大和|シュマンケル ステューベ|ドイツの基本に忠実に伝統を継ぐ匠の技と味
こんにちは。CONOMACHI STORIES編集部です。
定期的に小田急沿線の「この街」スポットを紹介していくレポート。
今回は、大和市にあるハム・ソーセージ専門店「シュマンケル ステューベ」のマイスター奥沢さんにお話しをお伺いしました。
ハム・ソーセージの国、ドイツ。
その伝統的な食文化の技を究め、味を継承し、新たな味を創造する食肉加工の匠のことを、人々は敬意をもって’フライシャーマイスター’ と呼びます。
その名誉ある称号を、約40年前に単身ドイツへ渡り、厳しい修業を乗りこえて得た青年がいました。
大和市にあるハム・ソーセージ専門店「シュマンケル ステューベ」の奥沢一郎さんです。
■「Ja(Yes)!」から始まった、マイスターへの道
奥沢さんは日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)卒業後、ハム・ソーセージ製造を学ぶためドイツに渡りました。専門学校で勉強しようと考えていて、長く滞在するつもりはまったくなかったそうです。
しかし、相談に訪れた南ドイツのミュンヘン食肉組合で思いもよらぬことを知ります。
フライシャーマイスターになるには、公に認められた厳格な徒弟制度のなかで学ぶ必要がありました。さらに見習いで3年、職人で5年、合計8年もの時間がかかるといわれたのです。
(奥沢さん)
「驚きと緊張のあまり、手に脂汗をかきました。じっとりとした感触を今でもはっきり覚えています」
マイスターをめざすか、諦めるか。決断を迫られました。
(奥沢さん)
「その場で『Ja(Yes)! 』と答えました…勢いですね」
ミュンヘンの工場で見習いとして働きながら、マイスターになるための勉強をはじめました。このとき奥沢さんは24歳。一方他の見習いは、15歳から18歳くらいのドイツ人の若者ばかりでした。
言葉の違いや、外国人であることの不自由さも乗りこえながら努力した結果、奥沢さんは飛び級して見習い期間を2年で終えます。
そしてミュンヘンの南、シュタルンベルグ湖畔にある町の「メッツケライ ジークフリート ルッツ」に職人として入りました。
(奥沢さん)
「ようやく先の道がひらけたと思いました。思いがけず時間を要して苦労したけど、放り出さなくてよかったと思いました」
■師匠や仲間から「絶大な信頼」を得る
職人として働きはじめた当初、奥沢さんはしょっちゅう怒鳴られていたそうです。
(奥沢さん)
「何をしても怒られるんです。師匠だけでなく先輩の職人にも。個人経営の店には大きい工場では学ばなかったことが山ほどあったのです」
それでも懸命に働くことだけを考え続けた奥沢さんは、他の職人の何倍も動きました。やがて3か月が経過したころ、先輩から「もしお前がいなくなったら、職人が3人分必要だ」といわれたそうです。
(奥沢さん)
「あのとき『仲間として認めてもらえた』と思いました」
3年が過ぎるころには、奥沢さんは他の職人からいろいろ質問される側になっていたそうです。
あるとき奥沢さんは、日本のしゃぶしゃぶやすき焼き用のような薄切り肉を販売することを思いつきました。当時ドイツでは、肉はかたまりでしか売っていなかったのです。薄切り肉を用意し、真ん中に煙突のあるしゃぶしゃぶ用の鍋を取り寄せて、レモンとしょうゆでぽん酢を作り、実際に食べてもらいながら肉と鍋をセットで売ることを提案したそうです。
(奥沢さん)
「薄切り肉は日本の駐在員の家族の皆さんに大評判で、すぐに人気商品になりました。高級な肉がよく売れると皆に喜ばれました」
働きぶりも提案も認められる存在になった奥沢さんは、師匠や仲間から絶大な信頼を得ていたのです。
(奥沢さん)
「一生のうち3回しか受けられないマイスター試験のプレッシャーは相当なものでした。でも私は『マイスターになりたい』と周りにいつも話していました。なぜマイスターを目指すのか、目的を強く持ち続けることが大切だったのです」
目的をしっかりと持ち、それに見合う努力を重ねて形にしていく´有言実行’ の姿が周りに認められ、異国の地で大きな信頼を得ていったのです。
■「ドイツの基本」をまっすぐに
試験に合格し、フライシャーマイスターの称号を手に帰国した奥沢さんは、1991年秋シュマンケル ステューベを開店しました。
(奥沢さん)
「『日本で店を開くなら』と、シュタルンベルグ郡食肉組合の組合長の奥様から店の名前をいただきました。南ドイツの方言で ’うまいものの店’ という意味です。シンボルマークのふくろうはPöckingの町の紋章に由来します」
商品づくりでは、基本に忠実であることを大切にしているとのこと。
(奥沢さん)
「最初は試行錯誤しました。味を日本人向けにアレンジするという考え方もありました。でも私にできるのはドイツで学んだ基本だけ。その基本に磨きをかけることで、自分なりのソーセージ作りを確立していきました」
製法だけでなく、塩や香辛料などの材料や機械もすべてドイツから取り寄せているそうです。
フライシャーマイスターに与えられた、ドイツの伝統食文化の継承という役割を忠実に守り、奥沢さんは基本にまっすぐに ’うまいもの’ を作り続けているのです。
■「調和」こそおいしさの決め手
自分の味がぶれないように、奥沢さんがずっと続けていることがあります。ドイツ農業協会(DLG)主催の食肉コンテストにいつも挑戦することです。(食肉コンテストは2年に一度、ドイツから審査員が来て麻布大学で行われます)
(奥沢さん)
「本場のドイツ人に『ドイツのものよりもおいしい』と言ってもらえるのが、一番うれしいですね」
人気商品の一つ、白いソーセージ「バイスブルスト」は2020年にDLG金賞を受賞しました。奥沢さんが学んだミュンヘンの名物です。
(奥沢さん)
「東京じゅうのバイスブルストを食べたというお客さまから『おたくの店のが一番うまかったよ』と言われたこともあります」
豚肉レバーのペースト「農家のレバーブルスト」は2018年にDLG金賞を受賞した一品です。レバー独特の風味がなく、凝縮したうま味にほどよい塩気と香辛料が効いています。
奥沢さんは、「調和」がおいしさを決めるといいます。
(奥沢さん)
「豚肉の良さはもちろん大切ですが、豚肉だけでは味は『空っぽ』なんです。塩や香辛料を加え、全体を『調和』させることでハムやソーセージはおいしくなります。どんな香辛料を使っているかなどに注目が集まりやすいですが、私は『調和』を大切にしています」
ドイツ人にとって、ハムやソーセージは日本の´お豆腐’ のような存在だそうです。毎日食べても飽きのこない家庭の味。日常的な食べものだからこそ、ゆでても焼いてもおいしい調和のとれた味が大切なのです。
■市民まつり・青年部・推奨品…大和とのつながり
開業を機に大和にやってきた奥沢さん。次第にまちとのつながりを強めていきました。
(奥沢さん)
「日本人になじみの少ないレバーブルストは、最初のうちあまり人気がありませんでした。でも、地元のお客さまからの意見を参考に材料の配合などを工夫したところ、次第に好評をいただくようになりました」
5月に大和市引地台公園で行われる「大和市民まつり」にも毎年出店していて、奥沢さんが焼くソーセージを楽しみにしている市民の方が大勢訪れるそうです。
大和市商工会(現在は大和市商工会議所)の青年部にも誘われて入り、商工会主張発表大会の神奈川県代表として、関東ブロック一都十県の大会に出場したこともあるとのこと。
(奥沢さん)
「大和は都心からほどよく離れていて、自然と暮らしやすさが調和した街です。焼肉店が多いのと、野菜が新鮮でおいしいという印象がありますね」
大和市の特産品・推奨品にも選ばれています。最新の第10回(2023年度)には「フライシュケーゼ(四角い型に入れてオーブンで焼き上げた南ドイツのソーセージ)」が推奨品になりました。
(奥沢さん)
「推奨品に選ばれてから、デパートの催事などでお客さまから『大和のお店なんですか?』と声をかけていただくことが増えました。うれしいですね」
■本物の味を、日本の食卓にもっと届けたい
お店のハム・ソーセージを、もっと多くの方に食べてもらいたいと奥沢さんはいいます。
(奥沢さん)
「日本人の肉の消費量は年間約25キロ、一方ドイツは約55キロと日本の約2倍です。肉の値段も日本の方がドイツよりはるかに高額で、材料や製法にこだわれば必然的に割高になります。それでも、おいしい本場の味を皆さんに知っていただき、食べてもらいたい」
(奥沢さん)
「お店の名前は、まだ十分に大和の皆さんには知られていないと思います。お店のことを知っていただき、おいしいハム・ソーセージを広く普及させること。やることはたくさんあります」
1991年の開業から今年で33年。
’日本におけるドイツの伝統食文化の正統な継承者’ フライシャーマイスターとして、学んだ基本に忠実に、おいしいものを食卓に届けるべく、奥沢さんは今日も探求しつづけています。
取材後、バイスブルストをいただきました。塩気・肉のうま味・香りのバランスがとてもよく、それはまさに奥沢さんの大切にされている「調和」でした。シンプルだけどしっかりおいしいその味わいに、奥沢さんの素直でまじめな人柄がそのまま表れているように感じます。
「ドイツと同じことをやる」という揺るがない想いは、これからも多くの人たちにおいしい悦びを届けてくださることでしょう。
奥沢さん、ありがとうございました。また奥沢さんが作るおいしいハムとソーセージを買いに、お店に伺います。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます!