学んだ都道府県に関する内容を振り返り、自分なりにまとめる活動を行っていた。子どもたちはロイロノートを使い、写真や付箋を用いて心に残った事柄を整理していく。画面には工芸品や世界遺産の画像が並び、それぞれが「なぜこのテーマが気に入ったのか」という理由を書き込んでいる。私も彼らの隣に座り、意見を聞いたり、質問に答えたりしながら、彼らがどのように学びを振り返っているのかを見守っていた。

発表会の時間が来ると、子どもたちは互いに作品を見せ合いながら、感想や質問を交わした。自分の作品を前に立ち、思いを込めて話す発表者たち。ある子は世界遺産について語り、その価値に感動した様子が伝わってきた。また別の子は、日本各地の伝統工芸についての興味を熱心に語っていた。質問が飛び交い、意見がぶつかり合うたびに、彼らの中で新たな学びが芽生えているのを感じた。

算数の授業では、教室の雰囲気が少しだけ緊張していた。確認問題を解きながら、子どもたちは自分の理解を確かめている。今日は、わからないことをためらわずに言えるよう、私は教室の前方に立ち、いつでも児童が質問しやすい状況を作った。教室の周りには解答が掲示されており、児童は自分の解答を照らし合わせながら進めていた。その中で、何人かの児童が質問に来て、彼らが分からない部分を自ら解決しようとする姿が見られた。

だが、一部の子が「〇+4=△」という式に具体的な数を代入する際、どちらに数字を入れればいいのか迷っている様子を見て、私は彼らがまだ代入の概念に不慣れであることを感じ取った。次回は基礎的な理解をもう一度確認し、安心して問題に取り組めるサポートを増やしていこうと心に決めた。

最後に道徳の授業では、「雨のバス停留所で」という題材を使い、主人公とその周囲の人々の気持ちを読み解く時間が訪れた。物語を読み進める中で、児童たちは自分なりに主人公の行動を考え、その行動がマナーにどう関わるのかを話し合っていた。ある子が「母親がバスの中で子供を叱らないことも、マナーなのでは?」と発言したとき、教室には静かな驚きの声が漏れた。その一言で、子どもたちは自分の日常生活におけるマナーについても深く考えるきっかけを得たようだった。

授業の最後には、次回こそ、彼らが自分の生活の中で気づきを深められるよう、時間を十分に取って振り返りの時間を作りたいと心に誓った。この時間が、彼らにとって意義のある学びとなるようにと願いながら、私は教室の窓から見える空を見上げ、彼らの成長を静かに見守っていた。

そして、40日間の復帰プログラムは、幕を閉じたのです。

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