手触り
「最もフィジカルで最もプリミティブで最もフェティッシュなやり方で、、、」
最近、この言葉をどこかで聞いたことある方も多いのではないでしょうか。ドラマ「地面師たち」で、ハリソン中山という男が裏切られた仲間を殺す際に発したセリフです。
このセリフを聞いた瞬間に、私はふと小津安二郎の「お茶漬けの味」の中の名シーンが頭に思い浮かびました。映画の中で、夫が妻にこう語りかけています。
「僕はもっとインティメートで、プリミティブな遠慮や気兼ねのない気安い感じが好きなんだよ、、」
ハリソンのセリフとは似ていますが、意味するところは全く異なります。「お茶漬けの味」では、素朴で静かな日常の中にある心地よさが描かれています。地方出身の素朴な夫と、上流階級出身の妻。彼らのすれちがいが描かれる中、夫はご飯に味噌汁をかけてかきこむ。それを嫌う妻に、夫が静かに自分の価値観を伝えるシーンにです。
このセリフを聞いたとき、私は何か大切なものを思い出したかのようにハッとしました。現代では、はっきりと目に見えるものしか価値を認識されないような気がします。
SNSを開けば、目に飛び込んでくるのは札束、ブランドバッグ、高級マンション、海外旅行。これらは表面的には輝いているように見えるかもしれませんが、その背後にある心は満たされているのでしょうか。発信者も、それを受け取る側も、どこかで疲れているような気がします。
日々、私たちは忙しなく過ごし、消費という形でストレスを解消しようとしています。しかし、それを繰り返す中で、心の奥底に蓄積されている疲労から目を背けていることも多いのではないでしょうか。キラキラと輝くSNSの世界と、自分が今生きている現実との間にあるギャップ。その対比の中で、心が揺れることが多い時代です。
そんな現代社会において、夫が語った「インティメートでプリミティブ」な価値観は、今こそ私たちが立ち止まり見つめ直すべきことを優しく教えてくれているようです。日々の中にある小さな幸せ、例えば、お風呂上がりの一杯のお茶、雨の音、窓辺にそっと置かれた花瓶の花。画面越しに映る華やかな世界ではなく、私たちの身の回りにある温かくて手触りのあるものに目をむける。そんな日常が、心の疲れを癒してくれるのではないでしょうか。
サカナクションの「フレンドリー」で、山口一郎さんがこう歌っています。
「正しい正しくないと決めたくないな」
この言葉は、彼のこれまでの歌詞の中でも非常に直接的で、現代の極端な価値観に対して静かに反論しているように感じます。極端に振り切った現代社会に対し、もっと柔らかくて、曖昧で、けれども心に響くものが大切なのだと。
皆さんにとって「インティメートでプリミティブ」なものとはなんでしょうか?私はそれが、「忙しい日常の中で見落としがちな小さな安らぎ」だと感じています。身の回りの何気ない瞬間に、私たちの心の安らぎや幸福が隠れているかもしれません。
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