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警官が叫んだ−「みんな逃げろ! テロリストだ!」

どう書き始めればいいのか、言葉も出てこない。

でも、私にとって重要なことだから、単純にすべてを吐き出そうと思う。

だって、話したり、書いたり、起こったことを訴えないと、気が狂ってしまいそうだから。

金曜日の夜、私たちは、いつも普段そうしている様に、パーティに出かけた。楽しみ、笑い、愛し、踊り、ハグし合い、目の前にある美しい世界に浸っていた。

ドカーーン! ドカーーン! ドカーーン!

そんな感じで、一瞬で爆撃音があたりを包んだ。何が起こっているのか誰もわからなかった。ただ「ロケット弾が空中を飛んできている」ということ以外は。

それからすぐに、できるだけ早く荷物を車に積み込み始めた。

出口に向かって車を走らせたら、渋滞に巻き込まれた。私たちの左側で、右側で、前方で、後方で一体何が起こっているのか誰もわからなかった。皆、車の中にいたり、車の外に出たりして、何が起こっているのか把握しようとしていた。20分ほど経ってから、警察官が走ってきて、「野原の方に走って逃げなさい! みんな走れ! テロリストだ!」と叫んだ。すぐさま皆、どこに行くのかもわからず、あてもなく全力で走り出した。頭上や耳元で銃声が聞こえるまでは、とにかく訳が分からないまま走り続けた。四方八方で大混乱が起こっていた。とにかく走って走って走り続けた。中には、途中で走れなくなり、隠れたり、その場で固まってしまう人たちもいた。私たちはひたすら走り続け、周りの人たちのことや、背後で起こっていることなど考える余裕さえなかった。

”走ること以外、他のことは何も考えられなかった。”

しばらくしてから、状況を把握しようと、数分間立ち止まり、次にどうすればいいのか考えた。

命からがら、30分ほど走り続けたあと、立ち止まった。1分ほど呼吸を整えた。どこに行けばいいのか、軍隊はどこにいるのか、警察はどこにいるのか、誰が導いてくれるのか、私たちを助けてくれる治安部隊はどこにいるのか、まったくわからない。

ドカーン!

再び銃声が鳴り響き、爆発音が聞こえ、また闇雲に走り出した。走って、走って、走って、歩いて、また走る。その間ずっと、自分たちの身を守ることだけに集中していて、実際に何が起こっているのか本当に理解できなかった。アドレナリンがいっぱいになり、何も考えられず、何も感じられず、ただ走り続けた。

野原を15km(9.3マイル)ほど走った後、ようやく安全な場所、モシャヴ・パティシュに近いところまで辿り着き、まるでトンネルの先に光が見え始めた感覚だった。この時点で、私たちが得た唯一の助けは、心優しいモシャヴ・パティシュの市民たちによるものだった。彼らは私たちを焼け野原から安全な彼らの家へと連れて行き、我が子のように気遣ってくれた。代表してここでお礼を申し上げたい。

ノヴァ・フェスティバルの参加者全員、そしてガザ周辺地域の住民全員、そして周辺の地域のキブツ(共同体)の全員の体験を代弁はできない。私は自分の体験を語ることしかできない。

無事に大怪我をすることもなく、家に帰ることができたことを神に感謝する。

しかし、友人、知人、愛する人たち、そしてボランティアの人たちは、無事に家に帰ることができなかった...。今日は喪に服す日であり、...何と言っていいかわからない。

これらのことを終えて、パティシュからベエル・シェバへのバスで帰宅する途中、自分は違う結末を迎えていたかもしれないことを理解し始めた。

私たちがそこで経験したこと、自分自身が経験したことを、まだ完全に理解できていない。時間がかかるだろう。

逃げ切れなかった人たち、虐殺された人たちに心から哀悼の意を表したい。

そして、人質の皆さん、行方不明の皆さんが一刻も早く、無事に帰ってこれますように、アーメン!

これからは、良い知らせを聞き、より良い日々を過ごせますように、アーメン!

これが、私が見た、2023年10月7日に起きた大惨事の赤裸々な体験です。

すべての兵士の皆さんも、どうかご無事であられますように。

ヤリン・H


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