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【自己紹介#1】24歳までのガジェット好きな落合陽一

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さて,落合陽一です.1987年生まれなのでいつの間にか31歳になりました.

生まれは麻布六本木あたりで、育ちも六本木で、麻布小学校でて六本木中学校通ってと中学まで公立で,開成高校に進学して,大学は筑波大学で情報学群情報メディア創成というところに進学しました.筑波大は昔からメディアアートの作家を多く輩出している大学です.学部の頃は小学館でインターンして雑誌の仕事したりもしてた頃もあったり,文部科学省系のプロジェクトで中学生に日本映画学校の月野木監督と映画を教えるプロジェクトを3年くらいやってたりしたので動画撮影や編集のいろはは月野木監督に習いました.この頃は本当に本を良く読んでいて,そういえば生物資源学類の授業受けてるときに「君たちは時間があるんだから一年に100冊は本読めるだろう!」と言われたのを愚直に実行したり,佐久間先生の仏教哲学の授業がわからんとか言いながら教科書を何冊も買ってレポート書いたり,あとは昆虫の生体電気に興味持ってたので東大の神崎先生に聞いてみたり.当時一緒に昆虫の研究してた山口さんは今はアメリカでポスドクをしているのかな.学部の低学年の思い出はたくさんあるんだけど初貝先生の授業で物理学わからん!と思ったり,受験数学苦手だったので数学習おうと思って色々勉強してたら当時の生物資源の授業かなんかで増田哲也先生がゼミ形式で丁寧に色々教えてくれてありがたかった.

コンピュータと電子工作が好きな僕は授業中にコード書いたり半田付けしたりしてる奴だったんですが,それでメディアアートをしてたら,いつのまにか展覧会とかに参加するようになって楽しい学部生活を送ってました.チームラボの猪子さんとかは学部生のときからいろんなところで会うのでもう10年来.初めてSIGGRAPHに参加したのは2年生のときで当時デザインの授業で金先生がSIGGRAPHの動画をたくさん見せてくれたので興味を持って,ロサンゼルスまで参加しにいきました.当時のペーパーのセッションでライトフィールドとかの仕組みを勉強したり,舘先生の研究展示が面白くてVRやマルチメディアの研究に興味持ったりしました.

同じくして2年生くらいから大学の研究室(葛岡先生のところ)に出入りしてIoTとかガジェット系の研究していたら面白くなってきたような大学生活.メディアアートの集中授業のTAを2年くらいやってたとき作家のクワクボさんに半田付けとかプロトタイプの基礎とか教えてもらったのが懐かしい.学部のときに音楽やったり雑誌作ったりするサークル始めてそのときの顧問が磯谷先生(最近だと時間結晶で話題になったからみんな知ってるかも),学部の頃は良く磯谷先生の研究室に遊びに行ってました.当時から人工ダイヤモンドの量子コンピュータの研究されてたのでいつも計測器のとこいて,寝袋とかあったりして60代なのにすげえと学部生ながら思ってました.

色々変わりだしたのは研究や制作が面白くなってきたと同時に自分のバイト代で研究するのに限界を感じ始めて,IPAの人材発掘事業の未踏事業に応募したら採択された頃(2009年).今からちょうど10年くらい前です.それでプロジェクトやってたらそこそこ上手くいって経産省とIPAから天才プログラマー・スーパークリエータ認定をもらったのが大学4年のとき.当時やってたテーマは,電圧の可視化とかプロトタイプ作りのためのブレッドボードデバイス作りと可視化と配線ソフトウェアの開発.PICとかAVRとかPSoCとかFPGAとかいじる中でトラ技やインターフェースみたいな雑誌読んでもの作ってるのって初学者には難しいなぁと思いながらそれを簡単にする教育用のタンジブルなキットを作りたかった.「フィジカルなものをデジタル最適化して連結してフィジカルに可視化する」みたいな考え方(このときは描きたい回路に対する配線の最適化だったけど,今でもデジタルファブリケーションとかディスプレイとかロボティクスとかを最適化させたい)と思って実践し始めたのはこの頃.

未踏の後は仕事紹介してくれる人も増えてきたので受託でフロントエンドとかアプリとかデザインとかやりながら資金を稼いで,その資金を自分の研究に使ってました(だから最初に通ったVR学会論文誌の論文は学部生のときに単著で書きました).そういやVR学会の会費滞納して怒られたこともあったなぁ.研究する場所もないので実家の地下室で在野の研究者ライフを楽しむ生活をしばらく続けていた頃です.

そのまましばらく研究してたら未踏の成果とか,ほかに興味持ったものとかが国際会議にペーパーとかポスターとか通るようになったのと,UISTって国際会議で学生コンペに入賞したのと,ディスカバリーチャンネルから当時やってた研究に取材が来たりで,夢中になれることしてるだけで評価される分野があるなら研究は楽しいなぁって思うようになり,学部に将来やりたいことに近しい分野の先生が少なかったので他の大学に行こうかと思い始め,学部のときの指導教官は元凸版印刷でVRやってた西岡先生で,当時の西岡先生のオススメは石井先生のところか暦本先生とか金出先生のところあたりで,Hインデックスと実家からの距離と研究内容で考えて暦本先生のところに進学することにしました.元々Twitterで暦本先生見てたのと,玉城絵美さんにMakeTokyoMeetingとかでお会いしてたのでなんとなくラボの雰囲気も楽しそうだったので進学.卒業するときに学長表彰とかもらったのは今でもいい思い出.学長表彰されるとゆりの木通りのブロンズ像がもらえるんですが,あれはまじ鈍器.そういえば筑波大で自分のラボを始めて3年で学長表彰7人輩出してるから弊ラボの学生には学長表彰仲間が多いなと思うところ,鈍器を抱えた仲間です.余談でした.そういえばアートと研究活動は学部のときから今でもやってるからもう10年以上になるな.

それで研究も楽しいなと思って東大の学際情報学府に進学して,研究してたんですが,最初の年は前年から自分の地下室でやってた錯視ディスプレイ(とにかく動くディスプレイと見た目の質感が最適化されるものが作って見たかった)がSIGGRAPH(コンピュータグラフィクスの国際会議)のE-tech(デモ部門:採択率2割以下くらい?)に通ったので,家の地下室でそれを続けていたんだけど,海外に持っていくのも研究するのも資金がなかったので,起業して企業案件の開発したりしていました.前年に車系のプロジェクトで車内車外のノンバーバルコミュニケーションをやる研究をしてたんですが,そしたらアイシン精機の橋本さんが興味持ってくれて2010年くらいから色々やったりしてました.北京モーターショーのときにデルフィスにいた平野さんに仕事もらったり,なんだかんだで車系のプロジェクトはもう10年くらい関わりがあるのかも.その頃TEDxTokyoyzっていうイベントに登壇したあたりから,ガジェット仲間以外にも友達が増えてきたのを覚えてる.2011年末か2012年くらいに慶応のメディアデザイン研究科にモノを持ってったら友達が増えた覚えがあるなぁ.

この頃の落合陽一は丸い(今より15kgぐらい重たいんじゃねーか? 首から下がってるのはMicrosoft SenseCamだ)

そいで2012年,当時の質感ディスプレイに興味があったのでライトフィールドとか反射とかに興味があった修士1年の冬.前年に高周波の錯覚で質感作ってSIGGRAPHで発表してたときに,MITのラメッシュ先生とか当時MITにいたゴードン(今はスタンフォードの先生)とかマシュー(マシューどこいったんだろう)とかと話してるときにそれってやっぱりホットなんだなぁと思ったのと,当時隣で水面のBRDFディスプレイを展示してたポスドクのフリンさん(今はボン大の教授)と凸凹アクチュエータ並べてたダニエル(今はコロラド大の先生)と話しているうちにそういうのに興味を持って,その年は物理的に反射特性を変えてやろうと思った.でいろんな透明薄膜を振動させながら反射の研究をしていたんだけど,なかなかいい素材がない中ダメ元でシャボンの膜を振動させてたらマイクロメートルオーダーの薄膜が超音波振動していい感じに反射をいじれるようになったのでそれで反射のCG反射特性になぞられながらいじったりしてた.まだ在野で地下室にこもっていて,SIGGRAPHで知り合ったカーネギーメロンのアレックスとスカイプしたりしながら翌年のサブミッションづくりをしていたら,いつの間にかコロイドディスプレイができた.

それで,修士2年の時にTEDのworld talent searchかなんかでクリスアンダーソンが来るっていうから,なんか会ってみたら面白そうっていうことで応募して登壇したりしたら通ったので六本木ヒルズで登壇.この頃から尾原さんとは仲良し.その後薄膜ディスプレイは見た目のキャッチーさもありBBCとかDiscoveryチャンネルとかから取材来るようになって,ガジェットが世の中で流行ってた時期はそういうコンピュータ処理を内包した面白ガジェットを作っていて,それ以来海外メディアがモノを作るたびに扱ってくれるガジェット大好き研究お兄さんとして過ごしているうちに,モノ作り楽しいなぁと作っては出し,作っては出し,と生活してた.研究はそんな感じで,そうこうしてるうちにTokyo Designers Weekに出展しない? とクリエイティブクラスターの岡田さんに誘われて,コンテナ展やったりひたちなかのみなとメディアミュージアムの蔵で大きなインスタレーション組んでたら審査委員賞もらったり,吉本のプロジェクトで作品展示したりと作品を作って出すみたいなサイクルが作られ始めてきた.岡田さんの誘いで府中市美術館で製作展示をやってたのもこの頃,その頃隣のテーブルでアニメ描いてたのがシシヤマザキちゃん.

その頃,東大の五十嵐先生に「落合君はなんでSIGGRAPHにフルペーパー書かないの」と言われたのを覚えてる.僕は自分のお金で自分で面白いものが見れれば興味が完結していたので,それが誰かにウケればそれもよし,ウケなくてもまぁよし,というスタンスだったので,誰かにモノを見せる手段として学会に行ったりしてたんだけど,登壇発表って20分くらいの時間で終わっちゃうし,あんまりたくさんの人に見てもらえないし,それだったら面白いものを作ってショートペーパーかアブスト書いてビデオで見せた方がいろんな人見てくれるかなぁ,と思ってたんだけど,「研究のコアな考え方を広めるにはペーパーを書くのも大切」ということで「そうかペーパー書くのも重要なんだなぁ」と思うようになった.その頃はREADYFORの立ち上げを手伝ったり,ユーザーの行動ビッグデータを処理するMilogで仕事したり,リクルートから受託で仕事受けたりしながらやれることやりつつ楽しく生きていたのを覚えている.渋谷のギャラリーで展覧会したり,発電機持ってプロジェクションマッピングしたり,とにかくお金があればモノづくりに散財する毎日で家にガラクタや部品や実験機材がそろっていくガジェットオタクだったと思う.さて,2012年前半,24歳まで自己紹介したぞ.

↓ このペースで下記を消化するには時間がかかりそうなのでこの辺で.

次は第二回

NewsPicksのやつ:【筑波でメディアアートしてたら展覧会とかするようになって,IPA未踏やってたらスパクリになって,研究してたら国際会議に論文通るようになったんで研究も楽しいなと思って東大に進学して,起業して企業案件開発したりしてて,修士で研究したらバズってBBCとか来るようになって,(第一回でここまで消化)トップカンファ愛好者になって,学振DC1とって,博士で研究したらバズって,CNNとか来るようになって,マイクロソフトリサーチ行ったり,CGとHCI系に国際会議にホロやライトフィールドや触覚絡めて最適化する論文たくさん書いて,TEDxTokyo出たり,東大を早期修了したり,いつのまにか専門の賞たくさん貰うようになって,知財を製品実用化する会社起業して卒業して,総務省の異能とかやってたら筑波大の助教でPIになって自分の研究室始めて,自動車とか電機メーカーとかと共同研究してたら,また研究がバズって,アルスエレクトロニカとかグッドデザイン賞とかワールドテクノロジーアワードとかもらうようになって,授業したり魔法の世紀って本書いてメディア論しながら,学生さん育ててたらいつのまにか国際会議の論文とか結構通るようになってきて,ますます共同研究の業種増えて,自分と学生さんが学長表彰や対外的な賞を貰うようになってまた人増えて,ダボス会議とかザンガレンシンポジウム明日のリーダーとかに選ばれて,製品開発してたらお客さんつくようになって,要素技術を使って社会問題に取り組み始めたら,東京都とか内閣府とか文科省とか経産省とかの仕事増えてきて,JST CRESTとかNEDOとかの研究代表し始めて,筑波で学長補佐したり,自分の会社に資金調達して大学で講座始めたり,准教授になったりしてたら,客員教授とか理事とか増えてきて,最近でも論文書きながら徹夜したりプログラム書いたり展示現場で施工作業したり,サンジャポやニュースピックス出たり会議も多いけど,基本は現場の人間として生きている.
メディアアートを始めたときは19歳だったのに,気づいたら結婚して子ども生まれ,30歳になった.
日本再興戦略が売れたり,肩書きが増えたり,他人からはもう初見で理解不能な「働き者」です.開発・経営・アート・研究・教育・広告など様々な現場にいるので幅広く知ってるのが強みかなぁ,逆に現場にいないことについてはコメントしないことにしてる.
一言で言えば「みんなありがとう」🙇】

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落合陽一
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