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復帰プログラム 18

授業の朝、子どもたちはいつも通りに教室に集まった。今日の社会の時間では、都道府県内にある伝統や文化について調査し、それぞれが知っていることを元にノートにまとめる作業を行う予定だった。資料集は、彼らの基礎知識を補うものだったが、開いてみると、世界遺産や文化遺産の話題が多く含まれていた。それに気づいた瞬間、何人かの児童は目を丸くして驚いた。日々目にするものの中に、こんなにも歴史的な価値を持つものがあるとは思ってもみなかったのだろう。手書きでノートに書き込む作業も、彼らにとっては新鮮な体験であり、ひとつひとつの字が脳裏に残っていくようだった。

しかし、私は机間指導の難しさに直面していた。児童たちの理解度や進度を一人ひとり把握するのが予想以上に困難だったのだ。誰がどこでつまずいているのか、また、既に理解を深めている児童が誰なのかを正確に見極めることに時間を要した。今後、この点は明確な課題として残された。

午後、算数の授業に移ると、今度は「あまりのある割り算」の問題に取り組んだ。児童たちは、これまで学んできたことを元に、少しずつ「あまり」という概念に気づき始めた。中には「あまり」を「10」として捉え、問題を解こうとする児童もいた。しかし、全員がその方法を完全に理解するには、まだもう少し時間が必要なようだった。

教科書の答えをそのまま写す児童もいて、教科書をどう使うべきか悩む場面が何度も訪れた。一方で、十玉を使って計算を視覚的に理解する児童もいたが、そのような工夫をする子どもとそうでない子どもとの間に差が見えてきたのも印象的だった。ペア活動も取り入れたが、全体で話し合うグループディスカッションに発展してしまい、ペアでの深い対話を引き出す環境作りが今後の課題となった。

次の日、特別支援の理科の授業では、「空気と水」をテーマに空気鉄砲を使った実験を行った。児童たちは、空気が押されることで圧縮される現象を目の前で確認しながら、その感覚を楽しんでいた。袋に描かれた的に向かって空気鉄砲を撃つ姿は、まるで遊びと学びが融合したかのようで、みんなが熱中していた。その中で、児童たちは「袋に入った空気がどうなるのか」という物理的な現象を、視覚と体験を通じて理解していた。今後は、実験の際に空気の押され具合を記録させることで、さらに理解が深まるだろうと感じた。

次の授業、あるクラスへ行くと、体調不良の児童が多く、予定していた授業は急遽変更された。漢字の書き取りが始まると、集中力を欠く児童も出始め、特に普段からサポートを必要とする子どもたちには十分な指導が行き届かなかった。自分勝手に進める児童も見受けられ、教室全体の雰囲気は一時的に乱れた。しかし、そんな中でも丁寧に文字をなぞる子どもたちの姿には、書くことへの意欲が感じられた。それでもなお、一人ひとりに合わせた指導が求められることを痛感した。

その後の体育の授業では、ルールに従ったゲームが行われ、児童たちは楽しそうに参加していた。だが、ゲームにおける作戦を立てる場面での工夫がまだ不足しているようだった。棒を守るための戦略や、どうやって仲間と協力してゲームを進めるかというポイントに気づく児童は少なかった。チームプレイの要素を強調した指導が今後の課題として浮かび上がった。

そして、終礼で「ハラスメント講義」が行われ、ふと過去のことを思い出す。職場で受けたハラスメントの記憶が蘇ってきた。上司への不満を私に延々と話し続けた同僚、日々感謝の言葉を伝えているにも関わらず「お礼がない」と指摘されたこと、そして何よりも、児童の前で「あなたの指導は間違っている」と公然と非難されたことが、私の心を重くした。それらの出来事は、私にとって精神的に大きな負担となり、業務に支障をきたすほどの苦痛をもたらした。今後は、ハラスメントに対して適切な対応が取られ、問題が発生した際の迅速な報告体制が整備されることを望んでいる。再発を防ぐためには、職場環境の見直しが必要不可欠だ。

こうして一日が終わると、教室には静かな時間が戻ってきた。だが、私の心にはまだ解決されていない問題が幾つも残されていた。

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