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復帰プログラム 8

運動会が近づくと、校内は少しずつその独特の熱気に包まれていく。教師として感じるその空気は、子どもたちにとってどう映っているのだろうか。運動が得意な子どもにとっては、まさに自分の力を発揮する舞台。しかし、一方で、運動が苦手な子や集団の中での行動が難しい子にとっては、それはただの「不安」と「不信」を引き起こすイベントに過ぎない。

「みんながやっているから、やりなさい」といった言葉が、どれだけその子たちの心をすり減らしているのか。私はそれを思い知った瞬間があった。表面上は頑張っているように見える子どもたちも、心の中ではどれほどの葛藤を抱えているのだろうか。だからこそ、私は個々の子どもたちに寄り添った対応が必要だと感じる。単なる指示ではなく、その子の感じている不安にどう向き合えるかが重要なのだ。

運動会は、ただの一大イベントではない。日常の生活や学習の延長にあるもので、特別視される必要はない。それが普段の生活に重くのしかかるようでは、意味がない。運動会を日常の一部として自然に受け入れてもらうための工夫が必要だ。私たちが毎日目標に向かって努力するように、子どもたちにも同じように、小さな目標を設定し、それに向かって取り組む姿勢を大切にしてほしい。結果として、運動会でのパフォーマンスも自然と向上するだろう。

とはいえ、運動会には独自のルールが存在する。たとえば、シャツをパンツに入れる「シャツイン」。これは競技中の接触で怪我を防ぐためのものだ。しかし、暑さの中では逆に体温調節が難しくなることもある。そのときは、臨機応変な対応が求められる。また、運動会の際に特に強調される挨拶や礼儀も重要だが、それは日常の中で自然と身についているべきものだ。挨拶は、ただの形式ではなく、仲間を思いやる心の表れであることを、子どもたちに伝えたい。

一方で、授業の中にも日々の学びが詰まっている。算数の授業では、「考えよう」と「知ろう」という二つの異なるアプローチがある。私は「考えよう」を重視し、子どもたちに十分な時間を与え、自分自身で答えを見つけるプロセスを大切にしている。自由にノートに考えを書かせ、クラス全体で意見を交換し、そこから共通の答えを導き出す。子どもたちが考える力を養うためには、時間と機会が必要なのだ。

理科の授業でも、同様に子どもたちが自ら予測し、手を動かして学ぶ姿を大切にしている。電池の直列と並列について、手を使って覚える方法は特に効果的だった。電流の強さを体感させるために、「半分の力」や「2倍の力」という言葉で彼らの想像力を引き出すように声をかけると、目を輝かせて学ぶ姿が印象的だった。

4年生たちは、3年生に対して給食当番の改善提案を行った。彼らの意見は実に多岐にわたり、私はそれらを板書やPCで視覚化し、みんなが共有できるようにしたいと考えている。量が多いため、次週も確認できるような仕組みが必要だと感じているが、上級生が下級生に教える姿は、全学年で同様の取り組みを導入する価値があると感じさせる光景だった。

そんな週の終わりには、私自身が心身ともに疲れ果てていた。特に金曜日、午前11時を過ぎるまでは、体が言うことを聞かないほどの疲労感があった。それでも、特別支援に関わる中で少しずつ相談に答え、通常学級の子どもたちにも声をかけることができるようになってきた。3年生や4年生の子どもたちからも、支援を求めたり、自分の努力を認めてほしいという気持ちが伝わってくる瞬間が増えてきた。しかし、特別支援学級の近くを通ると、未だに精神的な辛さが胸に押し寄せ、強い拒否感を感じることが続いている。この感情の原因は、まだ自分でもよくわかっていないが、今後もこの点に注目して、自分自身と向き合っていきたいと感じている。

そんな日々の中で、私は子どもたちとともに成長していることを実感している。そして、その成長の過程が、また次の一歩へと私たちを導いてくれるのだろう。

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