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#0137 子供の自らを育てる力で「自主性」を育む
皆さん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
昨日がとても暑かったせいか、今日は朝から疲れを感じていました。
今夜はヤクルト1000を飲んで早めに寝ようと思います。
さて、今日は子育て系のお話をしたいと思います。
昨年11月に娘の洋服選びに頑張って付き合あおう!
忙しい朝は特にイライラしてしまうけど、
本人の好きを伸ばすために付き合おう!
と心に決めて、およそ半年が経過しました。
保育園に大好きなドレスを着ていけないなど制約はありましたが、
娘の好きに付き合うこと、
自主的に考えて選択させること
(親がこれを着なさいと言わない)
を意識して接してきました。
振り返ると娘の成長を感じることは勿論、
親があれをしろこれをしろと言わなくても、
子供は勝手に自分の力で育っていくということが分かりました。
できるだけ子供が自分自身を育てているところを
親が邪魔しないようにすることが大事です。
子供の自分を育てる力の源は好奇心であり、
好奇心は自主性から生まれてくると思います。
この自主性、大事なことはわかっているのですが、
子供だけでなく大人こそ、必要な要素ではないかと思うのです。
○娘の主体性を大事に
・ドレスが大好き時代
11月に記事を書いていた頃、
娘はディズニープリンセスが大好きで、
ヒラヒラつきのズボン(カットソーフレアスカッツ)は必須でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1716341430173-Hsa2pKC6zU.png)
そしてドレスは毎日着たい!という感じでした。
ですが、安全面の理由から保育園にはドレスを着ていけないので、
理由を説明してドレスを選択肢から外すと大号泣。
私はできるだけイライラしないように気をつけていましたが、
「違う服を選んで」「早くして」と言ってしまうことがありました。
書いている今も罪悪感が蘇ってきます…
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/141429732/picture_pc_3246f8daf59b0f0612c1d5f222127649.png?width=1200)
・メルカリによる洋服調達
洋服は、お店に行くと必ずと言って良いほど高額商品を希望するので、
一定程度のミスマッチによる損失を想定し、
損を最小化すべくメルカリを多用しました。
保育園にも着ていけそうなドレスもどきのヒラヒラした洋服を探し出し、
タブレットで一緒に選んで購入するという方法で供給していきました。
(到着した商品を見て「これ違う!」と怒ることもありますが笑)
・主体性を大事にできた
特に意識したことは、娘が主体的に考えて選択することです。
さすがに保育園に行く日は、ドレスは選択肢から除外せざるを得ませんが、なぜ選べないかを説明したうえで選択肢から外していました。
はじめは、説明しても受け入れられず大号泣していましたが、
いつからかそれがなくなっていきました。
洋服を選んでいる時に、「これは引っかかっちゃうから危ないかな」と
一人でしゃべりながら選んでいます。
保育園に限らず、休日に自転車遊びするときも同様です。
保育園にドレスを着ていくことができない理由を自分で理解をし、
色々な場面にあわせて知識を応用しているのを感じます。
イライラを我慢したり、せっかく購入したのに着ない服があったり、
いろいろとありましたが、あまり親がうるさく言わないようにして良かったと思っています。
○好奇心パワーの凄さ
・ドレスは赤ちゃんが着るもの
基本的に洋服を見たり選んだりを自由にさせていると、
娘の好みの変化もオモシロイです。
前はドレスでなければ泣いて怒っていましたが、
いまは何と着物が大好きで、
ドレスは今となっては過去のものになってしまっています。
本人曰く「ドレスは赤ちゃんが着るもの」だそうです笑
・え?十二単を着たい?
娘は毎週大河ドラマ『光る君へ』を真剣に見ています。
(一緒に見ようと誘っているわけではありません)
少なくとも男女の恋愛や、
誰かが悪いことをしている、
いやがらせをしている、
といったことは理解できているようです。
大河ドラマ『光る君へ』は平安時代が舞台で、
十二単を着た人たちがたくさん登場します。
おそらく綺麗な装束に惹かれたのでしょう。
あるとき十二単を着たいと言い出しましたw
さすがに我が家には十二単はありませんので、
甚平を引っ張り出してきて、何枚か重ね着をさせました。
するとそれが大ハマりしまして、
春先の寒い日でも甚平の重ね着による十二単を家で着るようになりました。
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・やめられない止まらない
そこからは着物への興味・関心がとまりません。
保育園の近くの着物屋さんに毎日ウインドショッピングをして、
お店のおじさんと仲良くなると、
着物の周辺グッズ(足袋、帯、かんざし…)について
色々と教わるようになり、
欲しい物が増えるだけでなく、知りたいという好奇心が益々強化されていきました。
ここでもドレスの時と同様にメルカリを使って、
甚平や幼児用の浴衣などを購入。
家では時間があると、着物屋さんからもらったカタログをずーっと眺めていて、お気に入りのページに付箋を貼っています笑
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/141453328/picture_pc_5259f57ac3833d6d1ce7c3baba6c6565.png?width=1200)
最近は着物から派生して神社やお寺、お城、侍などにも興味が広がり、
時代劇を見ながら、この人は悪い侍?など聞いてきます。
私にも浴衣を着てくれとお願いしてくるので困っていますが、
子供の好奇心というのは凄いなと感心します。
『光る君へ』というきっかけは私が作ったと思うのですが、
そこから着物を着ろとは一切言っていませんし、
娘本人の内なる感性と好奇心から今に至る勢いを見ると
「好きこそものの上手なれ」という言葉を思い出します。
○社会・教育について思うこと
・子供が自分で自分を育てる力を信じよう
周りが習い事やお受験に積極的な家庭が多くて、
個人的には親が子供に与え続ける、或いは指示し続けるのは、
逆に子供自身が持っている自分を育てる力を阻害しないかと感じます。
着物から神社やお寺、侍などにも興味を持ち始め、
時代劇を見たりしている娘をみて、
好奇心を原動力に突き進む娘の邪魔をしないようにと
私はいつも考えています。
お受験なども結構なのでしょうけど、
それって、子供の自主性を奪っているようにも思いますし、
娘を見ていると、このまま好奇心で突き進んでいたら、
どんな大人になるんだろうとか、
親がどう思おうが、好きなことをやれていることが娘にとって幸せなのでは
とも思うようになりました。
私がフォローしている工藤勇一先生のツイートがなるほどと思ったのでシェアします。
「主体性」と「自主性」という言葉は似たような意味で使われますが、実はかなり違います。
「自主性」は簡単に言えば「自ら進んで行うこと」ですが、大人がやってほしいことを忖度して進んで行う姿も含めた言葉です。
一方、 「主体性」は「自分で考えて、判断し、決定し、行動すること」ですが、自分で考えた結果、大人がやってほしいことをやらないと決めた姿も主体的な行動のひとつとしてとらえることができます。
「主体性」と「自主性」という言葉は似たような意味で使われますが、実はかなり違います。
— 工藤勇一 (@KudoYousan) May 18, 2024
「自主性」は簡単に言えば「自ら進んで行うこと」ですが、大人がやってほしいことを忖度して進んで行う姿も含めた言葉です。
一方、…
・日本に必要なのは「自主性」
いま日本の社会に足りていないのは「自主性」だと思うのです。
これは子供に限った話ではなく、我々大人もです。
最近のテレビなどを見ていると、Giveしてもらうことになれきってしまって、あれをくれ、これをくれ、これが悪い、あれが悪いだの文句ばかり。
東京15区の補選の妨害行為も、こうした文句が溢れている状態が具現化したものとも取れます。
自主性があれば、文句を言う前にアクションを行っています。
自主性があれば、自分の意見を持つことができます。
自主性があれば、困難な状況に陥っても他責にすることなく乗り越えることができます。
文句を言っていても活力は湧きません。
自分も社会も変わりません。
子供にも自主性ある大人になって欲しいと思いますし、
自分も自主性ある行動をとって背中で見せていかなくてはと思いました。
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