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解釈のジレンマ


物事はいかようにも解釈できる。
良い物事、悪い物事が初めからあるのではない。
良いとするものも悪いとするものも、役立つと役立たないとか、
素晴らしいとか醜悪だとか、
いかようにでもあろうとも、解釈するのは結局は自分なのだ。
しかし、どう解釈しようとも、その時からその解釈の中に自分を差し込むことになるのを知っておこう。
つまり、解釈にとらわれ、その解釈ができるような視点からのみ物事を見てしまうようになるのだ。
つまり、解釈や、そこから生まれる価値判断が自分をきつく縛るというわけだ。しかし、解釈せずには物事の始末がつけられない。ここに、人生を読み解いていくことのジレンマがある。
『たわむれ、たばかり、意趣ばらし』

#ニーチェの言葉
#014


つまり、どう解釈するか、物事をどう見るかは全て自分にかかっている。
その事実を悪い方向へ見るか、良い方向に見るか、

うんこを踏んで、あ~今日も最悪だと思うか、
うんこ踏んで、こんなことなかなかないことだ、逆に運がいいわ。
運がついたと思うか・・・

どうせ解釈するのなら、幸せな人生を歩むのであれば
常に前向きな解釈ができる方が楽しいよね。

フォー!!!!

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