織田音个

実体験を記録に残しつつ、同じ想いを抱く人と何かを共有したいです。 https://instagram.com/odaneko5?igshid=YmMyMTA2M2Y=

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最近の記事

50代からのグレーゾーン(第22回)

隙だらけの私に、彼氏ができた。 ストーカー事件の時に、私を救出してくれた先輩だった。 見た目はともかく優しかったので、最初の頃は特に問題を感じなかったが、知れば知るほど私はその人を恐れるようになった。 後輩への年功序列で高圧的な態度や、 DVな父親から守ってくれた母親を慕っているのに、結局父親のようになってしまうのではないかと思う言動が時折垣間見られた。 そして、案の定、私の男友達の家に乗り込み賃貸アパートの壁に穴を開けるという事件が起きた。 本当にただの友達でしかないのに

    • 50代からのグレーゾーン(第21回)

      大学に通い始めた私は、中途半端な真面目さ故、授業中、寝てようが遊んでいようが、サボるということはなかった。 しかも、役者になるための活動はどこへやら、サークルに所属してしまった。 どっぷり大学生活に浸かってしまったのである。 サークルの勧誘にあっさり乗っかり、美人なクラスメイトと一緒に、とあるサークルに入った。 美人なクラスメイトとは、同じ出身地の同じ高校に通っていたということが判り急接近したのだが、彼女はかなりの美人サイコパスであり、何でも真に受ける私はうまくかわせず、後

      • 50代からのグレーゾーン(第20回)

        無事、最低な成績ながら高校に内部進学できた私は、中身は何も変わらないまま…いや、身の程知らずさがエスカレートしていたかもしれない。 元来じっとしているのが苦手な私は、小学校時代から椅子の後脚だけ着地させ、ゆらゆらしているタイプであった。貧乏ゆすりなども酷かった。 今は、儀式や美容院が苦手で、髪は自分で切って染めているが、儀式は仕方がない。 ムズムズしながら終わるのを待っている。 逆に、何かに集中すると、集中しすぎて電車に乗れなかったり降りられなかったりする。 しかも、運動

        • 50代からのグレーゾーン(第19回)

          かなり幼い頃から、私は大人が怖かった。 すごく偉くて大きな存在であり、自分が将来大人になり、大人たちの中で大人として生きていくことが恐ろしくてたまらなかった。 お金も怖かった。 自分の想像のつかない大金を稼ぎ、絶やすことないよう社会人の一員として働く自信がなかった。 大人になれば、それなりに生きる能力が身につくと思っていたが、やはり私には何か欠けているのか、上手に大人になれなかったように思う。 大人になるということは、全てを体験して初めて、ものが言えるのだと信じて疑わなか

          50代からのグレーゾーン(第18回)

          小学生の6年間は、様々な辱めを受けながらも無事終わったかのようだったが、やはり、思うようにいかない自分自身や生活に、私は無意識に辛さを感じていたのかもしれない。 低学年の早い時期から、私は地面に顔が並行になるくらい下を向いて歩く癖があった。 電車の駅から家までの道のりの記憶は、道路や側溝の蓋の映像しか出てこない。 ある時、近所の人にその姿を見られたらしく、母から「この世の終わりみたいな歩き方だったって言われたよ。顔を上げて歩きなさい」と注意された。 また、希死念慮が常につき

          50代からのグレーゾーン(第18回)

          50代からのグレーゾーン(第17回)

          私が好きになった男の子は、一軍の中でもクールでかっこよく、サッカーが上手で熱くなる性格だった。周りには同じようにかっこいい子と、そして取り巻きのような面白い男子が数名いた。 私には手の届かない彼と仲間たちは、しかし私をからかうことで私と絡んでいた。 からかわれ、後にいじめだったんだと気づいたのは、大人というよりもっといい年になってからだった。 私は、彼らのからかいやいじめを、遊びだと思って執拗にやり返してはやり返される日常を送っていた。女子たちとはほとんど絡まず、絡んでくる男

          50代からのグレーゾーン(第17回)

          50代からのグレーゾーン(第16回)

          幼稚園の時もそうだったが、私には友達ができなかった。できたと思っても続かない。 私が友達になりたいと思うのは、先生が依怙贔屓している可愛い優等生だった。月とスッポンのような組み合わせだが、私に無いものを全て持っている子への憧れと友情を、完全に混同してしまっていた。 最初はそれでも、優等生ならではの器の広さで、近づく私を受け入れてくれた。 しかし、彼女への依存と独占欲と執着に恐れをなしたのだろう。私から、上手に離れていった。 元々、今で言うところの「一軍」に所属していた彼女は、

          50代からのグレーゾーン(第16回)

          50代からのグレーゾーン(第15回)

          私学の小学校に通うことは、大人が思うよりも過酷であった。少なくとも、私には・・・ 大人にしてみれば、小さな子がランドセルを背負い、友達と大きな声で話をしたり、ホームや電車内を無駄に移動したり走ったり、悪いイメージを持っている人も少なくないと思うが、心細い気持ちで通う子どももいる事を、頭の片隅に置いて見守っていただきたい。 1年生になったばかりの頃は、同じ方向の上級生と一緒に登校する規則になっている。確か1年間だった気もするが、期間は記憶にない。 私の引率者は、丁度6年生だっ

          50代からのグレーゾーン(第15回)

          50代からのグレーゾーン(第14回)

          ある日、図画の授業で「松の木」を描くことがあった。どんな授業があったかなど、忘れてしまっているが、その時の課題だけは覚えている。 低学年は、担任が音楽以外の全教科を受け持つため、図工の専任はいなかったのだろう。昼休み前の授業が図工であり、松の木を写生するのだが、終わった人からお弁当の準備を始めて良いとのことだったように記憶している。 皆そつなく描き終えて、机を動かしてお弁当の準備を始めていた。 私は描き終わらず、仕方がないので松の葉をひと塊りずつ楕円にして塗りつぶして先生に見

          50代からのグレーゾーン(第14回)

          50代からのグレーゾーン(第13回)

          鬼瓦風の初老の女教師は、なにしろ罰を与えるのが好きであった。 私はASDの傾向があると言われたが、ADHDも混じっているのではないかと自身で思っている。 実際、混合の人も多いようで、目に見えない障害だけに線引きが難しい。 人に自分の症状を話すと「私もそうだよ〜」と、同情なのか同調なのか分からない返事をする人も少なくなく、話す気が失せる。 私が感じ続けた違和感や、いじめやパワハラなどを受けたことがあるならともかく、上手く世を渡ってこられたなら、たとえ障害があってもかまわないと

          50代からのグレーゾーン(第13回)

          50代からのグレーゾーン(第12回)

          丁度、バブル時代の好景気のおかげで、父は商売を成功させることが出来ていた。 バブルの崩壊とともに、本当の利口さを持たない父は全てを無くすことになるのだが、当時は、子供たちを私学に通わせるだけの財力があったおかげで、私も電車に乗って小学校に行くことになった。 恵まれた環境のはずだった。親がいつもお金の心配をしているのを見ずに育ったこと、足りないものが苦労せず手に入ることが、満たされていると定義すれば。 しかし、「世間知らず」な環境で「お嬢様」と揶揄されて育つことに、私は疑問を持

          50代からのグレーゾーン(第12回)

          50代からのグレーゾーン(第11回)

          幼少期の私は、いつもクマのぬいぐるみをおぶっていた。そして、ぬいぐるみの身長を測ったり、メンソレータムを塗ったりして世話していた。 また、アニメの主人公になりきり、その名で呼ばれなければ返事をしないなど、自身以外の何かになりきることが多かった。 時には猫になりきり、一日中、四つ這いで「にゃ〜」としか言わないことも、常習的にあった。 特に近所に友達もおらず、斜向かいの頭の良いお姉ちゃんが小学校に上がるまでは、時々遊んでくれた。それ以外は、家の裏の小高い山で、一人で遊んでいるこ

          50代からのグレーゾーン(第11回)

          50代からのグレーゾーン(第10回)

          私の覚えてる母は、きちんと家事を行い、子供の参観などにも出席し、真面目な専業主婦であった。公的な人付き合いが苦手で、PTAの役員などは、頑なに断っていた。気の合う友人は何人かいるようだったが、グループではしゃぐような性格ではなかった。 人目を気にし、指摘や否定されることを恐れるあまり、人といると気疲れしてしまうのではないかと推測する。 その母とは、じゃれ合うようなスキンシップをした記憶がなく、淡白な愛情だと感じていた。 それは、母の性質であり、悪気も罪もない。 それでも寂し

          50代からのグレーゾーン(第10回)

          50代からのグレーゾーン(第9回)

          姉は、家の中で最もまともであり、世間では少々真面目すぎるところもあっただろうが、今となっては、家族のまとめ役のような存在となっている。 私とは、兄より更に年が離れており、幼い頃から手の届かない人という印象がある。 そのため、姉が母のような役割をする時もあった。 母も、努力家で気の利く姉と私を時折比べ、「お姉ちゃんは○○できたのに」「こういう時、お姉ちゃんは○○してくれたよ」などと、ボヤいていた。 姉や兄はスポーツが普通にでき、運動会ではリレーの選手にも選ばれていたが、私には運

          50代からのグレーゾーン(第9回)

          50代からのグレーゾーン(第8回)

          兄とは少し年が離れているため、私の記憶の中の兄は既に普通ではなかった。 母が何か注意すると耳を塞ぎ大声を出し続ける。 母が口を閉じるまで、「あーーーーーーーー」と言い続けるのだ。 そして、私と目が合うと、「見るな」と怒鳴られ、私が泣くと叩かれた。 顔色を見ることが苦手な私は、自分のを守るすべも無く、ただ怯える毎日であった。 兄が高学年になる頃には、更に暴力や暴言が酷くなり、毎晩母を罵っていた。自分の意見に同意しなければ罵り、同意すれば「本当はそう思っていないだろう?」とまた、

          50代からのグレーゾーン(第8回)

          50代からのグレーゾーン(第7回)

          自身が発達障害のグレーゾーンや精神疾患であるということをすんなり受け入れることができるのには、根拠があった。 先ず、生まれ育った環境や家族の様子は、普通と考えられる・・・例えば磯野家のような家庭からはかけ離れていた。 父親は子供に全く無関心で、自身の仕事の功績を幼い子供に自慢する時のみ、声をかけるような人であった。言ってしまえば、相手の感情など想像できない、自己愛の強い人。 母の後日談によると、外に愛人がおり、母は幼い私の手を引いてその愛人宅を見に行ったこともあるという。

          50代からのグレーゾーン(第7回)