子どもを無力化する宿題
時々わが家に遊びにくる、娘のお友だちYくん。
先月、Yくんとの雑談から学校の宿題の話になり
とにかく量が多すぎる
Yくんのお母さんも多すぎると言っていて
一度担任の先生に伝えたけれど、無駄だった
宿題が多すぎて習い事をやめたんだ、と
話しながらだんだん怒りがこみ上げている様子に
Yくんから直接先生に話してみたの?と聞くと
「話しても変わらないよ・・・」と
とても悲しそうに俯きました。
あぁ、そうだ。こうして子どもは見切りをつけるんだ。大人にも、自分にも。
蘇る懐かしく苦い気持ちと
それから半月、ずっとYくんのその表情が頭から離れず
先生に話した方がいいのだろうか
でも部外者の私が言うと、Yくんと先生の関係がおかしくなってしまうのではないか、と迷いながら過ごしました。
起きているうちの、とても長い時間を過ごす学校という場所で
自分の身の安全や学びの主となるものを委ねなければいけない担任の先生に対し、生徒が「話してもムダ」と思ってしまうような信頼関係・・・一体、普段どんな接し方をしているのだろう
子どもがこんな年齢から「自分は無力だ」と
自分の生きるレールを自分でどうすることもできない絶望感を抱いて成長すると
その子が大人になったとき
「子どもは大人の言うことに従わなければいけない」と、子どもの気持ちを蔑ろにするようになるのではないでしょうか
昔からずっと連鎖しているように・・・
宿題は『学んだことを反復して定着させるためのもの』、それはわかります。
Yくんも充分に理解しているし、先生がみんなのためを思って出していることもわかってます。
でも、その学びを定着させるための「手段」であるはずの宿題が、子どもにとってただこなすだけの「目的」になってしまっているのではないでしょうか
これが子どもの幸せに繋がるのでしょうか
・・・と、冒頭のYくんの様子から、思うこと疑問全て
学校から始業式のご挨拶のお電話をいただいた日に、教頭先生にお話ししてみました。
電話では先にYくんの担任(=娘の担任)とお話ししましたが、Yくんのお母さんが話しても無駄だったことから
担任どまりにされてはいけない
Yくんだけじゃなく同じように苦しむ他の子のためにも、
これから入学する全ての子のためにも
学校の課題として取り上げてもらえたらと、教頭先生にお伝えしました。
最近は宿題がプラスにならないとの意見や研究結果もたくさん目に入るようになり、宿題を廃止にしたり生徒自身が学ぶ内容を選択するスタイルに変えた学校の例を挙げながら
お忙しくてすぐには無理でも、変えられないことはないと思います、と。
教頭先生はYくんの状況にとても驚いていましたが
「生徒の幸せにならないのなら、すぐに見直さなければいけない」「Yくんと担任の関係がおかしくなることは絶対にないよう責任持って対応します」と約束してくださいました。
今回こうしてお話しして、どんな結果を迎えるか正直不安な部分もあります。でも、少なくとも「このままでいいはずがない」と思う気持ちの方が強かった。
子どもから考える力を奪い好きなことを取り上げ、宿題に向かわせる。そうしなければ社会に出た時に生きていけないと誤解を与える教育のあり方は、もう終わりにしてほしい。
子どもが、大人になることに希望を持てなくなるような見本でいてはいけないんです。自己満足かもしれないけれど
Yくーーーん!言葉にできずにいたYくんの気持ち、代わりにしっかり伝えたよーーーーー!!!
次にYくんに会えたとき、このバトンを引き継げたらと思います。