【Edge Rank 1091】大垣城の不思議【奥野】
10月になりました。さすがに過ごしやすくなってきましたね。
大垣城で感じた、ささやかな旅の醍醐味
9月に、東京散歩ぽの寄稿(寄稿記事1 寄稿記事2)のために、岐阜取材をしてきたんですよ。その際、大垣城を訪れる機会がありました。
大垣城は、1600年に起こった戦国最大の合戦・関ケ原の合戦のタイミングで戦場になった場所です。当時、大垣城を守っていたのは西軍の武将で関ケ原の合戦の前日から戦闘が始まり、合戦終了から一週間後くらいに降伏しました。
現代の大垣城は天守のみがあり、2の丸以下の部分は公園や住宅地をはじめ、市で暮らす人々の生活の場になっています。と、それはさておき、天守に入ったときにちょっとだけ面白く思ったことがあるんです。
次の2枚の写真をご覧ください
お気づきになりましたか?関ケ原の闘いの西軍大将・石田三成と、東軍大将・徳川家康の作戦について、三成は「構想」、家康は「謀略」と書かれているんですよ。
「謀略」って、人を陥れるためのはかりごとじゃないですか。どうみてもこの2つの掲示、三成にはポジティブな印象を、家康にはネガティブな印象を持った見だしのように思えるんですよ。
三成は滋賀県を本拠にしており、家康は静岡の出身で合戦当時は関東の所領を持っていたので、岐阜にとっては二人とも「地元のスター」ではないはず。にも関わらず、この扱いの差はなんだろう。
こんな疑問はどこかのメディアに出てくるわけじゃなくて、実際に足を運んだからこそ感じたものだと思います。こういうのは、旅の醍醐味の一つだなーと思います。
この疑問について旅の間に解決することはできなかったのですが、大垣の人々の東軍・西軍に関する感情面をどこかで確認してみたいですねえ。
短い秋が始まった
9月まで30度を超える日が続き、10月になってようやく涼しげな日がぽつぽつと出てくるようになりました。汗による大量の洗濯物や高くなった電気代ともいよいよおさらばです。
酷暑が続いたので、どこかに移動するのは電車が中心。エアコンが効いた車内で、座って移動できるのは楽です。涼しくなってきたので、ようやくバイクや自転車の稼働が増えてくるんじゃないかなと思っています。
冬ごもりの前に、すこしアクティブに動きたいなあと思う今日このごろ。自転車のタイヤの空気、確認しとかなきゃ。
編集後記
岐阜の取材に行って一つ覚えたことがあります。それは「関ケ原」について。
関ケ原 と「ケ」を大きく書くのが、現在の標準なんですって。唯一の例外はJRの駅である「関ヶ原駅」だけ。これだけはケを小さく書くんだそう。
関ヶ原の合戦 とか書いている人がいたら「こいつ知らないな」とニヤニヤしてやってください(笑)僕のブログの過去記事も、確認しておかないとだけれど。
次号はゆうせいさんの予定です。お楽しみに。