#01 201号室 コロッケ
レモネード色の扉が可愛くって、
美琴が『こしあん荘』に引っ越してきたのは
2年前の春のことだった。
新卒で入った都会の広告代理店を辞めて、
土に触れる仕事がしたいと思ったのは、
23歳になった日のこと。
それ以来、吹春美琴は
懐かしいオレンジ色に染まる
夕焼け町の外れの農家で働いている。
夜が明ける前に起き出すと、
赤い長靴とそら豆色のツナギ姿で、
長い長い坂道を下り、朝靄の中を町に向かって歩いて行く。
やがて山の向こうから太陽の光が差してきて、あちこちの家から、人々が起き出す気配を感じる。
美琴は、それが好きなのだ。
自分の知らない人々が、
自分の知らない布団の中から起き出して、
自分と同じ一日を生き始める。
その瞬間が、好きなのだ。
今日もよく働いた。
日中は、農家のお母さんたちと一緒に、
ひたすらジャガイモの袋詰め。
しばれつく北風の中、寒風に顔を染めながら、
ゴツゴツしたジャガイモたちを
ひとつひとつ詰めていく。
それから土だらけのツナギ姿のまま
町が運営している子ども食堂で、
20人分のカレーを作った。
「ただいまー!」
と小学生が元気に食堂に入ってくると、
「手洗ったの?」
「靴ちゃんと並べてね!」
「こらあ!つまみ食いはダメ!」
とせわしなく声をかけ、
時にはおバカな男の子たちに笑わせられる。
「美琴ちゃん、今日も土くせえ」
とガキ大将みたいな男の子が叫ぶと、
一斉に他の子どもたちも
「土くせえ」
とからかい出す。
美琴は、本気で怒るか泣くか、
どちらの演技にしてやろうかと考えながらも、笑顔になってしまうのだ。
土の香りを身体中に染み込ませる、
今のこの暮らしが、好きだから。
夕日が町を包む頃になると、
「美琴ちゃんまた明日ねえ」
と、おばさんたちに見送られ、家路につく。
今日は、畑でもらったジャガイモと一緒に。
たくさんの家やら、
小学校やら、商店街やらを通り越し、
神社の横のひっそりとした長い階段を上がっていく。
懐かしい夕焼け色に染まった冬の町を見下ろす
そのぽっかり小高い丘の上に、
『こしあん荘』はある。
木造二階建てのアパート『こしあん荘』には、
4つのドアがあった。
そのうちの1部屋
レモネード色のドアが、美琴の我が家だ。
「ただいま」
『吹春 』と手書きした表札のかかったそのドアを開けると、自慢のお城が広がる。
玄関に敷かれた古い新聞の上に長靴を脱ぎ、
土を払う。
廊下の向こうから
「ありゃあありゃあ」
とボタンインコのももが
興奮してカゴの中から歌う声が聞こえた。
シャワーを浴びてさっぱりした美琴は、
麦茶のグラスを片手に
冷蔵庫の中身を覗きながら仁王立ちになる。
昨日買っておいたひき肉と、
卵が三つ。
大好きなビールと、鮭とばが彼女を待っていた。
コロッケにしよう。
美琴はニンマリした。
昨日から、
なんだかほくほくのコロッケが
食べたい気がしていたからね。
頑張って働いた一日には、
コロッケとビールがぴったりよ。
灯油ストーブの青い炎が、
「いいね」
と爆ぜていた。
キュッと赤いエプロンを結んで、
肩にかかる日焼けした髪の毛をお団子にまとめると、洗いこまれたお台所に立つ。
ラジオをつけ、
もらってきたジャガイモから取り掛かかる。
ジャーっと水で土を洗い落とし、
ゴツゴツの表面にスーッとピーラーを走らせる。
グツグツ湧いたお鍋の中に入れ、
すっと竹串が通るくらいまで
ジャガイモが茹るのを待っている間に、
ひき肉と玉ねぎを、
フライパンでジュワッと炒める。
マッシャーでしっかり潰したジャガイモを、
ひき肉たちの中に混ぜ、
お砂糖と、お醤油。そして牛乳をちょっぴり。
火傷しないようにこねて、
まあるく形作ったら、
あとは小麦粉と、パン粉をはたいて、
フライパンにサラダ油をとっぷり入れ、
パチパチと音を響かせながら、
こんがり揚げるだけ。
「ありゃあ」
ちょっとゆるすぎて、
丸とは言えない形になってしまった。
けれど、
こんがりきつね色に染まったコロッケが、
美琴を見つめ返している。
昨日の夜にとっておいた
キャベツの千切りを添えて、
丸いお皿に盛り付けると、
「いいじゃない?」
とにっこりしてしまった。
とっぷり日の暮れた
町の明かりに目をやりながら、
小さいキッチンテーブルについて、
プシュッと遠慮なく黄金のビールをグラスにつぎ、完成だ。
ラジオから流れてくる、
ちょっと雑音混じりのジャズを聴きながら、
いただこうじゃないか。
サクッ。
子気味良い音を立てたコロッケ。
頬張ると、あまーいジャガイモの味と、
ジューシーな肉汁が口いっぱいに広がる。
一生懸命育てた大地の味。
「おいし」
ビールグラスの奥に輝く夕焼け町の夜景は、
今日もお疲れさん、と美琴に笑いかけているようだった。
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