劣等感とその先の覚悟
「学校に行ってないからわかんない」
ある日、娘に「この漢字わかる?」と聞いた時に返ってきた言葉。
なんだか不機嫌そうに
投げやりに答えた娘の胸の奥にあるものを、カァちゃんは知っているのです。
・・・・・あのね、
何かできない、わからないのは学校に行っていないからじゃないの
学ぶ機会がなかったり
勉強してないからなの
学校に行ってもできない子はいるし
学校に行かなくてもできる子だっている
やるかやらないか
やったかやらなかったか、それだけ。
ましてあんたは
学びたいと思ったことは、いつでもいくらでも学べる環境にいるの
自分でわかってるよね。
ホームスクールは学校に行くよりも厳しいって意味がわかった?
誰もお膳立てなんてしないの。やるもやらないも全て自分なの。
もし自分ができないことがあって
できないことが悔しくて劣等感になっていて
それを学校に行っていないからだと本気で思うなら
あんたは明日から学校へ行くといい。ってカァちゃんは思います。
・・・・・・・・・・。
何も言わず俯く娘。
腹たつよね。
突然の問いに答えられなかったことも
自分が言ったことを否定されるのも、悔しいよね。
勉強ってなんだろう
教科書開いて計算して
応用問題解いたり
漢字を覚えて地形図読み取って・・・「今」どんなに興味がなくても。
私は、毎日子どもたちがゲームや動画に夢中になっていても
そこから色々なことを吸収していると感じる瞬間はたくさんあって
教科書を開かなくても
音読とか一切しなくても
コミュニケーション取れてるよね
いつの間にか漢字や熟語も知ってるし、意味も理解してるし
それに、集中力があるから
何か習得したいことができたらすごい力を発揮するんだろうなって、見ていてわかる
だから、
勉強しなくて、学校行かなくて大丈夫かどうか決めるのは本人だけど
・・・・・大丈夫でしょ。と強く思います。
だから、娘のことを何も知らない過去の誰かが決めた学習カリキュラムに遅れてるとか
本当に本当に、どうでも良くって
ただ毎日幸せでいてほしい
安心して生きていてほしい
大人になることを恐れないでほしい
そして今はただ、
世間一般に言う勉強は
「いつか自分が必要だと感じたときに始める」覚悟をもう一度
自分と向き合って決める時期なのかな、と思います。