1月27日 俺は猿か人か
久しぶりに激怒してしまった。いや、激怒はよくしている。それを表に出してしまった。我慢すれば良かったなと、今帰りの電車で後悔をしている。自分の発言により、とある局面を大きく変化させることが、好きだし、嫌いでもある。我慢した方がやはり楽である。自分の意見を相手にぶつけることの目的はなんだ。正そうとしているのだろうか。ではその正しさとはなんだ。私の環境や経験から弾き出された、未完成な「解」のようなものか。他人が通ってきた道を無視し、私の正しさを押し付けるのは、相手の人生を私の人生のように整理することとどう違うのだろうか。では黙るか。ただただそこに突っ立って傍観すれば良いのか。怒らない人間、理性的な人間から、人間を感じないのは何故か。怒りを露わにする人間を見て、猿を想起するのは何故だ。どこに立てば良いか分からなくなってしまった。本来の私は、死ぬ程怒りやすい。ちょっとしたことで怒る。というか、ちょっとしたことだから怒るのである。馬鹿は細部に宿る。怒るのを辞めたのは、理性的になる努力を始めたのは、数年前のことだ。それぞれの正しさがあると知り、怒る、怒らない以前に、私は自分の意見を相手にぶつけることを辞めた。諦めたのである。歳を重ねるごとに、私と関わるにはすでに手遅れな人間が増えていった。偉そうに聞こえるかもしれないが、私は偉そうなのだ。誰も彼もを許すというのは、心にこだわりを持たないということなのかもしれない。最近私は、本当に苛立っている。理性的になることを辞めようかと思う。私は猿である。NOはNOと、キッパリする。後は勝手に決めてくれれば良い。理性的な人間だと思われたいのであれば、我慢をすればよい。9歳くらいから出来ることだ。私は立派な赤ちゃんになる。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。