早朝ランニングが死へのランニングに
週末を前に、スデロット、ネティボット、そしてその周辺地域(ガザとの国境付近)の人々が参加しているWhatsAppグループに招待状が送られた:
「おはよう、明日の朝、ヤド・モルデガイ(イスラエル南部のキブツ)を出発して22~24キロのランニングをしよう」。
私はこのメッセージに反応して、ランニングに参加することにした。ナオミが集合時間を尋ねてきて、午前6時に決めた。2023年10月7日土曜日の午前5時55分、3人のランニング仲間がヤド・モルデガイのガソリンスタンドに集合した。
いつもは5、6人の大所帯で走るのだが、今回は祝日(仮庵の祭り:スコット)ということもあってか、私たち3人だけで出かけた。走る前に恒例の記念写真を撮り、出発した。
20~25分ほど走ったところで、ミサイル発射に気がついた。サイレンが鳴る前だったので、私は前から3番目を走るコビに、先週と同じで、ハマスが海に向かって撃つ練習をしているだけだろうと言った。
彼は「練習?ミサイルの数を見てみろ!」と言った。確かに、とてつもない数のミサイルが空に向かって上昇していた。そこで、私たちは1つの木の下に飛び込んだ。ナオミが「怖いわ、怖いわ」と言い始めたので、私とコビは「僕らも恐ろしいよ。ミサイル攻撃が終わったら、車に戻ろう。今はダメだ、攻撃中だから」といった。
私たちは木の下に数分間横たわっていたが、ミサイルは止まない。同時に、レッドアラートのサイレンが聞こえ始め、近くの町やキブツから警報が鳴り響く。数分後、イスラエル国防軍の装甲車が通りかかり、ここで何をしているのかと聞かれた。運転手に道路まで連れて行ってくれるよう頼んだが、フェンスまで行く必要があるので無理だと言われた。彼は私たちにシェルターを探して非難しなさいと促した。攻撃の規模がとても異例に思えたので、テロリストがフェンスを越えたのかと尋ねた。彼は「いやいや、ミサイルが飛んできただけだ。シェルターで安全を確保しなさい」と言った。
こうして私たちは、ミサイルが飛んできているだけだと誤解してしまった。走り慣れたコースを西に200メートルほど行ったところ、トレイルと道路の交差点付近に大きなコンクリートブロックがあった。私たちはひらけた場所にいたため、身を隠せる場所を探すために、そのブロック付近に移動することを優先した。私たちは、国道4号線のヤド・モルデガイと国道10号線の交差点にあるブロックまで疾走した。コンクリートブロックの下に身を潜め、ミサイルの攻撃が終わるのを待った。
この時点では、私たちはまだ多少面白がっていた。写真を撮り、ビデオを録画し、友人たちに送った。また、私たちを救助してくれそうな関連団体の友人にも居場所を教えた。
数分経っても、ミサイルは止まない。それから銃声が聞こえ始めた。まだそれほど近くではなかったが、近くにいることはわかった。武器や機関銃、小火器のカチャカチャという音だ。「ミサイルは明らかにおとりだった。テロリストの地上攻撃があり、私たちは本当にまずい場所にいる。広く開けた場所にいて…」と私が最後まで言い終わらないうちに、誰かの悲鳴が間近に聞こえ、銃声が続いた。私たちのすぐ後ろ、数十メートル、100メートルか200メートル、南のキブツ・メファルシム方面からだった。
「テロリストから丸見えだ。地面に伏せよう!」と私は言った。近くに用水路のパイプが突き出ていた。「ナオミ、その下にもぐりこめ!私はしがみつくから!」そう言い終わらないうちに、私たちの真上の暗渠の間をテロリストが走っているのが見えた!コビは西に向かって走り出し、テロリストは彼を追いかけて発砲した。
迷彩柄のユニフォーム、カラシニコフ、防弾チョッキ......どこから見ても兵士だった。テロリストと私たちの友人の距離は4~5メートルしかなかった。テロリストが用水路の間を通り抜けたとき、彼は私たちの目の前にいた。3mほどしか離れていなかった。私たちを踏みそうになったが、彼の意識はコビに集中していたので、コビを追いかけて走った。
テロリストが走りながら銃を撃っている間、私は仰向けに寝ていて、車両がエレズ検問所方面からハイウェイ4号線に近づいてくるのが分かった。8~10人ほどのテロリストを乗せた車両は、道路を西に左折した。彼らは仲間の1人に向かって、アラビア語で 「ユスフ・タアル (高貴なヨセフ)」と叫んでいた。彼は「少し待て」と言い、彼らはユスフと呼ばれている人に向かって「タアル!タアル!(高貴な、高貴な)」と言っていた。彼は 「こにもう一台ある 」と答え、彼らは 「その車にとにかく飛び乗れ 」と言う。しかし彼は乗らず、私たちがいる場所に引き返してきた。彼は再び至近距離で私たちの上を通り過ぎたが、私たちには気づかなかった!彼はそのまま歩き続けた。
さらに4人がジープから降り、私たちの真上にある暗渠の間を次々と通り過ぎていった。最初の1人が走り、他の1人が後に続いた。私たちは彼らを目と鼻の先で見ているが、彼らは私たちに気づいていない!1人、2人、3人、4人が通り過ぎ、道路に戻っていった。
ナオミと私はその場に凍りつき、呼吸を整え、何が起きているのか理解しようとした。私たちは待った。幸運なことに、唯一持っていた私の携帯電話は無音のままだった。私はスマートウォッチをつけてるので、私の携帯電話が大音量で鳴ることはない。私はグループチャットで連絡を取ろうとしたが、電波が届かなかったため、コミュニケーションはできなかった。グループのメンバーは必死になり、みんな私たちはどこにいるのかと聞いてきたが、私は電波が届かないので答えることができなかった。
暗渠の上から人の声が聞こえなくなり、比較的静かな時間が数分続いたので、私たちは少し落ち着いた。もう近くにテロリストはいなかった。ナオミは 「これからどうしよう?」と尋ねてきた。私は、「すぐに国防軍が到着するよ。おそらく準備に30分ほどかかって、それから私たちを助けに来るはずだ」と言った。しかし30分経っても何も起こらず、1時間たっても何も起こらなかった。
私はナオミに「私たちはさっき移動しなかったから助かった。だからここに待機しよう」と言った。ナオミは鮮やかなオレンジ色のランニングパンツ、私は白いランニングシャツを着ていたので、私たちは目立っていた。暑かったし、イバラの棘とアリにも悩まされた。私はナオミに何度も言った。「もし誰かが上から見下ろしたら、私たちが隠れているのが見えてしまう。だから動かないでいよう」と。
2時間経ち、3時間経った。15分か20分おきに車が通り過ぎていく。それらは大勢のテロリストを乗せたジープか白い車両だった。彼らはまるでこの地域を完全に掌握しているかのように、国道4号線を自由に走った。しかし、今回は道路を横切り、少なくとも私たちの頭上の暗渠の上を歩くことはない(テロリストが真上を通過するような、さっきの大きな危険とは違う)。そこで、ナオミと私は地面に仰向けになり、葉っぱとイバラの下に6時間ほど横たわっていた。
正午頃、交差点で停車する車の音が聞こえたので、外を覗いてみた。M-16ライフルを装備したイスラエル国防軍軍車両と兵士だった。テロリストではなかった。ヘブライ語が聞こえたので、イスラエルの兵士たちだとわかった。私は立ち上がり、「IDF(イスラエル国防軍)、私たちは民間人です」と叫んだ。彼らは容疑者逮捕のプロトコルに従った。彼らは私たちに「民間人、民間人、シャツを上げろ」と叫び、私は丸腰であることを示した。すると、突然、はぐれていた友人のコビが近くの溝から立ち上がり、「生きているか?」と聞いてきた。私たちは彼はもう死んだものと思っていたので信じられなかった。
彼は、私たちの背後の溝に転がり込んで隠れたのを見たかと尋ねた。テロリストは既に彼を撃ったのだと思っただろう。私たちもテロリストが彼を撃ったのだと思っていた。そうして5時間、私たちはほんの数メートル離れて横たわり、互いに死んだと思っていた。
WhatsAppのグループチャットにイスラエル国防軍が到着したというメッセージを送ることができた: 「家族にメッセージを送ってくれないか」と私は書いた。兵士たちが到着したとき、私たちは皆、これで終わった、兵士たちが私たちを助けに来てくれたのだと思い、安堵した。しかし、時が経てばわかることだが、これで終わりではなかった。
6人の兵士が2台の車でやってきた。指揮官は、今この場所から避難することはできないと説明した。彼は4人の兵士に私たちの安全を任せ、もう1人の兵士と一緒に援軍を連れてきた。私たちは隠れていた場所から出て、兵士たちが見張っている間、暗渠の間に座った。
私たちは兵士たちと話し、なぜヘルメットをつけていないかと尋ねた。彼らは組織化された部隊ではなかったのだ。兵士たちは近くに住んでいて休暇中だった。事情を聞いた彼らは、武器を手にして救助にやってきた。この時点で、状況は悲惨で、テロリストに地域を掌握されていることがわかった。エレズ検問所は占領され、ヤド・モルデカイでは衝突が起きていた。
西から濃い煙がゆっくりと近づいてきた。私は友人たちに言った。「聞いてくれ、あれはただの煙ではない。(テロリストが活動の)偽装しているんだ。あっちからテロリストが来るぞ。」しかし、分かっていてもできることはあまりなかった。煙は徐々に近づいてきた。この時点で、兵士は4人いた。3人は暗渠の間にいて、私たち3人は兵士の1メートルほど後ろの茂みの陰にいた。
そうこうして、四方八方から銃声が上がり、あらゆる方向から銃弾が飛び交った。すべてが恐ろしい速さで起こった。
「グレネード」という叫び声が聞こえ、私たちの1メートル後方で手榴弾が落ちて爆発する音がした。みんな地面に叩きつけられ、また手榴弾が投げられた。彼らは叫び続け、絶え間なく銃撃戦があった。私たちの隣にいた兵士は破片が激突したようで、地面に倒れた。テロリストの一人が左の茂みの方向から撃ってきたので、私たちは南の方角に逃げた。コビは「撃たれて出血している。誰か止血帯を付けてくれ」と言った。ナオミも被弾していたが、意識はあった。私は土に顔をうずめて横たわり、何が起こっているのか把握しようとした。
コビが南に逃げようとしたとき、上の方から銃声が響いた。私たちを狙ったテロリストがコビを見つけ、コビの方向に注意を移したのだ。銃声の後、コビの叫び声が聞こえ、彼が私たちの4、5メートル後ろで地面に倒れるのが見えた。そしてテロリストは、ナオミと兵士と私の背後から、私たちの方に引き返してきた。また手榴弾、さらに銃弾が炸裂した......背中に銃弾を受けたような気がした。背中に激痛が走ったという圧倒的な感覚以外、何が起こったのか正確にはわからない。そのとき私は死んだふりをしていた。
また弾丸が発射され、私の頭上を通った。そして、ナオミの肩が私の肩に触れるのを感じた。彼女の痙攣と体の動きから、彼女の死は疑う余地がなかった。しかし、テロリストは確実に彼女を殺すためにもう一度撃った。私は息も絶え絶え、背中に銃弾を受け、血に染まった白いシャツを貫通されたような気がして、動けずに横たわっていた。私は自分に言い聞かせた。
「今度は私のとどめを刺す銃弾が撃たれる」と。
そして銃声が聞こえたが、倒れたのは私の左2メートル先にいたテロリストだった。おそらくナオミの右側にいた兵士が発砲してテロリストに命中したのだろう。
テロリストが 「アラーフ・アクバル 」と復唱するのを聞いた後、彼は沈黙した。
胸が上下しないように意識的に浅い呼吸をしながら、じっとしていた。時間が過ぎた。指先が冷たく感じ始めた。さらに30分ほど経つと、また近くで銃声が聞こえた。
ヘブライ語で「死んだかどうか確認しろ、ここにもう一人いる!」と聞こえた。頭を上げると、兵士たちだった。私は「負傷しています!ここです!」と叫んだ。私の後ろに仰向けに倒れている友人を見たが、彼は間違いなく死んでいた。また隣にいるナオミを見て、彼女も死んでいることがわかり喪失感が襲ってきた。
彼らは私を民間人の車に乗せた。新しく到着した兵士たちが、テロリストを撃った兵士に、戦闘を続けられる状態かどうか尋ねているのが聞こえた。私はすでに車に乗っていたので、その返事を聞くことはできなかった。数台の救急車が待機しているヤド・モルデガイ・ジャンクションまで急ぎ、私は病院に運ばれた。
搬送の間、私は意識を保っていて、救急隊員に私の身体の容態について尋ねていた。彼は「大丈夫ですよ」と私を安心させようとした。彼は私の服を切り、銃弾が入りこんだ傷を見つけたが、出口の傷はなかった。背中は腫れて出血していたが、貫通していなかったのだ。救急車で病院に運ばれる間、彼らは私のバイタルサインを測定し、輸液を行った。後日、ミサイルの破片か榴散弾が皮下組織に命中し、背中を突き上げて肋骨を何本か折り出血したが、それ以上は貫通しなかったことが判明した。私は肋骨を折られ、肺の一部が潰れたが、それ以外は無傷だった。
病院は大混乱だった。私は生き延びた。友人2人がもうこの世にいないことは確かだった。私は、スデロットのMIA(作戦行動中行方不明)と負傷者の管理していた人物と話をした。私からではなく、専門家から彼らの死を家族に知らせるよう頼んだ。Whatsappグループ内のメッセージを見て、みんなが友人2人のことを尋ねてきた。家族たちも病院に尋ねてきた。私は、「私たちは戦闘に巻き込まれ、みんなが負傷した」と話した。聞いてきた人たちは、コビやナオミが行方不明だと思い、希望を抱いていた。だから、彼らが殺されたことを言う気になれなかった。家族がこのことを許してくれることを願っている。どうしても言えなかったのだ。
二人の親愛なる友人の思い出に捧げる:
ナオミ・シトリット・アズライ、52歳、ユヴァルの妻、3人の子どもの母。
コビ・ペリエンテ、43歳、シヴァンの夫、4人の子どもの父。
ラム・H、40歳、ネティヴォ
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