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2月19日 無意味な世間話を辞めた話

旅にでも出ようかしら。俺はそう思いました。本日の14時頃にそう思った記憶がある。バイトが終わったら、そのまま江ノ島にでも行って、海を見ようかしら。ほいで、自分とやらを海底20000メートルの底に沈めて、ゲットフレッシュ、新しい自分でも探そうかしらなどと考えていた訳だ。
「自分探しの旅」という誠に間抜け極まりない言葉があるけど、奴らが何故そういったことをするのか一瞬分かったような気がしたけど、それは完全なる気のせいだった。確固たる気のせい。

でも旅は良い。「金と時間と労力」がそこそこかかる。その割に大した努力は必要ない。自分の匙加減で、「そこそこ」のアレコレをペイすることが出来る。支払った分、何かを「得た」気分になれる。得た気分になったらいいじゃないか。俺だって。
とにかく俺は江ノ島に行くことを決めた。決めたら高揚感がわいてきた。
14時30分頃、俺は店内から外を眺めながら江ノ島の風景を思い出していた。江ノ島水族館、えのすい、えのすいの前を通ろうと思った。通るだけで満足出来そうな気がした。
「おはよう!!!!」
江ノ島がボヤけて、すぐに消えた。
すぐに後ろを振り返ると、いつも元気に挨拶をしてくれる気さくな業者のお兄さんが立っていた。
「マジで最悪だ。」
と俺は言った。言っていた。自分でもびっくりした。何を言っているんだと思った。それでも俺の口は止まらず、
「あなた達の会社の連中はとにかく挨拶すれば良いと思ってて、不快だ。今の挨拶で残しておいた後半の体力が無くなった!」みたいなことを言っていた。
俺は恥ずかしくなって、お兄さんの顔を見ずに事務所へと逃げた。
とんでもないことをしてしまった気がして、気分が落ち着かなかった。椅子に座って少し考えた。何であんなことを言ってしまったのだろうという罪悪感と、達成感、喜びのようなものを感じていた。何を達成したのだろう。分からない。嘘。分かっている。僕は彼と普段から親しく会話しているけど、彼のことをなんとも思わない。何故話しかけてくるのだろう?と毎回思う。
俺の周りにはなんとも思わない人が大勢いる。このなんとも思わない人達との「会話」がなんのためにあるのかがさっぱり分からない。ではなんで話しているのかというと、楽しい気持ちになるからだ。自分が言ったことで、相手が笑ってくれたら嬉しい。なんてことのない会話でも、「なんとも思わない人となんてことのない会話をしている」と思うと楽しい。世間話は世間話をすること自体に爽快感のようなものがある。中身はスカスカでも良い。ただ生粋の世間話好きの僕は、スカスカだと物足りない。出来るだけ詰まっていた方が楽しい。
てな訳で僕は、普通じゃありえない詰め方をする。中身がパンパンな世間話を目指す。この中身は全て僕が差し出したものだ。中身の正体は僕の生身だ。向こうはそれを受け取るだけ。学生時代から思えば僕はずっとこれをやっていて、繰り返している内に麻痺が起き、気がつけば初対面の人に自分の親父が自殺をした話とかを平気でしているようになってしまっていた。
ところがどっこい、年齢を重ねれば重ねる程、これが通用するから驚いた。親父が自殺をした話をした時に、相手の年齢が高ければ高いほど「大人の対応」をしてくれる。元々世間話とは「大人の対応」を交互にし合う、キャッチボールのようなものだ。
年上の人程、少し間違った方向にボールを投げてしまっても小走りで落下点へと向かいナイスキャッチをしてくれる。
「大人の対応をされる」と言うのは、馬鹿だと思われているのと変わりがないのかもしれないがそれで良い。元はと言えば、お互いに何とも思ってない人間同士だ。
中身が虚無な世間話、規則的なキャッチボール、に飽きている人は確実にいて、その層に俺の大暴投は刺さる。涎を垂らして喜んで取りに行く。返球はしょうもないけど、何とも思わない人だからそれで良い。
次第に世間話フレンド達が、敬語からタメ口になったり、遠くから僕を発見しただけで手を振ってくれたり、面白くはないけど自身では面白いと思っているんだろうなみたいなことを言ってくれたりするようになる。ここで俺はブチ切れる。本日のようなキレ方を突如する。
相手に大人の対応をさせるというのは、反対に俺が子供じみたことをしているということになる。それが珍しいからウケているに過ぎない。それも世間話をする関係という枠内での話だ。
俺の大暴投の目的は投げた球(話題)にはない。投げている様にある。フォームの話だ。綺麗なフォームで大暴投をしたって、誰も話題を取りに行ってはくれない。ただ会話が下手な奴だと思われ即終了。
みっともないフォームで思いっきり投げるから、仕方がねえなこいつは、つって大人達はボールを拾いに行ってくれる。世間話において、「みっともないフォーム」とは何かというと、馬鹿を装おうということだ。要するにピエロなんです。舐めれるようなことを自らして、ハードルを下げ、こだわりが何にもないような、「ノリが良い人」を演じる。それだけ。
だから世間話フレンド達は僕を「ノリが良い人」として扱う訳だ。自分からそうしているのだから当然のことだ。俺がやっていることは当たり屋と変わらない。
本当に何とも思わない人と会話する必要性がどこにあるのかさっぱり分からなくなってしまった。友達になるつもりもないし、職場内の人間でもない。マジでなんなんだ。「遅番?」とか「なんか疲れてない?」とか「髪切った?」とかマジでどうでもいいわ。本当にクソだと思う。ピエロを演じるのはもう辞めにしよう。酷い日記ですわ本当に。俺は間違っている。




落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。