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「86歳、やっとひとり」#44 七回忌

今年は父の七回忌。
内々でのささやかな行事とは言え、母にとって「最後のお勤め」くらいの大仕事だったはず。無事務めあげてから故郷N県の高齢者ホームに移るというのが、長く母のプランだった。それがあれよあれよと早めの入居を果たしてしまって以来、すっかりその熱も冷め、年明けあたりから「二人にお任せするかも」と怪しい前振りをするようになった。

法事は東京のお寺なので、母の上京に合せ近くのホテルも早くから予約してある。新幹線で私か妹が迎えに行く相談もしているというのに。

“体調が心配”めいたことも言うが、それらしい不調の気配もない。
「ママったら、あんなに七回忌、七回忌って言ってたくせに、どう見ても“億劫になっちゃった”以外考えられないよねー。」
「コロナで口実が出来て“ラッキー!”って感じじゃない?」
私と妹も半分呆れ顔で母の気まぐれに苦笑している。

まあホームの居心地が良くて東京まで出掛ける気にならないというなら、それはそれで結構なこと。そもそも七回忌に拘っていたのは母で、家族だけで執り行なうなら私と妹の二人でお寺で読経していただけば済むこと。私たちにとってはむしろ母の「出無精」の方が気になるくらいだ。

コロナ自粛で延び延びになっていた法要も、7月父の命日当日にようやく着地した。
母からは前の晩に「あんまり暇だから、コーヒーとバラお供えして“前夜祭”やってるわよ」の電話があったそうだ。加藤登紀子が歌う「百万本のバラ」が好きだった父には、薔薇の花が似合う。

お寺に向かう出掛けに、父の写真に「じゃ、行ってくるねー」と声をかけた。あれ?これからこの人の七回忌に行くんだよね!?
我が家は皆、父がいつもそばにいると思って過ごしている。だからお墓やお寺に行くたびにそんなトンチンカンを言って母や妹と笑い合う。母もきっと父の写真の前で「今頃お経読んでる頃よね」とか“時空を超えた会話”を交わすのだろう。

時々思い出す法要より、いつも一緒にいる父。

母もそんな気持もあって参列にこだわらなかったのかもしれない。仏さんはいつでもどこでも移動可能な「究極のモバイルさん」で、しかも「リモートの達人」。私も家に帰ると「ただいま」と父に挨拶をして、お供物のバームクーヘンのお下がりを一緒に食べた。

「86歳、やっとひとり」 ~ 母の「サ高住」ゆるやか一人暮らし
「何も起きないのが何より」の母のたよりと、「おひとりさまシニア予備軍」(=私と妹)の付かず離れずの日乗。

【ここまでの展開】
「最後は(故郷)〇〇山の見えるホームで暮らすの💗 」 60代前半から”終の棲家”プランを持っていた母がついに行動に出た。気に入った施設も決まり、引越しを経ていよいよ母の”新生活”一年目が始まった。


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