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この世からだんだんログアウトする感じ

老化は避けられない。誰にでもやってくる。でも、思った感じと違った。また将来読み返す日のために、ここに備忘録として書いておく。

年をとるって、どうなるんだろう。老化って何なんだろうと小さい頃、いや成人になっても考えていた。

小さい頃、老化とは、髪が白くなって、やせていくものと考えていた。昔話のおじいさんおばあさんや、祖父をみてそう考えていた。今考えれば、祖父の老化は喫煙によるCOPDに修飾されていたのかもしれない。
そして、記憶力が落ちていくものだと思った。祖父は認知症はなかったが、いつも口癖が同じだった。同じシチュエーションがあるなら、お決まりのセリフばかりだった。いつもおじいちゃんは同じことを言うなぁ、と思っていた。
その時は自分が老化するなんて想像もつかなかった。

高校生になってくると、老化とは記憶力が落ちるだけでなく、頑固者になることだと思っていた。
いつも同じことを言うのは、自分の考えやこだわりを訂正することはなく、自分が正しいと思い込んでいるからだと思った。
年をとっても、他人の考えを受け入れ、総合的に物事を判断していこうと思った。そうすれば、自分が老化をしても、凝り固まった感性にとらわれるだけではない、鋭い大人でいられるような気がしていた。
それでも、自分が老化するとは思ってもいなかった。

成人すると、老化は体は衰え、頑固者になるだけでなく、幼稚になることだと思っていた。自分の考えに固執するだけでなく、コミニュケーションは一方的になってきて、人の話を聞かないのは姿勢だけではなく、行動も伴うと思い始めていた。
でも、年だから仕方がないのかなと解釈していた。
この頃、祖父は肺炎で入退院を繰り返し、亡くなった。自分は若くて気力にあふれていたし、考え方はキレがよく、センスにもあふれていると思っていた。老いも死も遠い遠い未来の出来事で実感がわかなかった。

30代、自分がどこまで成長できるか、どこまでやれるかにしか関心がなかった。気力も体力も衰えることを知らなかった。もう若くはないんだからと言われたり、若手だったと言われたり。人に宣言するなんてかっこ悪いから口にはださないけど、自分とは若いんだと思っていた。
感性やキレも、尖った感じがとれ、成熟していた。充実した人生をおくれていたと考えていた。
まだ、時代は自分のためにあると思っていた。流行ソングはついていけなくなったけど、昔の歌手のほうがうまいと思っていた。自分の感性は成熟しており、流行に流されないようにしていた。
いつか老化が来るんだろうけど、まだ信じられなかった。そんなことよりもとにかく忙しかった。
この頃、父親が亡くなった。喪主を務めた自分は、そうか大人なんだなと思った。父親が倒れてからの数年間で、キャリアを大きく方向転換することになった。立派な仕事を行う人も、こういった家族マターでキャリアも変化することがあるんだなと思っていた。
家族のことを考えながら、自分のキャリアも考えていた。今考えれば、自分のことを考えていたほうが多かったと思う。
亡き父は30代どう考えていたか、40代はどう過ごしたのか聞きたかったが、叶うことはなかった。

そして今、40代、最後の悪あがきというか、どこまでやれるのか苦戦していた。老いと死を意識し始めたのはここからである。
まず、記憶力が落ちた。概念は残るが名詞が出てこない。たくさん考えていくと、頭がぼんやりして細部について突き詰められないことが増えてきた。
五感を頼りにこの世を感知できていたつもりが、反応できなくなってきた。
テレビで流れる流行ソングは、知らない曲ばかりだった。自分の成熟した感性は、新しいものを取り入れられなくなってきた。懐かしいものには反応するけど、新しいものに感動がまったくできなかった。世の中は下の世代のためにあるのだと感じた。

だんだん、記憶や思考が「減ってきた」。外から入ってくる情報ではなく、自分の頭の中にある情報に頼ってものごとを完結することが増えてきた。
同じ五感を駆使しても、初めて触れるもののはずが、自分にとって新しい情報として捉えられなくなった。だんだん、この世界のことが感じられなくなってきた。いろんな情報が流れても、記憶力がないだけでなく、もう感知できなくなってきたのである。
少しずつ、ゆっくりと、確実に世界を感知するチャンネルが減っている。この世からじわりじわりとログアウトしている。
老いとは今はそう考えている。だんだん減ってくる感性のチャンネルで、何を感じ、何を認知していけるのか。
チャンネルが減れば減るほど、世界そのものをとらえることができなくなる。限られた情報の中でしか考えることができなくなる。

恐怖がやってくる。


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