11月26日 サラダを取り分ける女とサラダを取り分けさせたい猿共へ
隣でサラダを取り分けている美香ちゃんを見て、彼女が学生時代に五十メートル走で9秒台を切ったことを思い出した。女子の平均タイムがどれくらいかは忘れたし、そもそも何秒とて、と思っていたので、だから何だと思っていたのだけど、すごいなと思ったことは覚えている。よくそんなことが出来るなとも思った。
美香ちゃんの足が速いことと、こうしてさも当たり前というような自信に満ち満ちとした表情をし、ムチムチとした身体をプリプリとさせながら猿共にサラダを分け与えているということに、何かしらの関連性のようなものを感じる。「ごめん、この子こういうのしない子だから。」と美香ちゃんは言った。この子とは私のことを指している。しないとなんなのだ。しない子だったらなんだ。猿達は「ああ、全然」と言いながら、ウキウキウッキッキとした阿呆丸出しの顔で、美香ちゃんが屈んだ時に緩む胸元をチラチラと見ている。「ああ、全然」と言いながら、なんでこいつらは何もしないのだろう。私が「しない子」になってしまったのは、美香ちゃんのような「する子」がいるせいでもあり、元はと言えば自らの手でサラダを取り分けることが出来ないこの猿共のせいでもある。
美香ちゃんには恥じらいというものがない。美香ちゃんが9秒代を切ったあの時、私は10.77だった。「7」が揃っていたことに若干高揚したのと、ありとあらゆる意味でちょうどなタイムだったので、ハッキリと覚えている。
サラダを取り分けることの出来る9秒台を切った女に「ごめん、この子こういうのしない子だから。」と言われ、「ごめん、アハハ」とニコッとだけする所が10.77の女こと私なんだと思う。
サラダを率先して取り分けるという行為は、目の前の猿共に好かれたいという純粋な気持ちが露骨に表れた結果そのものだと私は思う。惨めだし、みっともないことに間違いはないけれども、わざわざ猿共とのお食事にきて、餌を分け与えない自分はもっとなんなのだと思う。サラダを取り分けるつもりがないのなら、そもそも猿と飯を食わなければ良いんだ。この場所では美香ちゃんが正しい。
だから私はサラダの乗った皿に手を伸ばし、それを逆さまにした。「ああ〜」とか「うっわ」とか「もう何やってんの〜」とか様々な音が聞こえて、「ごめん、ごめん」って言ったら、美香ちゃんがテーブルに散乱したサラダを、紙を使ったり時にこれ見よがしに素手を使ったりしながら、テーブルの真ん中にかき集めていて、それを見た猿達は満足げな表情を浮かべていて、それが分かったのか美香ちゃんは猿に尽くすみたいに、もっとサラダを真ん中にかき集めていて、私は食うことのないサラダを真ん中に寄せることの意味を考えていて、その時に何故美香ちゃんは9秒代を切れたのか少し分かった気がした。
私はテーブルの真ん中に寄せられた野菜に箸を伸ばし、それを食べた。机の上に乗ったサラダを直に食べる私を見て、猿共と美香ちゃんは目が点、少し間を置いて、阿鼻叫喚、私は人参の切れ端が少しついた箸で猿共の目を突いて、それを美香ちゃんのサラダが盛られたお皿の上に取り分けた。猿の血走った眼球がプチトマトのようで、私は少し驚いた。「7.7」を見た時も確かこんな気持ちだったと思う。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。