見出し画像

#491:レイフ・オヴェ・アンスネス ピアノ・リサイタル(2023/10/21@兵庫県立芸術文化センター大ホール)

 兵庫県立芸術文化センター大ホールで開かれた、レイフ・オヴェ・アンスネスのピアノ・リサイタルに行ってきた。これには経緯があって、元々は知人がチケットを購入されていたのだが、都合で行けなくなってしまわれたため、私に譲ってくださったのだ。

 私はアンスネスの実演を10年くらい前にコンチェルトで聴いたことがある。ブロムシュテットが指揮をしたNHK交響楽団の定期演奏会で、曲はラフマニノフの3番だった。NHKホールの3階席の後ろの方という、条件が良いとは言いかねる席ではあったが、聴いていてどんどん惹き込まれる素晴らしいピアノだったと記憶している。

 本リサイタルのプログラムは、前半が、シューベルトのピアノ・ソナタ第14番に、ドボルザークの「詩的な音画」より、第1曲、第2曲、第9曲、第10曲、第13曲の5曲、後半が、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番とブラームスの「7つの幻想曲」。

 アンスネスがどういう意図でこのプログラムを組んだのかはわからないが、個人的にはそれぞれの作曲家の個性の違いについて、いろいろな発見をすることができた興味深いプログラムだった。

 もともと本リサイタルの中で私の一番の目当ては、1曲目のシューベルトだったが、リサイタル全体を通じて最も強い感銘を受けたのも、やはりこのシューベルトの曲であった。私が改めて感じたのは、特に第1楽章に関してだが、中断する音楽であり、解決に至らない音楽であること。独特の浮遊感がふと途切れる瞬間が、曲中に何度も訪れるのが繰り返されるうち、何とも痛ましい思いが湧き上がってくる。何と孤独な魂なのかと、胸が苦しくなる思いになった。

 ドボルザークは初めて聴く曲だった。先程のシューベルトに比べて、何と甘やかで幸福な音楽であることか。そもそもドボルザークのピアノ曲を聴いたことがほとんどなく、アンスネスの演奏を聴きながら、私のイメージには全くなかったのだが、ドボルザークもピアノの名手だったんだ!と感じさせられた。何とも華麗な音楽であると、私には感じられた。

 ベートーヴェンは、本リサイタルのプログラムの中で最もポピュラーな曲だと思うが、今日のアンスネスの演奏の中では、私には最も印象が薄かった。それは、アンスネスとベートーヴェンの相性によるのか、このプログラムの中での悲愴ソナタの相対的な位置付けによるのか、どちらかといえば後者という気はするが。私には、演奏を聴いているうちに、本リサイタルのプログラムに通底するテーマは、それぞれの作曲家が「夢見ること」であるように思われてきたのだが、そういう意味では、ベートーヴェンが最もリアリストなのかも知れない。もちろん作曲された年代や、ベートーヴェンの中でも初期に属する作品であることもあるだろうが、骨組みはしっかりしている分、他の3人の曲と比べると、「余白」が感じられにくいうらみがあったように思う。

 ブラームスを聴いていて思ったのは、やはり、それまでの3人と比べて、何と内省的で内向的な音楽かということだ。音響としては、ドボルザークに劣らず豊穣な響きの音楽でありながら、そこにはドボルザークの音楽にはあまり感じられない、屈折した鬱っぽさのようなものが、時折滲み出てくるように感じられる。しかし、ブラームスは、シューベルトに比べると、はるかに現実的な音楽に聞こえる。このブラームスを聴いていて、最初に演奏されたシューベルトの音楽が、改めて、此岸と彼岸の間を彷徨うような、孤立というか孤絶というか、美しくもあり、凍りつくようでもある、本当に独自の音楽であることを、ドボルザーク、ベートーヴェン、ブラームスの3人の音楽との対比を通じて、思い知る気がした。私にとっては、アンスネスのプログラムは、そのような体験を喚起するものとして、受け取られたのだった。

 アンコールは3曲。1曲目は、アンスネスのアナウンスによれば、ドボルザークの「春の歌」。そうかなと思って聴いていたが、調べてみると、やはり「詩的な音画」の中の曲で第4曲にあたる。2曲目はショパンのマズルカ。私はショパンは聴かないので、どの曲かはわからずじまい。3曲目は「One more Chopin」とだけ言って弾き始めたので、私にはわからなかった。曲の最後の方の和声進行に聞き覚えがある気がしたのだが、ノクターンのどれかだったのだろうか?

 「私はショパンは聴かない」と書いたが、どうも苦手で進んで聴く気にはならない。でも、今日のアンスネスの演奏を聴いて、アンスネスが弾くショパンだったら、私にも聴けるかもしれないという気がした。