Genuine RevelationとNeo SanctuaryとKiss of Lifeを巡る天祥院英智の「終焉」の物語
※すべて私個人の解釈です。
※公式がすべてとも思っていません(後述します)
Neo Sanctuary、私はずっとこの曲と戦ってきた。fineにとってこの曲は何なのか、誰が何を思って歌うのか。
そしてそれを考える上で英智にとっての「終わり」という概念は切っても切り離せない。スタライでの披露、MV公開と続いたこのタイミングで、Neo Sanctuaryを含む3つの終焉の物語をまとめておくことにした。
あくまで私個人の解釈ということを念頭に置いて、読んでいただけると嬉しい。
各曲の大まかな解釈
Genuine Revelation:旧fineの代表的なプロパガンダ曲。混沌とした学院に秩序をもたらす神の遣いとして、生徒たちを魅了し導くための曲。終焉こそが救い
Neo Sanctuary:英智の長い戦いの終わり。かつての、そして今の天祥院英智に捧げる曲。終焉は次の始まりの合図。4人のfineの完成。
Kiss of Life:ALKALOIDに最初に支給された曲、つまり英智がALKALOIDに贈った曲と考えている。Genuine Revelationの引用が二か所。作られた終焉、そして新しい物語の始まり。
Genuine Revelationから見る旧fineの宗教
Genuine Revelationはご存知の通り、とんでもプロパガンダ曲だ。
「選ばれた者だけが物語を紡ぐべき」「方舟に集めた音」
アイドルとして輝きたいという意志があるのならば君たちは特別になれる。その志は尊い。僕らがそれを手助けしよう。
「そのScoreに僕らが書き加えてせめて飾ろう華々しいCadenzaで」「We’ll send you truth that is a beautiful phrase.」
一見「神にでもなったつもりか?」と思ってしまうほど上から目線の歌詞に見えるが、彼らはあくまで「啓示」をもたらす天使でしかない、という態度で舞台に立っている。神がそう言っている、世界の理がそうなっている、だから君たちも一緒においで、方舟に乗るのは君たちだよ。
旧fineは常に生徒に対していこうでなければならない。彼らは憧れられる存在で、しかし五奇人のように手の届かないものになってはならず、おごり高ぶらずただひたすらに希望を歌う――。裏でどんな策略を立てていようと、生徒の夢を踏みにじっていようと、表にいる旧fineは剣をとらないし血生臭い争いもしない、純粋無垢な存在で居続けないといけない。
英智の目指す革命は混沌の世の終わりから始まる。生徒たちにとって「終わり」は希望であり続けなければならない。それが、旧fineが確立した宗教ともいえるのだ。
そんな彼らがNeo Sanctuaryを歌うだろうか……?
私の答えは「ノー」だ。
Neo Sanctuaryは旧fineの曲だったのか?
Neo Sanctuaryは現fineの曲、というのが私の解釈だ。もっと言うと、現fineですらライブで披露しているのか怪しいと思って今日まで生きてきた。
「絶望に咲く花に光を、君に秩序を、永遠に与えよう」「目指すべき孤独な頂はもうすぐ」「消せない罪へのせめてもの餞にもこの身を懸けて」
たくさんのものを犠牲にして頂点に立ち孤独に彷徨う英智をfineの皆が救う、そんな曲に聴こえる。
もちろん、テキストのみを追えばこの曲を旧fine時代の革命が成る寸前と読むことは可能だ。むしろ描かれている状況としてはそうとらえる方が自然かもしれない。しかし、上述した通り旧fineは生徒たちの希望であり続けなくてはならず、生徒たちの前で自分たちの事情(残酷な微笑み、紡ぐ悲劇、犠牲、孤独な頂、消せない罪)などをあらわにしてはならない。もしこれが旧fineの曲ならば、絶対に表に出されることはない、幻の曲として眠っていたことだろう。
この曲は、Genuine Revelationで目指された「終焉」のその向こうの話である。もっというと、学院にもたらされた見せかけの「終焉」ではなく、英智の孤独な戦いへの終止符だ。「目指すべき孤独な頂を選んだ これはそんな物語のfine―終わりー」
しかし、これは英智のためだけの歌ではない。渉「紡ぐ悲劇を道化のように」 桃李「祈りの夜明けを見届けるんだ」など、他のメンバーのfineとの関わりも描かれているように見受けられる。
つまりこの曲は、fineが過去の罪を共有し、英智が背負っている物語を終わらせ、彼ら4人の、本当のfineとして歩いていくための儀式のような歌なのだ。
「公式」に物申す
ちなみに、過去にあんスタマガジン(紅月)内では、「fineが最盛期へ向かう途中」の曲であり、「『終わらないシンフォニア』からはだいたい一年前の曲」だと述べられている。さらに、PASH2019年12月号ではGenuine Revelationからつながる曲とも言われている。なるほど、これを見ると確かに「公式は旧fineの曲と考えている」といえる。だが、その場合の「公式」とは誰のことだろうか?
この2曲を巡っては、運営会社、音楽プロデューサー、メインライター、作詞家2名と少なくとも5者が関わっている。そこにズレが生じず、すべてを「正解」ととらえることがどうしてできるだろうか?
私は公式を否定したいわけではない。だが、かつての雑誌記事だけでこの曲の位置づけを決めてしまうのは早計……何よりおもしろくない。人には人のあんさんぶる。人には人のNeo Sanctuary。
fineの「文脈」とNeo Sanctuary
そしてこの曲をfineがライブで披露することにもちょっと抵抗がある。彼らはそういう「文脈」で売っていないと思っていたからだ。
ここで言う文脈とは、アイドルがファンに見せる自分たちの物語のようなものだ。燐音が「ナイトクラブ」で葵兄弟に話していたアレである。
対照的な2ユニットを上げると、Knightsと2winkだろう。Knightsはどんな暗い過去やメンバー同士の軋轢があろうと、それを決して表には出さず、ファン(姫)にとっての騎士を演じる。曲の歌詞に彼らの裏側を示唆するようなものはなく、ファンは安心して騎士たちからの愛を享受する。
一方で2winkは自分たちのすれ違いやモヤモヤも曲に乗せて歌う。そうすると、ファンは彼らの凸凹した人間性も含めて大好きになる。裏の顔を想像しては思い思いに語り、「推したい」という感情に彼らへの庇護欲も乗せることになるかもしれない。
さて、じゃあfineはどうなのかというと、私は前者だと思っていた。どれだけ血塗られた歴史があろうと、天上の音楽を奏でる天使として、純白の衣装に身を包み歌う――ファンが不安になる要素もなければ、詮索させるような過去も見せない。
しかし、Neo Sanctuaryという曲の存在がそれを崩した。先ほど言った「自分たちの事情(残酷な微笑み、紡ぐ悲劇、犠牲、孤独な頂、消せない罪)」をファンの前で見せるというのだ。
例えばDDDから、サーカスから、七夕祭から、fineを好きになったとしよう。明るくて皆を光の方へと導くような高貴なメロディを聞いていたファンは、きっとNeo Sanctuaryを聴いたら戸惑うだろう。同時にもっと彼らのことを知りたいと思い、歌詞を読み解き過去を詮索し始めるかもしれない。それは、英智の望むところなのだろうか?
そんなことを考えながら過ごした私に突然の転機が訪れた。スタライ5th ALBAでのNeo Sanctuaryの披露、そしてつい先日のあんスタMusicでのMV公開である。
彼らはこの曲を笑顔で締めくくった。
何を不安になることがあったのだろうか。何を恐れることがあったのだろうか。そこにいたのはいつもと変わらない、ファンに誠実で高貴な歌を奏でるfineだった。
これは過去との決別の曲であると同時に、4人で罪を分け合い、未来へ向かう曲。それをファンの前で披露するということは、彼らの意思表明――誓いのようなものなのかもしれない。4人でfineになった彼らは、眼前にいるアイボリーのペンライトを握りしめたたくさんのファンに手を差し伸べこう言うのだ、「一緒に行こう」と。
ちなみに、そうやって意思表明できるようになるのは「ズ!」時空の冬以降だろう。スターライトフェスティバルからSagaにかけて桃李がfineの過去を知った上で、返礼祭や第二回DDDなどで歌ったのではないだろうか。そうでなければ、何も知らない彼にこの曲を歌わせるのはあまりに酷である。
Kiss of Lifeに託した願い
英智の「終焉」の物語には続きがある。それは未来に意志を託すこと。新しい物語を生み出すこと。
ALKALOIDは、英智の目指す「アイドルを大量生産する工場」で作られたプロトタイプだと考えているが、それは工場で作られた限りなく量産型に近い試作であって、それまでに捨てられたいくつかの試作があると思っている。そのうちの一つが旧fineだ。
旧fineは革命を遂行するための装置だった。そして今度はALKALOIDにその役割を担わせようとしている。
Kiss of Lifeの歌詞にはGenuine Revelationの引用と思われるフレーズが二か所登場する。
「(ハート!)愛の名のもとに」」と「暗闇のヴェールはいらないね」だ。Genuine Revelationでは「愛の名のもとに全て捧げよう」「夜という闇のヴェール」となっている。
そう、私はこの曲をALKALOID結成時に支給された曲だと考えている。それはつまり、英智が願いを託した曲ということだ。この曲についてはこちらの記事に持論を書き連ねているので、曲全体の解釈はここでは割愛する。
また、この曲では「We’re Holic Star!」という歌詞も出てくる。明らかにTrickstarが意識されているが、この時点でALKALOIDのメンバーはトリスタが先代の主人公たるべき存在であったことを知らない。旧fine、そしてTrickstarの歌詞をここで引用することができるのは、2度の革命を見てきた人物だけだ。
結論から言うと、この曲は第一試作たる旧fine、そして革命を終えたTrickstarの塗り替え=彼らの歴史の終わりとALKALOIDの旅路の始まりを意味していると考えている。
Kiss of Lifeが英智によって支給されたものだという確かな根拠はないが、そう考えると謎に散りばめられた先輩アイドルたちの曲の歌詞やユニット名に似た響の単語に合点がいく。「ズ!」でアイドル達がやってきた革命に終止符を打ち、新たな時代を切り開くもの、そういう願いを託されて世に出された量産型アイドルのプロトタイプ、それがALKALOIDだ。
と、ここまでは英智目線での語りだが、私はALKALOIDにその立場に準じてほしいとは微塵も思っていない。どうか英智の期待を裏切って、自分たちなりのアイドルを探して突き詰めていってほしい。
以上が、私がGenuine Revelation、Neo Sanctuary、そしてKiss of Lifeに見ている英智の「終焉」をめぐる物語だ。fine(終わり)を冠するユニット、彼らが見つめてきた終わりを私はこの曲を聞くたびになぞる。終わりは始まりの合図。幾度も終わりを重ねながら、彼らの物語は続いていくのだろう。
あーあ、あんさんぶるスターズは楽しいな!
最後までお読みいただきありがとうございました。