あの日救えるはずだったあと一人を探している
次、未来、今後、明日、来月。
生きるだけで時間が進む。
6月の終わり、大雨の日。金曜日。
退勤ラッシュの時間帯に私は東京でトークイベントに出るために電車に揺られていた。
本日もおしごと、学校お疲れ様でした。
噂には聞いてた。
東京の電車では時折そんなアナウンスが流れること。
目的地に、進む、進む。
イベントの集客が目標人数にまだ達していないことに頭を悩ませながら。
電車を降りると、駅のホームに人がごった返していた。
小田急線の人身事故で乗るはずだった電車に乗れない人が多数発生しているらしかった。
トークイベントは、もろに影響を受けた。
スタートは遅れた。
遅れてやってきた参加者もいた。
質疑応答の時間で、私は、一人ずつ質問に答える。
涙する質問者の質問を必死に考えて、頭を回して、言葉を返す。
トークテーマが"寄り添いのカタチ"だったから、一人一人に寄り添えるような言葉を返したくて、頭を捻るけど、うまく言葉が出なくて、かなりの時間がかかる。
つっかえながら、行ったり来たりしながら、なんとか質疑応答の時間をやり終えた。
トークイベントは、温かく終わった。
やり切った安堵と共に、質問に乗せられた思いの耐えきれ無さから、イベント終了後数日はどこまでも空っぽになる自分が思い浮かぶ。
帰りの電車は、日付を越しても、284分遅れで運行し続けていた。改札に鳩が酔っ払った人のような千鳥足で入っていくのがおかしくて、友達と涙を流して爆笑した。
電車の座席で、空っぽの体が、新宿までずっと揺られる。
アナウンスは、行き先を伝えるだけで、そこにお疲れ様でしたはない。
アナウンスする人が今言われたい言葉No.1に決まってる。
東京の金曜日の夜は案外静謐さを保っている。
イベントの参加者は目標まであと一人足りなかった。あと一歩だった。
言葉で救えるはずの人が他にいたはずなのにいなかった。
あと一人。
あと一人。
今日小田急線で人身事故に遭った人は、
おしごと、がっこう、おつかれさまでした
のアナウンスを聞けなかった人だろう。聞いていたとしても、生きる間に流れる時間が止まらないことに絶望しただろう。
電車に乗れた人への讃美歌、乗ってしまえた人への哀悼歌のようなあのアナウンスは、人を喜ばせ、人を絶望させる。
私が入り込む余地は他になかっただろうか。
電車に乗る前に何か文章を発信することで、私の文章が電車に乗るまでの暇つぶしになりやしなかっただろうか。
そこから私の存在を知って、これから始まるイベントの存在に気づいた誰かの帰路を寄り道に変えてみたかった。
あと一人、を私はずっと引きずる。
みんなが待ち望む金曜日の夜。
社会の流れを止めた、私の名前が入る路線。
質疑応答で場を混沌とさせる私の回答。
あと一人。
人生は暇つぶしなら、電車を待つ時間とか、眠るまでのちょっとした時間潰しになるものを私にも作れないだろうか。人生の暇のつぶし方に困ってしまった人間の戯言。