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6月振り返り日記(前編)

こんにちは。

前回の記事を読んでくださった皆様、そしてこの記事を読んでくださっている皆様、ありがとうございます。

最近は自動車免許の学習にエネルギーを割くようになり、文章を書く時間をあまり取れなくなっておりますが、カタツムリの速さで書いていきたい気持ちです。

さて、この記事は「5月最終週の日記」のエピローグで、Kチームの話はこれで終わりです。

(追記:前編と後編に分けることにしました。)

あと少しだけお付き合いいただけると幸いです。

***

これまでお伝えさせていただいた通り、勤め先で大きな組織変更があり、5月末をもって私はKチームを卒業した。

Kチームに所属したのは二年。かつては永遠に所属できると思っていた。

組織変更によって、Kチームは若手養成のチームとなった。

新体制は6月からスタートしたが、一部の案件がFIXしていなかったり、上半期の昇降給面談があったりと、組織変更が完了したのは事実上6月末となった。

6月の要所の日記を綴り、皆様へのご報告と代えさせていただく。




6月18日(火)二者面談

Kさんとの二者面談があった。

二者面談の目的は、半期を振り返って「どうだったか」を確かめることにある。

二者面談の後には、取締役を交えた三者面談が控えている。

そして三者面談の後、取締役は賞与と下半期の給料を決定する。

三者面談で伝えるべきことを伝えられるよう、二者面談ではチームマネージャーの力を借りて、客観的な振り返りを行う。

これまでの記事にも書いたけれど、今年の2〜4月は多忙を極めた。

仕事的にも窮地に立たされたし、何より、どれだけ仕事を頑張っても自分には還元される場所が無いことが悲しくて、辛かった。

(最近はこの認識を克服しつつある。いずれ記事にしたい。)

状況はそう高くない仕事として許容できるラインを度々超え、私の心はその度に決壊した。

心が決壊すると仕事が手につかなくなってしまう。

とはいえ決壊自体は初めてでもなく、勤め先に入ってから百度乗り越えて来たという自負はあった。

それでも渦中にいる時は本当に辛いから、願わくば、誰かに助けて欲しいとずっと思ってきた。

だから今年の2〜4月はもう、チームマネージャーとして許される限り、むしろ限りなく、Kさんに助けを求めた。

ドライなムードの職場だし、Kさんはいつでもひっぱりダコで忙しいし、そもそも決壊している人の相手をすることは嫌だろうから、拒否をされても無理はない。

だけど、できれば助けて欲しい。

そういう思いで、Kさんを訪ねた。

結果として、Kさんは一度も拒否することなく助けてくれた。

一点、Kさんを神聖化し過ぎないために書き添えると、役員がいる前でぶち撒けた時はさすがにTPO的な観点から注意をされた。(スミマセン)

Kさんに、何度も胸のうちを聞いて貰った。

Kさんに話を聞いて貰うだけで随分楽になったし、悲観的な考えを笑い飛ばして貰って、私の捉え方も楽観的になった。

Kさんの楽観指数は悟りの域に達している。

そしてKさんは話を聞いた後、必ず解決策を提案してくれた。

Kさんに提案された解決策を実行すると、大概の事柄は解決に向かう。
何度も何度もそういうシーンを体験した。

Kさんの言葉は誠実で、心から信じることができる。

ただ今年の2〜4月は非常に難しく、分かってはいるけれどKさんに提案された解決策を即座に実行に移すことができず、己の判断で行動した局面も多々あった。

このことを振り返る時Kさんは、「おくさんに百回くらい同じ解決策をお伝えしましたが、なかなか実行してくれないな〜と思っていました(笑)」と笑顔で語ってくれる。

しかし百度同じ話を言って聞かせてくれることは、私にとってこの上ない幸せである。


6月21日(金)三者面談

取締役と私の付き合いは長い。

今から七年ほど前、社会不適合者となっていた私を拾って貰うところから話は始まる。

取締役は私と歳が近く、4学年上である。

かつてはお互い若く尖っていて、衝突することが多かった。

スピリチュアル的に言うなら、私の内側の闇を最も再現するのが取締役だった。

過去の私は、自分の人生にもこの世界にも希望を持てずにいて、それに伴って感謝の気持ちも持てずにいた。

感謝の気持ちを持てないことは、とても辛いことだ。

感謝の気持ちを持てずにいた過去の私は、勤め先に存在する大切なものを次々と蔑ろにしてしまった。

その度に取締役は私に激怒し、私にとても厳しく接した。

無論私も、全部が全部そうしたくてしたわけでもなく、懸命に取り組んだ結果でもあった。

心の根底にある絶望感を拭い切れないまま、泣き叫ぶ己に鞭を打って取り組んでいるところが大きかったから、起こって来る現実もそのようなものとなった。

自業自得とはいえ、取締役とのやりとりで私は心に深い傷を負い、取締役と一対一となる局面を避けるようになった。

そんな私と取締役の関係を、Kさんは劇的に改善してくれた。

紆余曲折を経て辿り着いたKチームで私は、Kさんの希望の力を借りて、徐々に絶望を払拭していった。

人という存在に希望を持てるようになった。

仕事にも前向きになり、良い結果が出てくるようになった。

Kさんは、私にとって太陽のような存在だ。

Kさんと一緒なら、なんでも出来そうな気がしていた。

Kさんは私が出来ないことが得意で、私はKさんの苦手なことが得意だったから。

Kさんの力を借りながら、徐々に働きを還元出来るようになっていったことを、取締役は評価してくれていた。

私も取締役も不器用で強情なところがあるけれど、Kさんへの感謝の気持ちは人一倍強い。

Kさんへの感謝の気持ちを通して、私と取締役の心は再び繋がった。

そのようなわけで、この日の三者面談では、とにかくKさんの存在に感謝だから、Kさんを大切にしていこうという話で大筋がまとまった。

具体的には、「わめきをゼロにする」という目標が提示された。

会社としても、2〜4月の私の仕事量は過度であったと認識していて、今後は仕事量を軽減していくと伝えてくれた。

さらに具体的には、「一ヶ月の予定を詰め切らず余白の時間を作る形とするから、おくさんはその余白の時間で誰かを助ける動きをして欲しい」とのことだった。

あの不甲斐ない結果に泣いた検証業務や、5月に休日出勤をするなどして炎上案件をフォローをした私の動きを、取締役は評価してくれていた。

とても嬉しく、そして誇り高く思った。

二者面談の中で、私はKさんに語っていたことがあった。

「私は誰かを助けたいと思う時、強い自分になることが出来る」

「だから私は、誰かを助けられるような働きをしていくと決めたら、強くなっていけるのではないか」と。

5月の間中ずっと受け入れ難かったKチーム卒業という現実は、私にとっては紛れもなくステージアップで、新しい扉を開くチャンスであると捉えると、少しわくわくした気持ちで迎えることが出来た。

Kチームの中で育まれたKさんとの絆は、消えるわけではないのだから。

まったく他のメンバーとは異なった切り口で話されたであろう私の三者面談は、あたたかくて前向きなムードで幕を閉じた。

そのことをとても幸せに思ったし、これまでの全てに感謝だと思った。


6月28日(金)給与改定・賞与決定

- 後編にて綴る -


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前回の記事から時間が空いてしまい、公開のタイミングを逃してしまったようにも感じましたが、今の自分を語るうえで欠かすことの出来ない出来事たちであったため、タイミングは関係なく公開しようと思うに至りました。

後編はちょっとしたフィナーレになるので、丁寧に綴りたい気持ちです。

もう少しだけお付き合いいただけると幸いです。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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