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恐怖心は自分の中から生まれる
この世の中に生まれる悪の四分の三は、恐怖心から起きている。
恐怖心を持っているから、体験したことのある多くの事柄について、なおまだ苦しんでいるのだ。それどころか、まだ体験していないことにすら恐れ苦しんでいる。
しかし、恐怖心の招待というのは、実は自分の今の心のありようなのだ。
もちろんそれは、自分でいかようにも変えられることができる。
自分自身の心なのだから。
#19
#曙光
30代後半になって、恐怖心がなくなってきたように思う。
逆に、これまでなぜこんなにも周りの人や異性や友人、社会の人を恐れていたのか・・・何に恐れていたのかすらわからなくなった。
生まれてからずっと、周りのみんなにに認められたいとか、
褒められたいとか、そんなことばっか考えている人間だった。
でもどこかのタイミングで、どう思われてもいいし、傷つけられてもどうでもいいって感じになったような気がする。
これは、どうゆう心理の変化なのだろう。
今まで周りのことばかり気にしていた私は、
いろいろな経験を通じて、細かいことを気にしなくなった。
どうでもいい人に好かれようとは思わないし、
でも、大切にしている人と、何でも言い合える仲間と一緒にいればそれで幸せと思えるようになった。
小中学校のころ、私はいい人と言われてきた。
実際は、友人や先輩後輩とのコミュニケーションを避け
いい人をずっと演じてきた。
その前に、調子に乗りすぎていじめられたという経験もある。
これは自業自得だった。
小・中・高・大学とずっときつくて辛かった。
本当の友達と思える人間はほとんどいない。
一緒に遊んでいても、いつも心の底からは楽しめなかった。
みんなに合わせるので必死で、いつも心が疲れてて、
結局みんなと遊ばず、周りからは一匹狼的に思われていたと思う。
デモ本当はみんなともっと遊びたかったし、
その中心で楽しんでいたかった。
デモ、一緒に遊ぶと苦しくて辛くて、なんだかみんなといるのに独りぼっちでいる感覚をいつも持っていた。
恐れがなくなったのは、
自分の中で、だれに何と言われようととにかく今を幸せに生きたい。
いつ死んでもいいと思えるような人生を送りたいと思った。
いちばん大きいのは、
30歳過ぎて、双子の弟が寝たきりになる難病になったこと。
そして、何でも気兼ねなく本心で話ができる同僚ができた。
言い方は悪いが、どんなことを言ってもちゃんと理解してくれる仲間ができた。俺の心の友がやっとできたから。
ずーっと空気読めない人間だったのに、
空気読まなくてもいい人間になったのだ。
一つ言っておくが、
仕事ではめちゃくちゃ空気が読めるいい奴だ!!
私を知っている人は信じてくれないんですが、
意外と友達ができないんですよね。。。
周りは、小・中・高校・大学で親友が●●とかよく聞いてたけど
俺にはそんな人いなくて本当に悩んでたし、ずーっと苦しかった。
でも、遅くても今やっとだたが何でも話せる友人はいる。
そんでもって、俺の夢は死に際に
感謝してくれる人をたくさん作ること。
子どもたちに、親の生きざまを最後死ぬときに見せてやりたい。
そんな馬鹿な、自分大好きな、
自分のこと大嫌いだけど、大嫌いだからこそ
死ぬときにみんなに褒められて、それを見て子供たちが誇りに思ってくらるようなそんな人生を送っていきたい。
そう願っています。
めんどくさい40代男。
これからもめんどくさく、頑張っていこう。