R6BY 國酒論
本論考は、令和6年度に新潟市中央区の造り酒屋、今代司酒造株式会社様(以下、今代司酒造)で研修させていただき、清酒・國酒と関わることを通じて学び、言語化することができた筆者の政治思想について論じるものである。
1 國酒論
1.1 なぜ人は酒を造るのか
今代司酒造での研修を開始して、筆者がぼんやりと考え始めたのはなぜ人間はお酒を造り、また飲むのかという問題である。それは詰まるところ、穀物などをうまいこと用いると(あるいは放って置いたら)どういうわけか気分が良くなる飲料ができ、また水よりも安全な場合があったというところなのだろうが、それが「社会」として造られ、飲むようになったのはどういう経緯があったのか、という疑問を抱いたのである。また、特にそれが我が国においては、芋や麦を用いた焼酎もあるが、「日本」酒と呼ばれるものが米を原料とした清酒であるのかについて考えを巡らせたのである。
この問いに対する答えを導くには、まず「日本」そして「日本人」とは一体何であるかから始めることが求められるだろう。日本列島は、始新世(5,600万年前~3,400万年前)頃からその原型が形成され、中新世(2,300万年前~530万年前)に日本海が形成されてユーラシア大陸と分離したとされ、その地に旧石器時代以降に樺太や朝鮮半島、南西諸島などさまざまなルートから渡来した人類が祖先であると考えられている。それを「日本人」であり、その集団を「日本」と呼ぶことはできるだろうか。明確に「日本人」というヒトの集団と国家としての「日本」を定義できるのは、伝説上では辛酉年1月1日(西暦紀元前660年2月11日)に天照大御神の子孫である神武天皇が橿原宮で初代天皇に即位したタイミングであり、現在実存が確認されている中では5世紀の雄略天皇治世あるいは6世紀の継体天皇治世であり、少なくとも1,500年以上前であろう。すなわち、国家の体を為すようになったことと、統一の象徴たる天皇の即位は不可分の出来事であると考えられるのである。そしてその天皇から祭祀王としての性質が分離することはどのような時代にもなかったのではないだろうか。
宮中、神宮(伊勢神宮)の最も重要な祭祀・大祭として神嘗祭がある。神宮によると、神嘗祭は「神宮で最も古い由緒をもち、天皇陛下の大御心を体して、天照大御神に新穀を奉り収穫の感謝を捧げる祭典」[i]である。その際には、天皇陛下が皇居にある御田でお育て遊ばされた稲穂が奉られ、午後10時と午前2時の二度にわたって行われる由貴大御饌の儀では、神宮神田で清浄に栽培された新穀の御飯・御餅・神酒を始め、海の幸、山の幸をお供えされる。このように、神宮きっての大祭においては稲という穀物がカギとなるのであるが、祭祀王としての天皇という事実と突合すると、日本と日本国の形成や伝統、伝統精神と天皇、稲作には密接な関係があると推定できる。また、栽培イネは約2,500~2,700年前に我が国にわたって来たと見られるが[ii]、これは神武天皇御即位ないし伝説時代とされる時期と重なるため、この時期において天皇家と稲穂という存在が結び付いたと考えられるのではなかろうか。
長々と述べたが、「なぜ人はお酒を造るのか」、そして「日本人はなぜ清酒を「日本」酒と呼ぶのか」について再び考えたいと思う。この社会的理由は、神・大地から頂戴したコメを、よりよい形にしてお返しするということではないだろうか。
『日本書紀』によれば、高天原を統べる天照大御神が葦原中国の統治を瓊々杵尊に托す際、三つの神勅と三種の神器を御下賜されたとのことである。その一つが、天照大御神が高天原でお育てになっていた稲であり、これをもって子孫にお腹いっぱい食べさせるようにとの「斎庭の稲穂の神勅」である[iii]。そしてその際には慈愛を顕すとも言われる八尺瓊勾玉を下賜された。また、筆者の考えるところであるが、高天原にはお酒が存在しないのではなかろうか。古事記の中巻応神紀には、「秦造の祖、漢直の祖、酒を醸むことを知れる人、名は仁番、亦の名は須々許理(ススコリ)、大御酒を醸みて献りき」と、応神天皇(4世紀後半から5世紀初頭)期に来日した百済人からその醸造法を献上されたこと記されている[iv]。逆にいえば酒は高天原から降りて来たものではない品物なので、稲穂を下された神への返礼品となり得るのではなかろうか。
合理性と科学が隆興する以前から、神宮をはじめとして神を祀る際には清酒が捧げられてきたが、これはすなわち稲作という人為的行為も介するが今年も無事に台風や冷害、蝗害などを乗りこえられてコメが収穫できたことを神や大地のおかげと考え、その一部を感謝の気持ちをもってお返しするとともに、人間なりのやり方で酒というより良い形にして捧げることによって来年度の収穫を祈願し、期待するということにあるのではなかろうか。酒好きの言い訳の言葉としても使われるが、まさにお神酒の上がらぬ神はなしというほどに神への感謝と祈りを具現化した存在がお酒であり、稲作が中心であった我が国においてそれはコメからできた清酒となったのである。だからこそ、清酒をもって日本酒と呼ぶのであると筆者は考えるし、我が国の儀式においては(それを好んでいた故人のお墓参りを除いては)ビールやチューハイが上がらないのだと考える。
1.2 なぜ人は酒を呑むのか
では、次に「なぜ人は酒を飲むのか」。それは神饌やお神酒をお供えした神を同じくする者同士が、同じ場で神に捧げたものをいただくことを通じて、神の力をいただくとともに仲間意識を醸成するためであると考える。これは中世日本の一揆などにおいて、一味神水などが行われたことを考えると想起しやすいが、神の前でこれらを行うことによって、神と同じものをいただき、神を担保としてそれに対する裏切り行為を抑制し、一体感を高めるということがお酒を飲む社会的意義ではないかと考えられるのである。これは現代社会においては、お酒を飲むという行為そのものだけが分離され、それ自体を楽しむということがあるので機能的自律性を獲得したとも見え、一方でお酒の席でのコミュニケーションを通して人が繋がり、共通の目標(≒神)を共有するという点ではその本質を保持しているとも見える。
ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、『サピエンス全史』において、「虚構のおかげで、私たち〔筆者註:サピエンス〕はたんに物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになった。〔中略〕そのような神話〔筆者注:聖書、「夢の時代(オーストラリア先住民の神話)」、国民主義〕は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与える。〔中略〕サピエンスは、無数の赤の他人と著しく柔軟な形で協力できる。だからこそサピエンスが世界を支配し、アリは私たちの残り物を食べ、チンパンジーは動物園や研究室に閉じ込められているのだ」[i]と述べている。すなわち、現生人類の強みは空想と、共通の目標設定が可能であるということである。
筆者は、酒はそれらを促進する力を持っていると歴史的にも体感的にも考えるし、だからこそ酒は人類が発見した偉大な友人であると断言できる。以上のことから、酒、特に我が国でつくられる清酒をはじめとする國酒は単なるアルコールとは異なり、神や自然の恵みに対する感謝や、人間同士の結束などを促進するという本義を持つものでもあると言える。
以上のような國酒論から筆者が自らの骨となし、肉となすのは、「今だけ良ければそれでよい」という風潮を排することである。清酒の本質は、貰ったものをそのまま独り占めするのではなくお返しすることにあり、それによって来年という今後の更なる利益を追求できる環境を自然と形成することにある。今だけを考えていれば神に捧げる必要などないし、まして食することができるコメを削り(精米し)、手間をかけて酒にする必要など全くない。それでも清酒は今に生きている。筆者は、この姿勢を清酒から学び、あらゆる政策において「今だけ良ければ」という発想を除いていくと誓い、この虚構のような目標を多くの方々と共有したいと考えるのである。
2 國守論―保守とは地域の酒蔵を守ることである―
文芸評論家の福田和也氏は、福田恆存氏の言葉を引用して、『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』と題した本を著したが、その中で「私の言う保守は政治イデオロギーではない。政治と言うよりは文化、文化の中でもより生活に密着した、日常茶飯事に関する文化に対して鋭敏であるということだ。〔中略〕毎日、とは言わないまでも日常に通う店、つまりは自分の生活スタイルを保持すること、そのために失われやすいものに対して、鋭敏に、かつ能動的に活動する精神を、保守という」と論じた 。
筆者は、そのメッセージに共感し、福田氏の言葉を引用する形で、「保守とは地域の酒蔵を守ることである」と考えるに至った。前項で述べたように、神武以来、少なくとも「日本」という国家経営体が形成される頃には我々の先祖は稲作農耕民族となり、現在の生活スタイルや思考にも大きな影響を与えていると考える。そして我が国には、清酒や焼酎、泡盛などの「國酒」があり、これらはその地域の穀物、麹、酵母、水、気候、人、技術、文化によって醸されるもので、地域そのものともいえよう。筆者は昨年度の基礎課程Ⅰの期間に、茶道や書道、神嘗祭、個人的には鋳物や打刃物、和服などいわゆる日本の伝統と言われるものに触れて伝統精神とは何かを考え、その一端を感じ取ってきたつもりである。もちろんこれらの営みも伝統であり、我が国の伝統精神として息づいているものであると今でも考える。しかし、伝統精神も保守もきれいに磨き上げて箱に入れておくものではなく、あくまで生活に根付いているものであり、それこそ「生活スタイル」であると考える。ハレの日の衣装もあろうが、より近い感覚としては普段着なのである。だからこそ、筆者は、我が国の伝統精神の根幹には稲作と酒造り、そしてその奉納である祭にあるのではないかと考えるに至った。そして、これらを無理な力ではなく自発的な活力で守っていく状態こそが保守であると考えるのである。
保守は、現在の他に、大きく二つの方向に対しても責任を負っている。先人に対するものと、未来へのものだ。先人の営みそのものに対する敬意と、現代世界に残ってきたものイコール生存するだけ利点が上回るものであり洗練されて来たことに対する理解の上に、その受け取ったものをより良いものにして未来へ引き渡す。それも自分らの世代が良ければそれで良いというのではなく、未来に対する影響も考えられるものはすべて考え尽した後に変更を加える責任を持つのである。⽶国神学者ラインホールド・ニ―バーは、「〔前略〕変えることのできないものについては、それを受け⼊れるだけの冷静さを与えたまえ。 そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 識別する知恵を与えたまえ。」 と述べたとされるが、今生きている我々には受け取ったものをすべて自らの都合で変更するのではなく、限界はあるものの熟慮の上で受け入れるあるいは変えるという未来への責任を負っているという自覚が求められる。そう考えながら、筆者は今晩も日本酒を呑むのである。
3 こくしゅ論―國酒・國主・國守―
筆者は、この経営実践研修期間中、「こくしゅ」という軸をもって日々取り組んだ。我が国の伝統精神や地域そのものが詰まっている可能性を秘めている「國酒」を通じて、一国一城の主「國主」は如何にその領分を経営するかを学び[i]、将来筆者自身がどのような「國守」を体現する政治家となるのかを考える。筆者は新潟の酒蔵における約7ヶ月間に及ぶ研修を通じて、本論考において述べた経営哲学や人間観を学ばせていただいた。その間には日本酒や焼酎などの「伝統的酒造り」が国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録される見通しとなった[ii]。この学びをより深化させる形で「落合拓磨」という人間と政治・経営哲学を醸していくとお誓いし、これを令和6年度醸造の「こくしゅ論」とさせていただく。
文末脚注
第1節
[i] 神宮「神嘗祭」(参照日:令和6年9月3日)(https://www.isejingu.or.jp/ritual/annual/kanname.html#:~:text=%E7%A5%9E%E5%98%97%E7%A5%AD%E3%81%AF%E3%80%81%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E3%81%A7%E6%9C%80%E3%82%82,%E3%81%8A%E4%BC%BA%E3%81%84%E3%81%99%E3%82%8B%E5%84%80%E5%BC%8F%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82)。
[ii] 日本経済新聞「コメはどこから来た 識者インタビュー 「中国発祥、DNAに共通点」「古事記、東南アに似た神話」」(平成26年10月16日)(参照日:令和6年11月13日)(https://www.nikkei.com/article/DGXLASM101H07_V11C14A0EE8001/)
[iii] 御嶽山御嶽神明社「日本書紀と三大神勅」(令和2年2月11日)(参照日:令和6年11月13日)(https://ontakesan.amebaownd.com/posts/7741687/)、國學院大學メディア 武田秀章「地上の世界に稲の実りをもたらした「天孫降臨」」(令和4年12月5日)(参照日:令和6年11月13日)、遠江国一宮 小國神社「御大礼(天皇陛下のご即位の儀式の総称)と日本の成り立ちを深く知るためのお話~私たちの国は、稲穂の国~」(令和元年11月22日)(参照日:令和6年11月11日)(http://www.okunijinja.or.jp/information/?vol=306)、日本経済新聞「コメはどこから来た 識者インタビュー 「中国発祥、DNAに共通点」「古事記、東南アに似た神話」」(平成26年10月16日)(参照日:令和6年11月13日)(https://www.nikkei.com/article/DGXLASM101H07_V11C14A0EE8001/)
[iv] 松浦美由紀、池添博彦「古事記の食物文化考」(1992年3月)(参照日:令和6年11月13日)、pp.52。
第2節
[i] ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳『サピエンス全史 上』(2016年、河出書房新社)、p.40。
第3節
[i] 組織運営について論じた経営実践哲学、「國主論」については、拙稿「R6BY 國主論」(松下政経塾HP)をご高覧頂きたい。
[ii] 讀賣新聞オンライン「酒造文化に焦点喜び 訪日客の需要拡大期待 日本の酒無形遺産を受けて」(令和6年11月6日)(参照日:令和6年11月6日)(https://www.yomiuri.co.jp/local/niigata/news/20241105-OYTNT50187/)