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自分にやるかやられるかの一年間。

自分のダサいところに吐き気がする。ああ、なんであんな言い方したんだろう、なんであの時彼/彼女の話をちゃんと聞かなかったんだろう、なんで真夜中にナゲット15ピース食べてんだろう、なんで今日ネタ書かなかったんだろう、どうして上手くいかないことをあいつのせいにしてんだろうとか、バイト先からの帰り道、電車から降りて、Twitterに夢中で車窓から見えたはずの景色が一切思い浮かないことに気が付いた時とかに一気に思う。

一度きちんと生活をしたいというような気分になってきた。自分の人生に集中したいと思う。毎日誰も知らないところで、自分とのバトルが繰り広げられている。その結果はほんとに自分がしんどい時に、糧か枷になってまんま返ってくる。
数え切れない程の選択肢が毎秒広がっていて、できるだけ意識的にチョイスしたいと思う。間違えたとしても、というか間違えるんだけど、その選択の積み重ねで自己が形成されていく訳だから、きちんと自分で選びたいよねって話だ。

ってなことでSNSはもう見ていない。ツイートはするけど、noteとかほんの少しでもいいから、思い付きの140文字より時間をかけたものだけを投稿するつもりだ。スペースはやる。
低刺激な日々に溺れている。最近賞レースに出たり、一人で大喜利イベントに出たりして、自分を少しでも「芸人」だと思えるようにと活発に取り組んではいるが(これは続ける)、結局のところほぼ毎日八時間半コンビニに俺はいる。俺は間違いなくフリーターだ。

自分を「芸人」だと思いたいとは感じつつ、肩書きなんてどうだっていいと心の底から思う。
思考を職業に先行されたくない。「芸人」としての発言、考え方というものに出来るだけ縛られず、発言したものが結果的におもしろかったらなんでもいいやと思う。
自分が芸人を志そうと思ったのは、自分の家庭環境すら笑いにできる、それが正義となる世界がある、マイナスをプラスにできる場所がここにはあると思ったからで間違いはない。
「なんでも笑えればOK」的なマインドで20代前半までやってきたつもりだが、そうではと思うようになってきた。確実に「笑えないこともある」と考えている。
例えばアテンド系暴露YouTuberの彼をネタにしたり笑いに変えているのを、ここ最近色んなメディアで数多く見たがマジでダセえなと思った。彼がいかに「笑えない」かを理解できる自分にこれからの可能性を感じてしまう(いえ~い)。多分俺はかなり速い。

本当に芸能人とか有名人ってズレまくっててダサい。多分それにみんな気が付いている。
YouTuberが素人芸だと揶揄されているのはクオリティの問題ではない。というか彼らの動画は「メイキング」に近い。今俺がいる世界と彼らが住んでいる世界が地続きになっているのが分かる。ヒカキンはその最たる例だと思う。ゲーム実況が好きでよく見るのだが、トップにいる釈迦さん、関さん、スパさんの3人にも似たようなものを感じる。背景に日常や生活がある。前に山口慎太郎があの三人が頂点ってことが凄いって言っていた意味が分かる。

時代は移り変わっていっている。
「自分達と同じだ!!!」という親近感を出せば人気が出ると勘違いした芸能人が「電車に乗っている」ということをおもむろにアピールすることがある。
俺達は電車に乗っていることをわざわざ口にしたりしない。生活の一部であり、ただ通勤のためだけに使ったりしている。なんの感情もない。舐めるな。
当然の価値観を当然のまま貫いている人に、人は共感するのであ~る。


カッコいい大人が中々いない。みんなどうしちゃったんだろう。
本当にイヤな奴にならないように気を付けよう。
いつか大金が入ったら、俺は馬鹿みたいに金を使うだろう。一軒家も欲しいし、ゲーミングPCも欲しい、すんごいちょっとしかないのに馬鹿みたいに高いご飯もたくさん食べよう。カップラーメンは食べたい時に食べるし、もう食べたくないって思ったら二度と食わない。
今日この瞬間からすでに選択肢は広がっている。
十年後俺がもし売れていたとして、自分が思うダサい有名人みたいになっていたら、俺はきっと今日この瞬間からの選択を間違え続けたのだと思う。
地に足を付けよう。
毎日ネタ書いてます、ライブに沢山でます、年度内にプルサイ単独ライブやります、日々文章を書きます、生活を楽しみます、人の話を聞きます、友達を大事にします、家族にこまめに連絡をとります、好きな人の前で常に最高でいれるよう頑張ります。
向こう一年間、潜ります。ほな。

落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。