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能登半島地震から1年。福島の原発事故被災地から、奥能登復興に向けた新たな仕事づくりを後押しした2024年の動きを公開。

みなさんこんにちは。
OWB広報担当です。

2024年は弊社もおかげさまで10周年を迎える年となり、みなさまからあたたかなご支援をいただきました。本当に感謝申し上げます。10周年イベントをはじめ、昨年の弊社は様々な動きがありました。

また、社会的には何かと物騒な1年ではございましたが、その中でも弊社は2024年1月1日に発災した能登半島地震に対し、大きく動きを進めることとなりました。
本noteでは福島の原発事故被災地から、奥能登復興に向け、希望を与え新たな仕事づくりを後押しした2024年の動きを、少しばかりご紹介できればと思います。



1月。発災を受けて、代表和田が中長期的に取り組みたいことを発表。

1月1日の発災を受け、年始に被災地での「地域の課題解決事業の創出支援」「そのためのコミュニティ創出支援」に中長期的に取り組むと決意したことが、能登と関わり始めるすべての始まりです。

3.11の被災地だから当然だ、あの時助けてもらっただろ、と思う人はいるかもしれません。
13年前、地震・津波、さらには原発事故で住んでいた環境を失った地域でも、今は前を向いて、仲間と共に新しい未来にワクワクしながらその土地で生きている。
物理的な支援が出来なくても、13年前からの経験はたくさんあります。
そして我々が出来ることは、今取り組んでいることを能登半島でも活かすこと。
10年前、思い切って創業した時の体験もあります。「地域100の課題から100のビジネスを創出する」ことを通して、「自立した地域社会の実現」のお手伝いをし、「わたしたちは自らの手で暮らしを確かなものにする」というパーパスを能登でも実現するために。
出番が来るまで今の事業を格段に磨き続けます。

2024.1.8 投稿抜粋

2月。珠洲市で被災した合同会社CとHの2名(伊藤さん・橋本さん)が来訪。

発災からほどなくして、弊社に珠洲市で被災した合同会社CとHから2名お越しいただきました。
共通のお知り合いを通して弊社とつながり、その後はガラス工房設立のアドバイザー的役割やワーカー同士の交流などを行うきっかけとなりました。
(詳細は以下、8月・11月・12月を参照)

3月。能登半島地震に関する車座に代表和田が登壇。その様子がテレビでも放映

先日、能登の皆さんとオンライン車座でお話させていただいた様子を、東日本大震災から13年となる今日、福島放送で取り上げていただきました。

車座を企画運営している高橋 博之さんと共有しているのは、「能登の何を残すかは、日本の未来に何を残すのかに直結する」ということ。

経済合理性を最優先に判断すれば、恐らく多くの集落や、GDPに貢献しない暮らし・文化・伝統が、予算が限られていることを理由に切り捨てられるでしょう。それを前例として、毎年生まれる被災地や、衰退する地方をどうするかが決められていく。その積み重ねが日本という国を形づくっていく。

あらゆる活動はコスパやタイパで価値が決まり、「豊かさ」や「成功」は得られた経済的価値でしか感じることができない。そんな社会は息苦しすぎるし、人間よりロボットやAIのほうが価値を生み出せる社会です。
地方も都市も、集落も中心市街地も、非合理も合理もあっての豊かな日本社会です。分岐点での選択を間違えて不可逆的にならないよう、日本人としてできることをやります。

2024.3.11 和田の投稿抜粋 

なお、本テレビ放映のアーカイブが、以下のサイトからご覧いただけます。


4月。輪島市で被災し、3月末に公務員を退職した方(杉野さん)が来訪。

和田の生き方を参考にしたい、黒島での生き方を模索したいと来訪されました。
この日は夜に小高パイオニアヴィレッジでDJナイトが開催。
一晩で多くの起業家などと出会うこととなり、以下のような感想(投稿抜粋)をいただきました。

小高パイオニアヴィレッジにて、宿泊×コワーキング×起業支援の場作りについて見学。
株式会社と一般社団法人の使い分けにより、収益事業と公的事業を両輪で走らせる仕組みが勉強になりました。
ただ、若手起業家が集まる理由の肝は恐らく目に見えない部分。
代表の和田智行さんは、厚い尊敬と信頼を得ながらも前に出過ぎず、若手の自由な活動がもたらす創発性に期待する姿勢が印象的でした。
起業家育成については、手取り足取り教えるよりも、一人で小高に飛び込んできた人が孤独を感じないよう応援の土壌づくりを大切にしているとの主旨のお話をいただき、なるほどと思う。
ボクが小高へと到着した4/9の夜は、若手の方々が自主企画したDJイベントが開かれていました。
和田さんはボクの肩をたたきながら若手起業家の方々に次々と紹介をしてくださり。。。
一晩で一気に繋がりが増えたことに驚きと嬉しさを感じるとともに「あぁこの気遣いが人を惹きつけるのか」と妙に納得してしまいました。
今回ボクが小高で見た「場」は、和田さんたちによる10年の積み上げの結果。
誰もいない、何もない状態から取り組みが始まった10年前の小高に想いを馳せ「黒島でこれからどう生きるか」について考えながら、帰路につきます。
1泊4日の旅、十分すぎる手応えでした。

2024.4.10 杉野さん投稿より抜粋


杉野さん(左)×和田(右)


6月。代表和田が、震災後はじめて能登へ。

ようやく能登に行けました。
その前にまずは金沢へ。
被災してまだ間もない2月に小高に来て下さった OKNO to Bridge 奥能登ブリッジの伊藤紗恵さん、橋本勝太さんが金沢に立ち上げた拠点にお邪魔しました。到着するや否や、お二人とそのチームメンバーに3時間半ぶっ続けで質問攻め。これから始まる彼らのチャレンジに微力ながら関わっていきます。

夜はおでん屋に移動し、雨風太陽の高橋 博之さん、笹谷 将貴さんと、前田陽汰さん、Kohei Satakeさんの若手起業家も合流。酒を片手に能登と東北で世の中ひっくり返すぞ的な熱い議論の場は、まるで幕末の志士の会合。
この感じ、なつかしい。

翌日は博之さんのアテンドで、金沢大学の林 直樹先生らとともに輪島へ。
現地の方々からは復旧の動きが鈍いと何度も伺っていましたが、状況が違うとはいえ小高も復旧作業が完了するまで数年かかりましたので、正直、全然焦らなくてよいのではないかと考えていました。
・・・が、やはり百聞は一見に如かず。目に映るほとんどの建物が被災している状況に対して、ボランティアも工事関係者も重機の姿もなさ過ぎて、ちょっと異様な感じを受けました。みんなが言っているのはこういうことかと。

#もう来てもいいよ能登
そして現地の方々から、お話を伺うこともできました。
ある集落では、4-5人の年配者が広大な農地の草刈りをしていました。草刈りって朝や夕方の1-2時間ぐらいの作業で、やっても年に数回、というのイメージですが、彼らは集落全ての農地を2週間かけて草刈りするのだそうです。しかも作業時間は朝から夕方まで丸一日・・・!

休日は手伝ってくれていた若い世代が避難して人手が激減したうえに、震災によって作付けされなかった(もしかすると今後も)農地を高齢者だけで管理していくことに虚しさとしんどさを冗談っぽく口にしていましたが、これは本音だよなぁ、と。

また、たまたまかもしれませんが、集落内の世代間のコミュニケーションと、集落間のコミュニケーションについての難しさを口にする人が、どの集落でもいらっしゃいました。

ハード面とコミュニティ面の難しい状況を肌で感じながら、最後、「311の教訓から能登の復興を考える座談会」で林先生のお話を伺いました。
林先生は、活性化が難しくなった地域の向き合い方として、「撤退」という選択肢を示されています。地域の人たちからすれば有り得ないと思いますが、無住集落でも店を営業したり農地に作付けしたりしながら、土地を管理し景観を維持しておく。30年先は確実にテクノロジーも進歩するので、無住集落を維持するコストも下がっていく。居住しなくても集落で活動し、伝統や生活生業技術を継承し続けながら未来に集落の再興を託す。そんな考え方と事例があることに、それまで輪島で感じた難しさに対する解決の希望を感じました。

なにより無住の町で食堂を営んだり、花を植えたり、農業を再開したりというのは、ここ、小高の人たちもやってきたことです。
状況を立て直すための一時撤退。
予測不能な未来に期待したマチ残し。
再興のチャンスが来た時に将来世代が困らないよう、今やるべきことをやる。
小高だっていつか人口減少のトレンドに入るのは避けられなくなりますが、先生の理論と自分たちが取り組んできたことが重なって、「地域の持続可能性」という考え方が自分の中でアップデートされました。

2024.06.13 和田の投稿原文

この訪問を機に、8月にはアトリエiriserで復興支援アイテムの発売など、小さいものではありながら、能登の支援に駒を進めるようになりました。

8月。奥能登復興×仕事支援に向けて種をまく。

8月21日、iriser能登半島地震復興支援ピンブローチ発売

アトリエiriserが、復興への願いを込め、能登地方の豊かな自然をイメージしたピンブローチ「こもれび」と「みなも」を発売いたしました。

▽プレスリリースはこちら


左「こもれび」 右「みなも」

「みなも ピンブローチ」

ゆらめく海に太陽の光が差し、穏やかな能登の海がモチーフ。
眩しい日差しをうけて放つ輝きは、まるで能登半島に広がるエメラルドグリーンの海を彷彿させるかのよう。

2024.06 輪島市の海辺(和田撮影)

「こもれびピンブローチ」

能登半島の食文化を支える里山。伝統的な文化や美しい自然景観が広がっており、そんな緑豊かな自然をモチーフに。

2024.06
地震がもたらした被害は残っているが、山々の新緑が美しく輝く。

本商品は、6月に和田が訪問したのを機に、富山の専門学校を卒業したガラス職人によって商品が開発。ピンブローチも、Gensekiシリーズのようなガラスデザインにカットを採用し、光の吸収によって、どの角度からでも映えるデザインとなっております。

また売上の一部を、奥能登復興のハブとしての事業を展開する『合同会社CとH』(本社:石川県珠洲市/代表:伊藤紗恵)に寄付いたします。金沢と珠洲で立ち上げるガラス工房の準備に活用いただきます。

▽合同会社CとHよりHARIO生産拠点設立のプレスリリース

本ガラス工房の設立への支援として、和田がアドバイザー的役割を担い、合同会社CとHとHARIO社を結ぶ役割を果たしました。


8月27日、NHK福島「はまなかあいづ」の「ふくしまeye」放映

コーナーで、被災した輪島市黒島でゲストハウスをプレオープンした杉野さんの特集が放送。小高との関わりにフォーカスしていただき、和田のインタビューも合わせての内容のため、福島でも放送されました。


11月。復興創生の最前線を行く人たちと。

11月6日~8日、代表和田が金沢市・珠洲市へ足を運ぶ。

11月7日に金沢市で総務省主催の講演会に登壇。
前日6日には合同会社CとHの珠洲拠点にも足を運び、奥能登復興への足跡を目の当たりにしました。

5ヶ月ぶりに能登入りして、ようやく珠洲にも行くことができました。

OKNO to Bridge 奥能登ブリッジの珠洲と金沢の二拠点に開設されたガラス工房は、佇まいが小高で始めたそれと同じで懐かしく。ガラス職人としての一歩を踏み出した女性たちからも、これからの未来にワクワクしている感じが伝わってきました。

こういう「希望」の集積が、他の地域の「希望」にもなる。

10年やってきて経営の難しさに頭を悩ませることも多くなりましたが、どんな状況からも「希望」を見いだして、その光の方へ前進する。それしか勝たん、と初心に帰ることができました。

2024.12.07 和田の投稿抜粋

11月17日、合同会社CとHの伊藤さんが(株)小高ワーカーズベース創立10周年イベントに登壇。

株式会社小高ワーカーズベース創立10周年イベントのトークセッション「地域に潜在する課題解決力 ~女性の力が地域を救う〜」にて、CとHの代表伊藤さんにご登壇いただきました。能登半島地震の被災地から立ち上がり、現在進行形で珠洲市や金沢市で復興に向けて活動されております。
ご登壇いただいた伊藤さんからも以下の感想を残しています。

OWBさんは10周年を機に改めて、女性というテーマにフォーカスしていく、ということでこのような大切な場で出番をいただきました。
女性の力が地域を救う、というテーマ。
セッションでは、地域での女性の生きづらさ、の生々しい話など。私は都会で生まれ育ったからこそいま地域で感じている良さも、長らく地域で暮らしてきた人には窮屈であったり、東京の良さ悪さの感じ方もまたその逆でもあったり。。

基本的には人それぞれ違うんですが、この複雑な世の中、リスクヘッジ含めていろんな側面でみて、やはり複数の地域に関わりを持ちながら生きていくって大事なことだとおもいました。豊かにしなやかに生きていくためにも。
東北の復興と能登の復興、たくさんのご縁と連携が生まれています。

この輪がさらに全国に拡がっていくんだと思います。
そして私たちも想像できないような10周年を迎えることを夢みて、、!

2024.11.18 伊藤さん投稿より


▽10周年イベントはこちらより!

12月、撒いてきた種に花が咲く。小高・能登で先駆的希望を与える交流が実現。

12月12日~14日、CとHのプロジェクトメンバー&ランプワーカーが来訪。OWBコーディネートのもとで視察・交流を開催。

CとHのプロジェクトメンバーと7月から動き始めた、ガラス工房(金沢・珠洲)のランプワーカーに来訪いただき、弊社iriser・HARIO生産のワーカーとは技術交流を、プロジェクトメンバーの方はOWBがコーディネートを行いました。

iriserでの受け入れ
バーナーを活用した技術的交流や、ストローワークショップを体験いただきました。

また、先んじて弊社ガラス関係者との懇親会も通し、ガラスに触れているワーカーや組み立てに携わっているスタッフの思いなども共有する素敵かつ刺激を受け合える場となりました。

OWBのコーディネートでは、
原町区:Kirako、NARU
小高区:Horse value、ANDO、粒粒、ぷくぷく醸造、haccoba(小高駅Pubilc marketも含む)
浪江町:ノーマの谷、道の駅なみえ
に足を運び、小高区をはじめとして、近隣でも活躍するまちづくりプレイヤーや起業家とも交流しました。

NARU
Kirako
Kirakoを運営する三浦知枝さん・岡本美奈子さん(1列目左・真ん中)も、
iriserから半独立されたお二人!
ノーマの谷(浪江町)

能登半島大地震の翌2月に小高に来訪してから数か月で金沢と珠洲にガラス工房を立ち上げたOKNO to Bridge 奥能登ブリッジ の運営チームと、新たな一歩を踏み出したばかりのガラス職人のみなさんが、2泊3日の研修で小高に来てくださいました。

特に、10年後の自分たちの姿を想像してガラス職人さんたちの熱量が高まっていくのが感じられてよかった。
ハリケーン「カトリーナ」で壊滅してから10年で起業家の町に生まれ変わったニューオリンズや、2013年に財政破綻したものの起業家たちが公共サービスを担っていったデトロイト。
そして全米一住みたい町ポートランド。

チャンスをいただいて2015~16年にかけて視察したそれらの出来事が、小高パイオニアヴィレッジの構想につながったように、小高や福島、東北での14年近いこれまでの取り組みは、予期せぬことが起こりうる現代社会において確実に「希望」を与えるものだと改めて確信しました。

「希望」を与えられるって、すごいことじゃないですか。
都市だからできることでも、地方だからできることでもないし。
国や行政だからできるとは限らないし、民間だって大企業だからできることでも、中小企業だからできることでもない。
経営していれば大変なことはいろいろとありますが、今、世の中で最も失われていて、最も必要とされているものを与えられることに自信を持ちたいです。

2024.12.17 和田投稿より


12月23日~24日、和田が能登の経営者向け勉強会に登壇。熱量高い復興のパイオニアたちと交流。

御祓川さんが運営する能登の経営者向けの勉強会にお呼びいただき、輪島へ。熱量のある経営者のみなさまと、2時間たっぷりと対話させていただきました。
復興の中心を担うのは、国でも行政でもなく、やはり地域企業。借金して設備投資したり、人を雇ったり、その地域の誰よりもリスクを背負ってきた経営者は、誰よりも地域の未来を思い描き、持てるリソースを活用しながらリードして然るべきです。

だからこそ、誰よりも学ばないといけないし、誰よりも視野を広げ、視座を上げなければならない。震災前から続いているというこの真剣な勉強会は、そんな姿勢を体現していて、本当に素晴らしいと感じました。真似したい。
そして、七尾だけでなく能登をフィールドにまちづくりや中間支援、経営者育成まで幅広く活動されている森山 奈美さんのエネルギーは改めて半端ないなと。これは真似できない!

夜は勉強会の会場にもなった、杉野智行さんのゲストハウスにそのまま宿泊させていただきました。まだゲストハウスを始める前、6月以来の訪問でしたが、着実に前進されていて本当にすごい。

12.25 和田投稿より抜粋

まとめ

和田が能登を訪問したり、ご来訪いただいて継続的に交流させていただいている輪島市の杉野さん・珠洲市の合同会社CとHのみなさん以外にも、小高パイオニアヴィレッジには福島浜通りの復興をロールモデルにしようと、能登の関係者の方も多く来訪していただきました。

みなさまに、少しでも希望が与えられておりましたら幸いです。
そしてこれからも、「地域の課題解決事業の創出支援」「そのためのコミュニティ創出支援」に取り組み、みなさまに「希望」を感じていただける社会を創造してまいります。

引き続き、OWB株式会社をよろしくお願いいたします。

ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました🙌


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