落ちこぼれでも1年間で東京6大学に合格できます。

はじめまして、初ブログを書きます。

そるそると言います。

僕は高校中退で偏差値38から1年間勉強して法政大学に入学しました。今は社会人ですが、気持ちの保ち方や勉強法をこれから少しずつ書いていきます。

もうかなり昔ですが、大学受験の経験は今の社会人でもとても役に立っています。特に気持ちの保ち方や考え方は一生役に立つと思うほど、貴重な宝になりました。

この経験を心が折れかけている受験生や大学の「だ」の字も縁がないけど、大学に行って自分を変えたいと言う人に知ってもらいたい。

そんな思いで書いていこうと思います。

僕は高校3年生の秋に高校を中退しました。理由は素行不良だったのですが、楽しかった高校生活が突然終わってしまい、悲しみに暮れて、自暴自棄になっていました。

中退した1年後(19歳の年)当時、テレビ番組で大検ハイスクールが流行っていて親に半ば強制的に大検を受けさせられました。高校3年生までの認定された単位があったので、日本史1科目のみ合格すれば大検取得という、低いハードルでしたが、合格点24点ボーダーの26点で合格という、ギリギリの合格でした。

大検って合格点低いですねw

特に苦労することもなく、半分運で受かった大検。せっかく受かったので、一応行っていた大検の予備校の先生に勧められるまま、ノリで大学受験を決めたわけです。

大検は秋に終わるので3か月ちょっと勉強して大学受験というスケジュールですが、特に勉強をする事もなく、滑り止めがあるし大丈夫と簡単に考えていたら偏差値40の大学も軒並み不合格。

名前書けば受かるって聞いたのになんで?って不思議に思うくらい舐めてました。

受験前は、もし不合格ならパチスロで食っていこうかな位の気持ちでした。(当時はパチスロが良い時代で年間1000万くらい稼ぐプロも沢山いました。知り合いにプロがいたので、一緒にやろうかなって感じでした)

しかし、名前を書けば受かると言われている大学に軒並み落ちたことで、何かのスイッチが「パチッ」と入ったのでした。

これが合格するまでの僕のモチベーションになったわけです。

『世間は甘くない』『自分の存在は世間では何者でもない』と社会から否定された事を見返してやろうという気持ちが、最大のエネルギーとなりました。

後から考えると、不合格は良い経験でした。この悔しさは社会人の今でも心が折れそうになった時に自分を支えてくれる幹になっています。

その後、適当にあしらっていた親に頭を下げて(本当に親をバカにしてましたし、すごく恥ずかしい思いで頭を下げた記憶があります)、もう1年、勉強する費用を出してもらう事になりました。

それでも勉強など、ほとんどしたことの無い僕が、受験勉強を始めても、机に向かう事が大きなハードルでした。

それと問題集や参考書、何を買えば良いのか、さっぱり分かりません。

まずは、英単語帳を買ってきてノートに書く練習から始めました。この行為の目的は机に座る習慣をつける事なので、単語なんか覚えるつもりはありませんでしたw

10分経つとタバコが吸いたくなってきます。あ、19歳だったような…w

しかし、まだモチベーションMAXの、そるそる少年は、根性で1日8時間を目標に2週間続けました。

作戦は成功し、机に座る事は嫌では無くなってきました。

が、机に座れば受験に受かるわけではありません。

ここから、ほぼ無駄な時間を2か月ほど過ごしてしまうのでした。

やってる感を味わう勉強、『味わい勉強』です。

その原因は、「目標設定が曖昧な事」と「今の自分の立ち位置がわかっていない事」、それから「気持ちの緩みが出てきて、モチベーションが元に戻ってしまう事」でした。

原因の追求と対策と克服方法は次回に書いていきたいと思います。

次回は、僕の1年において本当に肝となった考え方を書きます。細かい勉強方法は3回目くらいから書きますw

これからよろしくお願いします!

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