コンプレックスな僕、人間
寝れへんなぁ。なんか書くか。
ちょっとネガティブな自分語りでもしてみるか。
小さい頃は本当に病弱でしょっちゅう熱やら咳やら出て学校休んでたし、アレルギーもいくつも持ってて給食のメニューが他の子とだいぶ違ってた。
体力もなくて、足も遅いし力もスタミナもなかった。
体力測定は大体下から少し数えれば僕の記録が出て来たし、中1のマラソン大会は実質最下位で最後の方ほぼ歩いてた気がする。
ぶきっちょで運動音痴だったから、スポーツ全般が苦手だった。
ドッジボールではボールを持たずひたすら避け続けてたし、ふつうのヒンズーシャッフルが未だに満足に出来なくてカードゲーム友達にドン引かれた記憶がある。
怠惰で計画性もないから、小中学校で夏休みの宿題を出した記憶がない。
文化祭のときに他の皆んなは授業で書いた絵を飾れてるんだけど、「○○の絵はなんでないの?」って母に言われた。
勉強は得意な方だったけど、高校の入学試験は落ちて後期合格だったし、大学入学試験は同じところを三回連続落ちて結局受かんなかった。
こんな感じの自分を意識してみると、やっぱり心の奥底に劣等感やら欠落感やらがある気がするなあ。
最近は少し大人になったのかメンタル面の付き合い方が上手くなってきたのか、そういう感情に振り回されることがなくなってきた。
色々勉強して知識がついたり、マインドフルネス等の習慣化、カウンセリングの受講で大分マシにはなったんやと思う。
ただなんかずーっとこびり付いてる感じはあるね、自分の行動に影響のない範囲で。
シェアハウスに入るときに気づいたのは、同居人がみんな僕の持ってない、欲しくても手に入らなかったものを何か一つは持ってることやった。
体力、行動力、知性、コミュ力、要領の良さ等々。
僕はそういうのがあったら人生楽なんやろなーって思ってた。
でも入ってから気がついたのは彼らは彼らなりに苦悩してるというか、持ってるからこそしんどい部分も多いんやろなってことやった。
僕が悩まんようなことで悩んでるときもある彼らを見て、人生楽に生きてる人おらんのやなって思い始めて次第に羨望や嫉妬の感情が薄くなっていったな。
勿論ちょっぴりは残ってるんやけど、彼らも僕に対してそういう感情を抱くかもしれんからお互い様やなって思うとイマイチ負の感情にマジになれなくなった。
人からの評価は低いのが普通やと思ってるからあんまビビらずにものが言えるところとか、ダサい自分を肯定して喋れるところとか、コミュ障で人見知りな内向人間やけどその分内省してるとことか。
僕が持ってない側やからこそ持ってるんやなって思えるものも割とあって、そのおかげで楽できてるというか助けられてることがある。
逆に違う人間やと思ってた彼らと共通してる部分もあって、そういうところで同じ人間でもあるんやなって気付かされる。
例えば皆んなよく内省するタイプやったり、なんか欠落感や僕と同じような悩みを抱えてる人もそこそこいたり。
シェアハウスに限んないんやけど、色んな人と関わってきたおかげで人間についての理解度が深まった気がする。
そしたら次第に負の感情もマシになってきたんだよな。
自分と似た部分も違う部分もある彼らが好きになったからこそ、自分もそこそこ愛せるようになってきたというか。
書いてて思うのは、孤独が多分人を病ませるよな。
ただ単に人が周りにいればいいってわけじゃなくて、自分がチクチク攻撃されてる感が人といてもするなら、それは孤独やと思う。
むしろ誰もまわりにいない場合よりもかなりきつい方のね。
自他から受容されてる感じがして初めて孤独じゃないというか。
負の感情が癒えて病みが寛解するんじゃないかな。
そのためにどう自他を愛するか、また人が人に優しくしやすい環境を作れるかってのも大事な気がするからまた今度書こう。
というかもう前に書いたような気もするけど、このテーマに終わりは絶対ないからぼちぼちな感じで書き続けてきたいな。
寝まーす。(寝れるかなあ。)
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