私は殺された女性兵士のようにはなりたくない!19歳国境監視員Aの証言
私たちは、すでにその時シェルターの中に3時間いた。少しだけドアを開け、その隙間から新鮮な空気を中に入れることが出来た。でもその後はずっと長時間閉めたままで過ごすことになる。。
作戦指令室にいた司令官に、基地にテロリストが侵入したと一報があってから、銃撃、ヘリコプター、戦車の音がなり響き続けた。シェルターのドアの鍵が壊れていたので、私たちは順番でドアを押さえていた。喉の乾きは感じなかったが、ただ息苦しかった。今でさえ、その時の感覚を思い出す。何人かの女性兵士たちが気を失ってしまいそうだ。「非常警報」のサイレンがまだ鳴り渡る。彼女たちは5時間のシフトさえも堪えられないのだろうか? 私は出来ることなら自分の部屋に戻って、防弾チョッキとヘルメットを取ってきて、彼女たちと任務を交代したいくらいだった。頭が重い。
みんなが祈り始めた。
「イスラエルよ、聞け。主が我らの神。主は御一人」。
ドアを閉めておくことに意味はあるのか?もしテロリストが壁一枚の向こう側にいるなら、抵抗も何もできやしない。
深呼吸をしよう。今日は安息日だ。
周辺のものすべてが燃やされ、今ここに閉じ込められている現実が信じられない。私たちは兵士なのに、これでは檻の中のにわとりのようだった。ここから出た後に、本当のパニックが始まるのだろう。誘拐された人たちや殺された兵士たちの情報が明らかになって行く中で、私たちの知人ではないことを祈った。
銃撃は激しくなる。「私は気絶しない!」と強く思った。
外は、戦闘状態。最初は床に座っていたけど、ドアの方に寄り掛かった。大きな爆弾の音が聞こえた。戦車だと思う。
「イスラエルよ、聞け。主が我らの神。主は御一人」。
4時間後。
誘拐された人は35人。そのうち2人は兵士だ。みんなパニックになっている。しっかり呼吸をして頑張ろうとお互いに励まし合った。室内は酸素不足。
5時間後。
女性兵2人が気を失った。誰かが床に落ちてた段ボールの切れ端を拾って風をあおごうとしている。もう、私は他の女性兵を見ないようにした。泣かないように、携帯でくだらないゲームに集中しようとした。両親と話した。頭痛がする。今のところ私は生きている。なんとしても生き残る!
その後、ある女性兵士が吐いたので、空気を入れ替えるためにほんの少しの間ドアを開けた。ネズミにでもなった気分だった。もうここを出たい。私は任務中に殺された女性兵士のようにはなりたくない。絶対乗り切る!落ち着いて、息をして、と私は自分に言い聞かせた。携帯にメッセージがいくつか来て、何とか返信できた。
6時間後。「あなたは強い。すべてうまくいくよ」と自分にまた言い聞かせる。
頭はますます重くなってきた。ドアの隙間から光が差し込んで来ているという事は、少なくとも外からの新鮮な空気が入ってきている。床はおしっこだらけで、気がおかしくなりそうだった。このことが私の今後の精神状態に支障をきたさなきゃいいけど。
7時間後。
「非常警報」のサイレンがまた鳴り爆弾が落ちた。
家族に生きていることを再び知らせ、元の場所に戻った。
8時間後。喉がからからだ。
外では銃撃や爆弾が続いている。すぐ外に出れるとは思えない。基地ではジキムの兵士がテロリストを銃撃している。これはいい兆候だ。この状況下であとどれくらい生きていられるだろうか。もうすぐ終わる気がするけど、どんな終わりになるのかは想像がつかなかった。
9時間後。
とにかく暑い。ここで死にたくない。もうだめかも。助けが必要だった。爆発音はとてつもなくでかい。「非常警報」のサイレン。
きっともうすぐ誰かが助けに来てくれる。どうか早く来て。
諦めちゃだめだ!
10時間後。まだ待っている状態。
どうしてこんなに時間がかかるの?
また誰かが気を失った。私ももう耐えられない。でも、がんばって。だいじょうぶ。と心の中で叫ぶ。
11時間後。
軍は、基地の内部を調べてるので、そのあと私たちを救助すると言っている。それまでみんな持ちこたえられるのか。
軍はやっと来た。2名は治療が必要だった。でも、ようやく私たちはシェルターから救助された。
イスラエル南部での攻撃から生き残った19歳の国境監視員A