#0163 欲しいモノ・サービスが金で買えなくなる時代に向けて逞しく生きよう
こんにちは。釧路出身の小田原です。
極端なこと言っちゃうんですが、今の日本って金さえ払えば何でも手に入るって思ってるように感じます。
東京にいると、そう思ってしまう場面が多いです。
食べ物や飲み物は、ほぼ海外か地方で生産されたもの。
電気もそう、洋服や靴もそう、下手したら労働力もそう。
日米安保とかエネルギー資源もその延長線上で見てしまいます。
会社の中を覗いてみると、情報システム、審査ノウハウ、いろいろなものを外注していて、○○部とかの存在意義ってなに?と思うことが多々。
公民連携事業(PPP・PFI)では、自治体と直接・間接に関わることがありますが、ほぼ100%の割合で自治体にコンサルが付いています。自治体と面談すると、絶対コンサルが同席しています。
外から見ると自治体職員の人が操り人形にも見えてくる場面があるのですが、これも業務量が多い割に人が増えない、効率化が進んでいないという証左なのでしょうけど、こうした「外注委託」も良し悪しだなと思うのです。
○金で買えない時代が来る
最近のうざいくらいの円安報道に触れると、割と円が強かった時代のように円で買えるから大丈夫というのが通用しなくなってきているように思います。
ある国で購入する財・サービスの価格が別の国で購入する場合にいくらの金額になるかの比率(購買力平価)を利用して対ドル換算したものが、以下の「一人当たり購買力平価GDP」なのですが、米中韓のずっと下にあるんですよね。
これって買う力が弱くなっているということで、ある製品や資源が欲しくても、他国に買い負けるという状態と見做せることが出来ます。
現に新車市場では、北米や中国ではレクサスはすぐ買えるけど、日本国内では何か月待ちみたいな状態を聞きます。これも幾ら日系企業とはいえトヨタも国際市場で戦っていくには、各国の購買力平価や所得水準などを勘案してマーケティングをしているのだと思います。
日本国内においても、人手不足による供給制約が顕著になってきています。仕事はあってもそれに対応できる供給が足りていないという状態です。
「ないものは買えば良い」という20世紀のマインドのまま、21世紀を突き進んでいくと、食料も資源も自前調達できない日本はマズイことになるんじゃないかと感じています。
○国民総フリーランス化時代
世界情勢に目を向けると、アメリカはモンロー主義に回帰し、ロシアや中国は嘗てのドイツ地政学的な多極世界を志向しているように思います。
まさにグローバル化の逆回転です。
日本社会に目を落としても、会社や組織に所属することで自己定義する時代から、個人として尊重される傾向が強くなり、組織の時代から個の時代にシフトしているように思います。
このグローバル化の逆回転と個の時代の到来で重要になってくるのは、自前でできることは自前でやるということです。
国家単位では、生産拠点を国内回帰させたり、食料生産能力を向上させたり、代替資源を開発したり、或いは資源国との外交関係を強化したりという動きが必要になってきます。世界の警察をやめたアメリカがいつまでも守ってくれるという時代ではなくなってきているように感じます。
私自身、ずっとサラリーマンとして生きて、いかに自分が会社という箱モノに守られて生きてきたかを様々な場面で感じています。人生100年時代、年金もいつ貰えるかわからない時代、もう会社なんかに守ってもらうなんて考えはなくした方が良い。この辺り、会社とアメリカが被ってくるんですよね。
グローバル化した国際社会から、独立化した国際社会へ。
そして、国民総サラリーマン化した現代から、国民総フリーランス化時代です。
有名大学に入って、いい会社に入って、いい肩書もらってってのがエリートと呼ばれた時代から、自分の脳みそに汗かいて考え抜いて、自分の手足で動いて、リスク取ってジブンならではの幸せを追求する、これこそが真のエリートってことになるんじゃないかと。木下斉さんのvoicyを聴いていると、そう思います。
そして、自前でやらずに他人に任せてしまっては、ゆくゆくはオールを他人に握られることにもなるわけです。
できるだけ、多くの領域で自身でオールを漕ぐことが求められると思いますし、漕いでないと力がつかなかったり、やり方を忘れてしまうなど、筋トレと一緒でサボると衰えていく構図と似ていると思います。
先程書いた自治体のコンサル委託の話も、公務員をしていた叔父の話を聞くと昔は結構な技術領域を市が自前で行っていたようで、今のように外部委託が当たり前のような状況ではなかったそうです。人手不足等、複合的な要因が背景にあると思いますが、委託ばかりしているの内部にノウハウが溜まっていかないので、どんどん基礎体力が失われ、外部に依存しなければやっていけなくなってしまいます。
こうした構造は、国家、個人、両方にも当てはまるように思うのです。
なので、いまの自分に必要なのは、自分でやったことがないことをやってみるということです。
その一つに「確定申告」というものがあります。
金融の人間は、決算書や会計書類を読み込むのは得意ですが、作ることは苦手です。今年度は確定申告を独力でやり抜くことをミッションに掲げようと思います。
これをやることで、お金の面で、いかに自分が会社に守られて生きてきたか、会社の外の社会はこうなんだ!ということを、数字を持ってリアルに認識することができると思うのです。
○金が欲しいのは、してもらおうとしているから
嘗て炭鉱で栄えた北海道のマチ・赤平市で宇宙関連事業を展開する植松電機の植松社長のポストをここでご紹介したいと思います。
このポスト、すごく正鵠を射ているなと思います。
金で豊かさや幸福感を得られていた理由は、こういうことだったのかもしれません。
最近、お金よりも意味重視の風潮が強まっているのも、お金に対する考え方や幸せの定義が時代とともに変化していったのではないかと思います。
とくに若い世代ほど、お金や物の所有に対しての拘りがなく、逆に高齢世代ほど、俺のもの私のもの、金金金となりがちです。
お金は使ってなんぼです。
金融の仕事をしていると、お金に味も匂いもないし、今はデジタルで処理されるので、ただの数字の羅列の概念にすぎません。
だからこそ、私は公民連携事業の劣後ローンというクソニッチな領域を追求して、意味を持たせようとしてきたのかもしれません。ただお金が足りないから借りるでは、ガソリンがなくなったから給油するみたいに価格以外の差別化ができなくなります。意味を持たせることで差別化もできるわけで、そうした工夫で面白く無き事をオモシロクしてきたのかもしれません。
話はそれましたが、他人に依存しまくっていれば、それはそれで楽なんですが、そのうち自前でできなくなり、オールを相手に渡すことになり、自分の頭で考え、手足で動くことができなくなる。
そんな人生を歩むくらいなら、脳と身体を鍛え直して、会社の外に飛び込んでみる、これなんじゃないかなと思います。
資本主義社会では、金で買える幸せもそれなりにあるので、お金をバカにしることはできないのですが、今一度、生産する側(一次・二次・三次産業なんでも良い)を経験して自分でできることを増やすと良いと思います。
ゆくゆくはお金を出しても買えなくなる、手に入れられなくなるかもしれないモノやサービス。一つでも多く自分でできることを持っておくことは、人に飼われた動物が自然界で生きていくのと同じように、野生的に逞しく生きるために必要です。
いまサラリーマンやっている人の10%がこれやったら、マジ革命がおこるんじゃないでしょうか。そんなことを思ったり。
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