見出し画像

7時間、出血が止まらないまま、息をひそめ、救助を待ち続けた。

私はナハール・オズ基地の監視部に所属する。ミグニット(ドアのないコンクリート製シェルター)の地獄から生還したのは私だけだ。見捨てられ殺された友人たちを追悼する意味でも、あの場所で何が起こったのか事実を明らかにすることが私の使命だ。

午前6時30分、私は爆発音に飛び起き、慌てて素足にパジャマ姿のままミグニットに飛び込んだ。同僚の見張り兵の女の子たちも全員、止まない攻撃の中、ミグニットに避難して来た。爆撃は激しく、破片さえ中に飛び散って来た。

誰からも連絡はない。指令室に連絡を取ろうとしたが、テロリストの侵攻を受けているが、兵士たちが対処しており、問題は何もなく、私たちがするべきことも何もないと知らされただけだった。

私たちは、そのままミグニットで待機した。すでに両親に別れを告げるために電話をかける子もいた。爆撃があまりにも激しく、ミグニットはもはや安全とは言えなかったからだ。屋根には穴も開いていた。

午前7時ごろ、アラビア語を話す男たちの声が聞こえた。彼らは近づいてきて、ミグニットの中の私たちに向かって銃を乱射した。さらに手榴弾を3発投げてきたので、私は「みんな、手榴弾だ!」と叫んだ。
耳をふさいで宿舎に向かって走り出した瞬間、手榴弾が2発頭上で爆発した。足が吹っ飛んだかと思ったが、そのまま走り続けた。手に銃弾があたった。私は必死で走り続け、何とかミグニットから抜け出し、びっこを引きながら宿舎の一室に向かった。

私と同じ所属でない5人の女の子たちと一緒に、部屋に閉じこもって床に身を伏せた。その時点で、宿舎は完全のハマスの手に落ちていた。彼らは部屋に入ろうとしたが、鍵がかかっていることに気づくと、なぜかその場を立ち去り、戻って来なかった。

70人のテロリストが宿舎に侵入し、扉のすぐ外から彼らの声が聞こえてきた。彼らはその場所が自分たちのものであるかのように話していた。私たちが隠れていた部屋の窓は、砲撃で粉々に割れていた(外のテロリストたちが少しでも顔を向ければ、その窓から私たちの姿は丸見えだった)。

7時間もの間、出血が止まらない状況で、息をひそめ、救助を待ち続けた。私たちを助け出してくれたのは、空挺部隊のパトロール隊だった。
ミグニットの前を通り過ぎた時、おぞましい光景と、友人たちの遺体を見た。かつてナハール・オズ基地と呼ばれていた場所は、根こそぎ破壊され、正真正銘の戦場と化していた。

おわりに、一緒に部屋に隠れていた他の5人の女の子たちと私の命を救ってくれた空挺部隊の一人ひとりに、心から感謝を伝えたい。あなたたちは私たちの英雄です。感謝を忘れる日は一日もありません。

そして、あの日、基地は無法地帯だったことを訴え続けたい。金曜日と土曜日は、ほとんどの兵士が帰省し、基地にいないことが常だった。今回も、まさにいつもと同じような週末で、私たちは敵を過小評価したがゆえに、十分な兵士を待機させていなかったのだ。

また、私たち見張り兵が警告した多くの前兆があったが、その報告を重要視する人は誰一人としていなかったことも付け加えたい。

亡くなった仲間たちの思い出を心に。。

ヤエル・R


いいなと思ったら応援しよう!