2月23日 隣の咳君と世界を変えた話。
電車。隣の席の成人男性が咳をした。車内の空気がピリつく。俺もスマホから顔を上げるぐらいののとはした。悩んだ。まず真っ先に席を移動したいと思った。満席ではない。他に座れる所がある。では移ればいいじゃないか。ウツされる前に。いやいや、感染してるとは限らないじゃないか。むしろ感染していない可能性の方が高いのではないか。可能性?隣の男性が100%コロナウイルスに感染していないと俺は言い切れるのか?咳をしていない人達に混じって唯一咳をしているこの男性は、この車両ないだけで見たらどうだ?可能性としてはどうだ?ないないない。あっても天文学的数値に等しい確率だろ。何をチマチマと。確率を0にする方法があるじゃないか。席を移動すればいいんだ。簡単な話だ。電車はまだまだ止まらない。気まずい。ここで移動をすると、乗客全員が僕を見るだろう。理由は分かってくれるはず。分かってくれるだろうけど、うっわ〜消費者っぽい、ヒステリックな奴〜とか、要するにTHEおばさんに送る視線をこの度浴びる羽目になる。そして隣の彼にもなんだか申し訳ない。悩む。未だに咳をしている彼の隣で、俺はこれまでの自分の生き方を振り返ることになった。まさかこんな所で成長の糧になりそうな出来事に直面するとは。俺は怒らない。厳密に言うと人に怒れない。我慢した方が早いと考える。その方が楽だと。人の顔を伺うことばかりが上手くなっている。これは子供の頃からやっていることだ。複雑な家庭環境の中育ったことが起因していると思う。子供はよく見ている。俺は我慢をする。そして毎回損をする。損をした後、怒りたくても怒れなかった人のことを向こう3年は恨む。ラジオで話す、コラムに書く。よりみっともない気持ちになったりする。
変わらなくてはならない。マジで知らない他人の顔色を伺ってどうする。大事なことではあるが、仮に彼から感染したらそんな馬鹿な話はない。俺の気遣い、空気を読む、という赤子でも出来るような、自我を必要としない甘ったれた行いのせいで、俺の身の回りの大切な人達にすら迷惑をかけることになるかもしれない。結局は自分のことしか考えていないではないか。
よし!俺は決めた!こいつが後3回咳をしたら、移動しよう!
ゴホッ、ああ。
ゴホッ、勘弁して。傷つけたくないんだ
ゴホッゴホッゴホッ、5回もしてんじゃん。もういいわお前。
俺は静かに立ち上がり、後ろを振り返らずに歩いた。彼から物理的に離れるば離れる程に過去の自分が小さくなっていく。対角線上の彼から1番遠い所に座った。
席に座ってから、遠くの彼を見ると咳をしながらスマホをイジッている。俺の苦労もしらずに。全部俺の中の出来事だったのかもしれない。だけど俺の中が変われば俺が見る世界も変わる。
昨日は世界を変えました。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。