#0052 昭和的価値観:男性育休、女性社長の言葉のウラ
昨日は戦後から確立されていった昭和的価値観が未だに慣性の法則に従って残っていることについて書きましたが、この価値観を基礎に女性の社会進出なんて上書きしていくせいで、過度に女性に負担がいってしまい、仕事に家事に子育てに無理ゲー状態になっている家庭が多い気がします。
また、家事や子育てなどを自動化したりアウトソースしようとすると、昭和的価値観が抵抗して現状維持に引き戻そうとしてきます。時代の移り変わりの最中とはいえ、摩擦係数高すぎる感は否めません。
個人的には仕事も家事も子育ても全て労働としたうえで、子育てが人類最上位労働と定義付け、性別に関係なく、夫婦2人とも子育て一軍選手のマインドで取り組んだ方が良いと考えています。
人によって得意不得意あるので、苦手なものや疲れた時などは積極的にアウトソースして自分の時間を作る。とにかく無理はし過ぎない。こういうことかなと思っています。
今日はその延長で、男性育休とか女性社長とかの言葉に隠れたニュアンスについて綴りたいなと思います。(1203文字)
○行間に隠れた「なのに」
結論から言うと、「男性育休」という言葉には、「男性なのに育休」という意味が隠れており、「女性社長」という言葉には「女性なのに社長」という意味が隠れています。
つまり、性別+〇〇という言葉の裏には、性別「なのに」〇〇という使われ方をしているということです。
昨今、ジェンダーなどの価値観が徹底されるようになり、「スチュワーデス」とか「看護婦」とか言わなくなりましたが、一方で「女性社長」「女性総合職」「男性育休」などの間に「なのに」が入る言葉が増えた気がします。「ワーママ」や「イクメン」とかもそうですね。
この現象は、一見すると時代がアップデートされているように感じますが、本質的にはこれも昭和的価値観の土台から抜け出せていないのです。
私が育児休暇を取得したときの経験からも「なのに」を随所に感じます。
性別のほかにも、小学生〇〇とか、18歳〇〇とか年齢+〇〇というのもあります。
小学生で経営者じゃダメ?とか思います。
この国の価値観が、本当の意味でアップデートされ、男性〇〇や女性〇〇などの言葉がなくなったとき、はじめて皆がのびのびとやりたいことに取り組むことができる自由な社会になるのだと思います。
○昭和100年に向けて
2008年に私は社会人デビューしましたが、その当時は「女性総合職」や「女性管理職」という言葉が流行っていました。当時勤めていた銀行で初めての女性支店長に仕えたこともありました。女性管理職という言葉は今も耳にしますが、女性総合職という言葉はあまり使われていないように思います。このように今使われている男性育休とか女性社長とかもそのうち使われなくなる日が近い将来来るはずと思っています。
2025年に昭和100年になります。せめて、それまでには昭和は卒業しなければならないと思いますね。